【インタビュー】神酒龍一が『PANCRASE 311』での上田将竜戦を前に覚悟を語る!「試合ににじみ出る『神酒道』を魅せる」
12月8日に開催されるパンクラス2019年最終戦『PANCRASE 311』にて、神酒龍一(CAVE)が上田将竜(緒方道場)と対戦する。
神酒は2005年、修斗でプロデビュー。長きにわたり修斗で闘い、修斗第4代バンタム級王者に上り詰める。2015年10月からはパンクラスに主戦場を移し、2016年には第3代フライ級キング・オブ・パンクラシストに輝いた。しかし、2017年、マモルに破れタイトルを失うと、2年間の欠場。今年3月の復帰戦では秋葉太樹にスプリット判定で敗れたが、6月には初代バンタム級王者・井上学と対戦、2ラウンド膝蹴りで鮮やかなKO勝ちを飾った。
今回は復帰第3戦。相手は現同級暫定王者・翔兵とタイトルを争った上田将竜だ。計量を終えた神酒に、現在の心境を聞いた。
――コンディションはいかがですか。
「大丈夫です」
――前回は見事なKO勝ちでした。今回はどのような試合になりそうでしょうか。
「本当に、勝ち方というのは自分が意図してできるものじゃないので。相手があってのもので、同じ形はできませんし、今回も違った形になると思います。ただ、見てくれる人は明確なものを求めていると思うので、そこを想定しつつ練習してきました。どんな展開になっても、形にするイメージはできています」
――相手の上田選手の印象はいかがですか。
「運動能力が高い選手ですね。あと、身長が高い。顔が小さいですよね、8頭身くらいじゃないかと思いました。並んだら、オレの顔がどんだけデカイんだ、みたいな(笑)。ファイトスタイルで言うと、打撃もできるし、組んでもできる。僕はオールラウンダーっていう言い方は好きじゃないんですけど、敢えて言えばオールラウンダーですね。あと、好青年なイメージ。会場で挨拶するくらいで、そこまで親しいわけではないんですけど。上田(将勝)さんと練習したりしてたみたいですけど、僕は一緒に練習したことはないです」
――そうなんですね。では、あまり気にすることなく試合できますね。
「そうですね。なんか僕、以前は相手が知り合いでも、別に気にならないって言ってたんですよ。でも最近、もしかしたら、気にならないって言いながら、実は気になってたのかなと思うフシがあって。まあ、相手が知ってる選手だったら、気になっちゃうのはしょうがないかなと思うんですけど。でも、以前の自分は、気にならないって言いながらも本当はそうじゃなかったんだなと、昔を振り返ると思うところがあるんですよね。まあ、そうは言っても気持ちを切り替えてやるしかないんですけど」
――そういうことは、最近考えるようになったんですか?
「うーん、休んでいた時期に色々考えましたね。それが、ここ1年くらいで言葉になって来た感じです。自分のやるべきことが明確になって来ましたね。
勝負ごとなので、ジンクスとか全く関係ないと思えるようになっても来ました。以前だったら、試合の前は同じ道を通るとか、そういうことを思っていたんですけど、でも、前回と同じ道を通ったからってテイクダウンは取れない。そういうことよりも、自分には出来ることと出来ないことがある。それを見極めて、出来ないことを捨てるっていうことの方が大切だし、現実的だと思うようになりました。勝負の感覚も、自分の素直な感じでやればいいんじゃないかなと。
そういうことが以前は思えなかったから、いろいろな歪みとして試合に出てしまって、お客さんにも伝わってしまっていた。だから、極力ナチュラルにいきたいですね」
――『汝自身を知れ』ということですね。
「そうですね。今までは、そういう言葉とか格言みたいなものって、教科書に載ってるようなただの知識っていう感じで、文字としてしか頭に入ってきていなかったんですけど、それが自分の人生とリンクして来たというか。そういう言葉の意味が腑に落ちるようになりましたね」
――そういう感じは、格闘技にどう活かされて来ているのでしょうか。
「格闘技って、ただの運動じゃないと思うんですよ。ただぶつかればいいんだったら、ダンプカーとダンプカーをぶつける動画とか見てればいい。でも、格闘技って、人間同士が勝ったり負けたりして行く物語そのものが『芸』じゃないですか。いろんな格闘家がいますけど、僕はちょっと違った形で『表現』していきたい。
もちろん、勝負師ですから勝ちたいですよ。見にきてくれる人、僕からチケットを買ってくれる人がいますし、やっぱり勝利したい。だけど、絶対に勝ちますとは言えない。じゃあ、そこで何を見せるのかという、そこにかかってくると思うんです。勝ち負けを無我夢中で争う真剣さ、緊張感が伝わらなくてはいけない」
――もちろん、選手は皆さん真剣にやっていますけど、たとえば負けた後に、SNSで「負けました。でも、また頑張ります」みたいなことを書いている人もいますよね。大変だなあと思うと同時に、ちょっと軽く感じてしまうこともあるんです。あくまで個人的な感想ですけど。
