RIZINに5戦全勝! 用意周到、“時差”にも勝ったベラトール
(文/フリーライター安西伸一)
2022年大晦日、さいたまスーパーアリーナ『RIZIN.40』で実現した、RIZINとベラトールの5対5全面対抗戦は、RIZIN側の5戦全敗という、明暗クッキリの結末で幕を閉じた。
ベラトール代表のスコット・コーカー氏は、かつてK-1ラスベガス大会などを開催してきた人物。日本の格闘技事情は、よく知っている。
試合ではトータルファイターとして、全局面で技量の高いベラトール勢のすごさを、見せつけられる形になったが、大会終了後の共同取材でコーカー代表は、ほかにもあった勝因のひとつを、こう述べた。
「今回、我々の選手たちが、違うルール、また時差とか、そういったものを克服するために、クリスマスを返上して10日前、2週間前から日本に乗り込んできて。私も『RIZINの選手たちをなめちゃいかんよ』と厳しく言ってたので、それをしっかりと実践してくれた結果なんだというふうに思っています」
プロボクシングの世界戦となれば例外だが、特に時差を意識して、早くその国に渡航したという話は、全選手から聞こえてくることではない。
通常どこの大会でも、日本人選手が外国に行くときも、外国人選手が日本に来るときも、その国に着くのは大会の数日前というのが、総合格闘技の世界では一般的なはずだ。
それに、アメリカ人にとってクリスマス休暇を家族で過ごすというのは、相当大切な習慣のはず。それをも返上させて、選手団を早く来日させていたコーカー代表。その本気度は、並大抵のものではなかった。
RIZINの榊原信行CEOに聞くと、
「契約形態の詳細までお伝えできないんですけれど、我々はベラトールに、そういうものを含めた渡航宿泊、ファイトマネーとかをドーンと、我々がギャランティを支払うという契約になっていますので。彼らがその中のおカネをどう使おうと、それは僕らの知る由はないんで。通常の、こちらが完全に招へい元になっている外国人選手たち、それは3日前とかに入っているんですけれど、今回は結構早く入っていましたね」。
時差ボケになると、ひどいときには鉛が入ったかのように、体が重くなり動かなくなる。
かつてヒクソン・グレイシーは日本で試合をする前、3週間ぐらい前に来日し、用意された山の中の別荘に2週間ぐらい滞在してから、東京に出て来ていた。
山の中を希望したのは、自然の中で、自分を整えたいという意思からだ。
「山小屋があればいい。練習場?いらない。土に、草や葉を敷けばいい」
このように言っていたそうだ。冷たい湖に入っていったり、瞑想したり、ヨガをやったり、自然と一体になって異国での自分を作り上げていくのが、ヒクソンの考えだった。
そもそも、見知らぬ国で“果たし合い”に出向くなら、その地の時差になじむため、それぐらいのことをするべきなのだろう。
でも現実には、なかなかそれはできない。ヒクソンのような主張が受け入れられるのは、まさに特例だ。
UFCが初めてブラジルで開催されたとき、世界ミドル級王者のフランク・シャムロックは、アメリカから開催地のサンパウロに試合当日の朝、着いて、その夜、防衛戦に臨んでいた。
タイトルは防衛したが、さすがにこのときは現地で取材していて、どうかと思ったものだ。
選手としては賢い行動とは思えなかったが、当然、当日入りしなくてはならない事情があったのだろう。
選手たちのなかにはファイターとしてだけではなく、ほかに職業をもっている者もいる。試合の前、長い休暇をとれなくても、それを非難することはできない。
敗戦の言い訳を、時差ボケのせいにする選手はめったにいないが、後日聞くと「実は……」と告白する選手もいる。
試合直後のコメントで「時差ボケがあって……」とグチる選手も、まれにはいるが、それを勝者に伝えると「それを言っちゃあ、おしまいでしょ!」と、勝者が怒り出したりする。
選手がそれを言うのはタブーなのだ。試合の価値が、根底からぶち壊されるからだろう。
かつてK-1 フランス大会に取材に行った時。大会前日の記者会見場に、日本から来たマスコミ勢が集まった。でもみんな眠そうにしていて、あくびを噛み殺して座っているのを見ると、壇上にいたジェロム・レ・バンナが笑顔で我々を指さして、笑いながらこんなことを言っていた。
「みんな眠いだろう? 俺たちヨーロッパから日本に行く選手たちは、いつもこういう時差ボケとも闘って、試合をしているんだぞ。君たちもこれから、それを味わうのさ」
どこの国の大会でも選手には、着いたら練習、会見、取材、計量、写真撮影など、大会前のスケジュールが詰まっている。国外から来たファイターが、ベストの体調で試合に挑むのは、大変なことなのだ。
でも、今回のベラトール5選手には、コンディションの不調はまったく感じられず、5人とも本当に元気いっぱいだった。ルールに戸惑うこともなく、RIZIN独特の判定基準もクリアしての完勝だったように思う。
まさに各階級の一線級を揃えての 、両団体の潰しあい。“なんちゃって対抗戦”にしなかったのは、榊原CEOのプランもさることながら、コーカー代表のリーダーシップが優れていたからでもあるはずだ。
RIZIN側にとっては痛すぎる5戦全敗だったが、アメリカから来た戦士たちの強さには、目を見張る輝きがあった。ファンにとっては世界のトップの一角の実力を間近に見られて、年を越せた感慨は深かったのではないか。
そしてRIZINの課題は見えた。今度はベラトールに逆襲しなければ、絶対にダメだ。奮起せよ!RIZIN!