廃校のグラウンドでアントニオ猪木が憑依?!みちのくプロレスが広島の山奥で起こした“びんご安田の奇跡”

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 プロレスファンはこのところ、アントニオ猪木をさがしに映画館に足を運んでいるが、この日は猪木の魂がひとりのプロレスラーに憑依。あの伝説の秘技を永らく生のプロレスを観戦することのなかった往年のプロレスファンたちの前に束の間幻の姿を映した。

 秘技とは、1986年6月17日、年収世界一・大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントからアントニオ猪木がギブアップを奪ったその名もアンドレ(猪木アームバー)。きょうそれを広島県びんご安田の廃校となった小学校グラウンド中央特設リング、大観衆見守る中披露したプロレスラーこそ、みちのくプロレスの日向寺塁(35歳)だ。

 22日、みちのくプロレスびんご安田大会が旧安田小学校グラウンドで実施。みちのくプロレスが東北からフォッサマグナを越えてくることも稀なら、山また山に囲まれた単線が日に4本しか停まらないびんご安田でプロレス興行が開催されるのはこの日が初。
 地元の人々はもとより遠く関西からも多くのプロレスファンがつめかけ、会場の駐車スペースは満杯。キッチンカーにぐるりと囲まれたさながら秋祭りの如き会場のリング回りは、試合開始前には人また人の老若男女で埋め尽くされた。
 試合開始前にのはしたろうがリング上から客席に向かって「プロレスを見たことがない人」と呼びかけると、多くの人が手を挙げていた。

 セミファイナルでは、日向寺塁と大瀬良泰貴のシングルマッチが行われた。
 いつしか体格も日向寺と肩を並べて華も引けを取らない大瀬良だがプロレスラーデビューは日向寺から遅れること10年の2017年3月。デビュー戦は八戸市八食センターで、対戦相手は昨年メキシコ遠征中に2022年12月31日契約満了を以てみちのくプロレスを退団した川村興史。

 彼らがマットで繰り出す技の数々は往年のプロレスファンには馴染深いものばかり。華のある彼らのファイトにほどなく観衆は盛り上がり遠方から駆け付けたファンの声援も彼らを後押しし、闘いはヒートアップしていった。
 日向寺が大瀬良の腕を集中攻撃し大瀬良が劣勢に陥ると、観客席から大瀬良に激が飛び、呼応するように大瀬良も踏ん張った。腕攻めのクライマックスで日向寺が繰り出したのが、猪木アームバーだ。猪木憑依の日向寺、マットに押し付けられ苦痛に歪む大瀬良の表情とは対照的にどうだまいったかという自信に満ちあふれ、むき出しの闘魂まこと猪木そのもの。絶望的に決まっていた。
 だが猪木アームバーは決まり手にはならなかった。大瀬良が渾身の力をふり絞ってロープエスケープし、反撃に出る。スピーディな連続丸め込みからジャーマンスープレックスホールドに繋ぐがカウント2。日向寺がコーナーポストで大瀬良を捕らえセカンドロープからの雪崩式ブレーンバスターで叩きつけ、ダイビングエルボードロップでとどめ。珠玉の全力プレイを見せつけたふたりを大観衆が拍手と歓声で讃えた。

 歌舞伎の役者は世襲制だが、プロレスラーにそれはなく、ジーニアスは一代限りだ。だがその魂は、脈々として次世代に受け継がれ語り継がれる。
 闘魂は死なず。アントニオ猪木は、リング上で闘うプロレスラーの魂の中に生き続け、浮遊し、プロレス会場を渡り歩きときにプロレスラーに重なり合って姿を現す。
 びんご安田の奇跡。だが本当の奇跡は、プロレスとまったく縁のなかったこの山間の小さな町の廃校になった小学校のグラウンドでプロレス興行が開催され、かつまたそこに多くの観衆が集まったことだった。

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