「世界最強と互角に闘えることを見せつけた」日本を愛するイタリア人レスラーが日本最高峰の舞台で王座挑戦も戴冠ならず!

6日、東京都・大田区総合体育館にて新日本プロレス『旗揚げ記念日』が開催。フランシスコ・アキラがエル・デスペラードの持つIWGPジュニア王座に挑戦した。
アキラは2015年にイタリアのICWにて16歳でデビューし、2019年にTAJIRIの推薦で来日し全日本プロレスへ初参戦。以降は全日本の道場に住み込んでレギュラー参戦を続け、コロナ禍が訪れても帰国せずに日本での修行を続けた。
来日当時は線の細い少年のような体躯であったアキラだが、技術の進化とともに体格もみるみる立派に。2021年6月の全日本プロレス大田区総合体育館大会では悲願の世界ジュニア王座戴冠を果たし、「僕のジャパニーズドリームを成し遂げたぞ!」と涙していた。
初防衛失敗後はイタリアに帰国し、その後の2022年4月に新日本プロレスへ上陸。【UNITED EMPIRE】のメンバーとなり3度のIWGPジュニアタッグ王座戴冠を果たすなど実績も残してきた。
アキラは親日家の母を持ち、“アキラ”の名もリングネームではなく本名。日本語の学校にも通って勉強を続けており、現在では「さんをつけろよデコ助野郎!」と『AKIRA』のセリフと自らの名前をかけた煽りの言葉が口から出るほど日本語が堪能になった。
そんなアキラが初のIWGPジュニア王座挑戦。挑む相手はエル・デスペラード。デスペラードはアキラが全日本にいた頃からIWGPジュニア戦を行いたい選手として名前を出していた。
この大田区総合体育館はアキラがイタリア人で初めて世界ジュニア王者となった地。アキラはこの地でイタリア人初のIWGPジュニア王者となる決意を固めてデスペラード戦に臨んだ。

試合が始まると、アキラは首へのダメージを積み重ねて必殺のファイヤーボールへの布石を打っていく。しかし、デスペラードがカサドーラをぶっこ抜いてのニークラッシャーで流れを止めてマフラーホールド。
アキラは足を負傷しながらも場外へのムーンサルト・アタック、ノータッチ・トペ・コンヒーロ、三角飛びムーンサルト・プレスと立て続けに放っていくが足のダメージから追撃が遅れる。ヌメロ・ドスをカナディアン・デストロイヤーで切り返すひらめきも見せるが、無理がたたってすぐには起き上がれない。
それでもアキラは必殺のファイヤーボール(※後頭部へのランニングダブルニー)を発射するが、これを待ち受けていたデスペラードがスパインバスターで迎撃し、バックドロップからギターラ・デ・アンヘル。
デスペラードは「頑張ったなぁ」とマフラーホールドに捕らえながらのスパインバスターで叩きつけ、ヌメロ・ドス。さらにピンチェ・ロコを狙うが、着地したアキラが顔面にファイヤーボール。さらにファイヤーボールを決めるもカウントは2。アキラはもう1発ファイヤーボールを放とうとするが、既に足は限界。走ることもままならず転んでしまう。
デスペラードはピンチェ・ロコで叩きつけ、変形ドラゴンスクリューからヌメロ・ドス。自らの腕をクラッチしてさらに強く絞る変形ヌメロ・ドスに持ち込むとアキラが無念のタップ。
試合を終えたアキラは「これが俺のおとぎ話になると思った。そして今日がそのハッピーエンドになるのだと思った。けど違った。でもこれが夢を見ることの美しさだろう?時に夢を打ち砕かれて、現実に戻される。でも同時に、もっと強くならないといけないことに気付かされる。もし悲しみに嘆いて泣くフランシスコ・アキラを期待していたら、大間違いだ。今夜、俺は負けたかもしれないし、足を負傷したかもしれない。けど、俺はここで皆に世界最強と互角に闘えることを見せつけたんだ。今日、俺は王者になれなかった。明日も、王者になれないかもしれない。でもいつか、いつか必ず、王者になることを約束する」と折れぬ心を見せて前を向いた。