「プロレスラーは夢を売る商売。“引退”の2文字は見えません!」71歳の藤波辰爾がザック・セイバーJr.と世界最高峰のテクニカルファイト!

14日、東京都・後楽園ホールにて『DRAGON EXPO 1995〜無我〜』が開催。藤波辰爾が故・西村修さんへ改めて“無我”を捧げた。
西村さんは1991年に新日本プロレスでデビューし、ジュニア戦士として活躍。1998年9月にガン(後腹膜腫瘍)を宣告されるも、ガンと闘いながらプロレスラー生活を継続。2006年に新日本プロレスを退団し、藤波辰爾らと『無我ワールド』を設立。2007年に無我を離れ全日本プロレスへ入団し、2010年に同団体を退団して政治の道へ。2011年には文京区議会議員となり、2023年4月には4選を果たすなど政治基盤も盤石だった。だが西村さんはステージ4の食道ガンであることを告白しており、昨年8月段階では左側上半身全体に転移が見つかり既に末期ガンの状態だった。
そんな状態でも、昨年8月には師であるドリー・ファンク・ジュニアとのタッグで初の電流爆破マッチに挑むなど果敢に挑戦を続け、亡くなる2週間前には議員としてもプロレスラーとしても復帰する意欲を語っていたが、今年2月28日に亡くなった。
藤波と西村さんは師弟関係にあたるが、『無我』を巡ってのいざこざで約18年もの間絶縁状態にあった。
しかし、今年1月に西村さんが病のために欠場した際には藤波が代打出場する男気を見せ、西村さんもこれに深い感謝の意を示したことで両者は精神的には和解。両者ともに対面することを望んでいたが、それが叶うことはなかった。それでも藤波は西村さんの通夜・告別式に出席し「君に“無我”を捧げます」と弔辞をよんで遺恨を水に流した。
今年5月に行われたドラディション後楽園ホール大会のエンディングでは藤波が天を指さしながら「本当に彼とはいろんなことがありました。僕も無我を彼に捧げましたが、まだちょっと無我が中途半端にとどまったところがあるんでね。もう1回……最後にもう1回やるか!なあ西村!」と叫んだ。
こうした藤波の想いもあり、今大会ではドラディションの大会でありつつ約18年ぶりに『無我』の名を冠した大会となった。
この日はじっくりとしたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンを魅せることがテーマにあり、全8試合のすべてがシングルマッチで実施。
メインイベントでは、藤波辰爾vsザック・セイバーJr.という世界最高峰のテクニカルレスラー同士のドリームマッチが実現。ザックも38歳とベテランの域に片足を突っ込んでいるが、藤波はその1.9倍あまりの年齢を重ねた71歳。パワーやスピード、大技に頼らない純粋なテクニックが見られる試合になることが期待されていた。

試合は静かに手4つで組み合っての腕力勝負に始まり、パワーで勝る藤波が一気に押していく。これをザックはブリッジで耐えつつ多彩な形のリストロックで捕らえていくが、藤波は巻き投げと払腰の中間のような形の素早い変形腰投げで脱出。初っ端からあまりに高度な攻防を見せられた観衆は歓声を上げるというよりも感嘆の声を漏らす。
ザックが首4の字固めで捕らえつつ藤波の左手を指まで取って固めていき、藤波のドラゴンスクリューを先読みして逆三角絞め。これを逃れた藤波がドラゴン張り手から、ドラゴンスクリューに行くフェイントから足を刈ってレッグロックに捕らえるという意趣返し。ザックがグラウンドでのコブラツイストで切り返そうとすると、藤波が即座にチキンウィング・アームロックで捕らえて封殺。濃密なサブミッションの応酬が展開されていく。

ザックは作戦を変え、組み合わずにリーチの差を活かしてミドルキックを連打。藤波はザックの蹴り足をキャッチしてドラゴンスクリューから足4の字固め。ロープを目指すザックだったが、藤波は巧みな体捌きで妨害。ザックは長時間苦しめられた末にどうにかロープを掴む。藤波は引き起こしてローキックを連打し、ドラゴン張り手からバックスライドやスモールパッケージで翻弄しつつドラゴン・スリーパー。しかし、絞められたまま立ち上がったザックがセイバードライバー(※旋回式ザックドライバー)で突き刺して3カウントを奪った。

マイクを取ったザックは「(※日本語で)藤波サン、今日はホントにありがとうございました。少し、英語喋ります。皆さんいいですか。(※以降は英語で)藤波さんとの試合は、プロレスを始めたときから夢に見続けていたドリームマッチでした。俺が16歳でデビューしてから藤波辰爾と闘えたこと以上に感激したことはありませんでした。ありがとうございました!(※以降はまた日本語で)ドラゴンスクリューは、オワッタ!ミギのヒザがオワッタ!ボク、キックは、ミギガワ!ドーシヨー(笑)藤波サン、来年55年。素晴らしいと思う。もう1回やりたい」と日本語と英語を織り交ぜながらリスペクトと感謝の気持を伝える。
藤波も破顔しながら「ネクストワン!」と再戦に前向きな姿勢を見せ、最後の記念撮影後にはザックに無我のタオルをプレゼント。ザックはそれを肩に羽織り、深々と頭を下げた。
大会を締めたあとの藤波は右ヒザを引きずっており、苦痛に顔を歪めながらも自力で歩いてコメント会場に登場。
「“たられば”だけど、もっと自分がいいときにね、彼とやりたかったな。うん。上手いね。まだ引き出しをいっぱい持っててね。今日は引き出し1つ、2つぐらいしか出してないんじゃない?(笑)それでも彼のレスラー人生の中で1つの夢を叶えてあげられたというのが。僕自身がまた現役としてリングに上がっている以上は、やっぱりいつもいつもタッグとかで、いろんな形でちょっと出ては引っ込みっちゅうことは絶対やっちゃいかんなっていうのを。時折、やっぱ自分が悲鳴を上げるぐらいの試合はしとかないと、ちょっと声を大にして現役ということは名乗れない。言えないんでね」とザック戦を振り返りつつ“現役”の矜持を語る。
右ヒザが最悪のコンディションでもこれだけの試合を見せられたことについては「西村がちょっと手助けしてくれたんでしょう。『藤波さん、ちょっと動きましょうよ』とか言ってね、彼がケツを叩いてくれたんでしょう。やっぱり誰かがどっかでね、意地を張らないと。僕らの先輩……要するに、猪木さんを筆頭にしてね、プロレスラーはどうしても夢を売る商売だから。今日いろんなところで『ありがとう』と言われたけど、こっちが『ありがとう』ですよ。皆さんが応援してくれてる、そういう部分では、自分の体力の続く限り、リングに立ちたいなっていう。“引退”の2文字は見えません!(笑)」と語り、西村さんへの想いとファンへの感謝の言葉を述べた。

その後、ザックがコメント会場に現れて藤波と合流。
ザックは時折日本語を交えつつ英語で「俺がレスリングを始めてから、この日が来ることを一日千秋の思いで待っていた。それが日本で、そして無我のリングで、無我の試合をすることで実現出来ただなんて、本当に夢のようだ。タノシカッタ!だから、この試合が唯一の機会とならないことを願っています」と再戦を熱望。
藤波が「ネクストワン!」と笑顔で応えると、ザックは「なんてこった!(笑)ゲンキ!あなたはとてもゲンキ!メチャクチャゲンキ!(笑)藤波サン、本当にありがとうございました!」とプロレスラーに憧れていた少年時代を思わせるはしゃぎぶりで喜びを表した。
