「お客さんは、日曜日に、結構な時間を使って、安くないチケットにお金を払ってくれるわけですよね。なおかつ5分3ラウンド15分みっちり見せられるのかっていうと、そうじゃない。そう考えると、格闘技を見に行くって、ギャンブルみたいなものじゃないですか。見に来る人もリスクを背負ってる。そこらへんを踏まえて動いて行くと、終わった後、決してヘラヘラはできない。感謝の気持ちはもちろんありますけど、感謝の言葉を軽くは使えないですね、僕は。
格闘技って、実は怖いものじゃないですか。僕は、格闘技は決して『スポーツ』ではないと思っています。そういうところで言うと、修斗でキャリアを積めたことはありがたかったです。技うんぬんはもちろん必要ですけど、根性も必要。でも、根性は数値化できないじゃないですか。俺の根性は200で、相手の根性は100とか、そういうことはできない。
じゃあ、何で伝えるのかと言ったら行動だと思うんですよ。たとえば、打ち合いを見て心の強さを感じる人もいるかも知れないし、スタミナを見て粘りや執着を感じる人もいるかも知れない。いろんな人が見ている中で、全員には伝わらないかも知れないけど、俺のやり方で何かを伝えなきゃいけない」
――確かに、修斗のあの熱はすごいですもんね。皆さんシューターであるという誇りを持って闘ってらっしゃいますし。そういう意味では、同時代のパンクラスも、方向性は違うけれどプロっていうところを追求してきた団体だったと思います。
「そうですね。やっぱり『表現』だと思うんですよ。映画でも、舞台でも、音楽でも、なんでもそうですけど、見てもらって共感してもらうことってすごく大切だと思うんです。格闘技も、試合の中で、どれだけ自分を見せられるのか。そういう試合ができたらと思っています。『神酒道』ですね」
――なるほど。
「休んでいる間に、見せるということがメインだと気づけたんです。モヤモヤしていたものが、具体的につかめるようになってきた。それが何かっていうのは言葉にするのが難しいですけど、『試合に滲み出るもの』なんじゃないかなと」
――格闘技に対する考え方が明確になってきたのは素晴らしいですね。
「メンタル的にも、トレーニングじゃないなっていうことが分かりました。メンタルトレーニングなんて、絵に描いた風の音みたいな感じというか。実は、メンタルトレーニング的なものも受けたことがあるんですよ。でも、何か違った。僕にとっては、静かなところで、自分で考える方が合っていました。自分はあれが良かった、嬉しかった。本当はあれは嫌だった、と、自分でも抑えていた心の奥のフタを開ける作業というのかな。その中で、できること、できないことっていうのも明確になっていきました。それが2016年、2017年あたりですね。
それまでは、とりあえず頑張っていたんですけど、もう頑張れないってなって、俺は格闘技が好きだけど、プロとしてやっていきたいの? というところもありました。休む前くらいですね。でも、その時は、まだ自分の中ではっきり言葉にならなかったんです。
最近は、やれ運動能力だ、やれUFCだとかまびすしいですけど、自分はそういう流れで格闘技を始めたわけじゃない。さっきも言ったように、格闘技って怖いものじゃないですか。もちろん事故が起こらないようにルールも整備されて、サポートもされていますけど、でも、人を怪我させることをやっている以上、単に“打撃ができるから”とかではあまりに酷な競技です。それがわかっていても、自分は格闘技でなくてはならないという動機が一番大切です。そういう中でいかに自分が生きて行くか、その中で表現して行くか。僕は、格闘技とはそういうものだと思います。僕の目には、決して爽やかには映らないです」
――そうですね。昔の選手は、試合前に部屋を片付けたり、遺書を書いたりしたという話もあるほどです。
「はい。僕は教えてもいますけど、フィットネスのクラスは受け持ったことがないんです。そういうのはできなくて。僕が教えているのは、格闘技という名のピストルを組み立てる授業のようなものですね。少しずつ部品を渡して、完成したら使えるよ、って」
――そういう真剣さ、というと語弊がありますけど、「死」を覚悟した上で、それでもこの世界でしか生きられない、そういう人が立つリングやケージこそ、人の心をつかむのだと思います。最近はお客さんも昔とは変わりましたけど、中には必ず、それが伝わる人がいると思いますし、そういうつもりで来たわけじゃないけど、心を掴まれたという人もいるはずです。
「はい。そういう人にボールを投げるのが、プロとして続けて行くためのテーマですね。今まで勝ったり負けたりして来ましたけど、勝つというところばかり考えていると、勝利というものからは遠くなっていく。僕は格闘技を見て格闘技を始めたわけじゃないので。打ち合ったりとかは、ただサイコロを転がしているようなものなんですよ。もちろん、那須川天心選手みたいに、それがすごい選手もいますし、那須川選手の打撃はサイコロなんてレベルじゃない。だけど、僕はそういう選手じゃない。じゃあ、自分には何ができるのか。見にきてくれている人の心に何かを伝える、言葉じゃなくて、試合に滲み出る、そういう闘いをしていきたいです」
(写真・文/佐佐木 澪)