難病・メニエール病と戦ってきた近藤“ド根性”洋史が約4年半の選手生活を終え引退!「いつか『近藤っていう選手いたな』って思い出して欲しい」

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 31日、神奈川県・とどろきアリーナで行われたHEAT-UP『障がい福祉青少年育成チャリティー大会~川崎炎上シリーズ とどろきの乱~』にて、近藤“ド根性”洋史が引退を迎えた。

 近藤“ド根性”洋史は、めまいや吐き気を発作的に繰り返してしまうメニエール病という厚生労働省で難病指定されている耳の病気と闘いながら28歳でプロレスラーデビューした遅咲きの苦労人。病気をド根性でねじ伏せながらプロレスラーとして活躍する近藤の生き様はメニエール病に苦しむ患者に勇気を与え、その活動はテレビ東京『生きるを伝える』でも紹介された。
 しかし、近藤の病状はド根性の限界を超えて悪化の一途をたどり、約4年間の現役生活に終止符を打つ決断を下していた。

 引退試合は、かつて近藤が「一番悔しい思いをした試合だった」と語る、今年5月のタッグ王座奪取に失敗した試合と同じカードでのリベンジマッチ。義兄弟の絆で結ばれた風戸大地とともに新井健一郎&ヒデ久保田の熟練ヒールタッグに挑んだ。

 ゴング前に近藤&風戸組がアラケン&ヒデ組を奇襲し、合体攻撃を交えて序盤から速攻を狙う立ち上がり。
 しかし、「引退試合だからといって花を持たせる気は無い」と断言していたアラケンは風戸を排除し、ヒデとの軽妙なタッチ回しで近藤へ代わる代わる反則攻撃を見舞っていく。さらにアラケンはヘッドシザースで首を、ヒデは極める変形の拷問コブラで全身をじっくりと痛めつけていくが、場内の大・近藤コールに応え、近藤はフライングショルダーでカウンターを決め逆転の狼煙を上げる。
 ここに風戸も加勢し、越中詩郎直伝のヒップアタックを連発し、場外ホームラン(投げっぱなしバックフリップ)、ピョン吉スプラッシュ(フロッグスプラッシュ)と風戸のファイナルカットを合わせた合体技と、自らの歴史を振り返り、一つ一つ確かめるかのような猛攻をかける。さらにアラケンへ垂直落下式ブレーンバスターからピョン吉スプラッシュ3連発も、アラケンが3発目を剣山で迎撃。そこへヒデがすかさずトラースキックで援護し、アラケンが必殺のジャンピング・パイルドライバーでマットに突き刺す。
 しかし、アラケンは敢えてフォールに行かず近藤に立つように促す。意識を失いながらもド根性だけで立ち上がろうとする近藤をヒデが抱きしめ、続いてアラケンも近藤を抱きしめる。いがみ合い、小馬鹿にし続けながらも同じリングで闘い続けてきた近藤を最後の最後で認め、アラケンはジャンピング・パイルドライバーで近藤を介錯した。

 バックステージに戻ったアラケンは、「プロレスラーの引退なんて誰も信用しちゃいけねぇぞ。『カムバックはない。これでキッパリ辞める』と言ってるけどよ、俺とヒデちゃんは40代半ばだぞ。なんで俺らがずっとリングに立ってるか分かるか?リング上っていうのはな、夢の中そのものなんだ。俺達はずーっと20年近く夢見っぱなしなんだよ。すべて夢の舞台なんだよ、近藤!お前はそこから足洗えるのか?!そんなもんで終わりかお前!カムバックしろ。待ってるぜ。でもよ、ただ普通にカムバックしたんじゃ面白くねえからな、こんだけ肌合わせたらよ(自らのツナギに触れながら)大体どんなもんかサイズ分かってるからよ、カムバックする気になったら、近藤にピッタリのこれ(ツナギ)用意してるからよ、サプライズ復帰待ってるぞ。もっといい夢見てぇだろこの野郎!俺達はまだ夢の中にいるぜ!まだまだ居続けてやる!」と近藤へ愛溢れる言葉を贈った。

 試合後の引退式でマイクを取った近藤は、「僕は正直、社会人で挫折し逃げ帰るように地元に帰ってきて、そんな中TAMURAさんと出会って、やられてもやられても立ち上がる姿にプロレスラーになることを決めました。その頃は本当にダメダメで、病気を理由に練習をサボったり、『どうせ自分なんか』って気持ちもすごく多く、心が折れたりしたのも何度もありました。でも、失敗を糧に這い上がってこれました。最後の試合も負けてしまいましたが、また一から努力して、負けを糧に努力すればいつか僕も勝者になれると思うので……プロレスラー近藤“ド根性”洋史はここで引退ですけれど、一人の人間近藤“ド根性”洋史として、皆さんにどんな形であれ勇気を与えられる人間になりたいと思っています。皆さん、5年とあまり長くはなかったのですけれど、幸せでした。本当にありがとうございました」と挨拶し、四方に向けて深々と礼。
 10カウントゴングの後には、この日一番の紙テープの雨が降り注いだ。

 引退式を終えた近藤は、「今日の引退試合は負けてしまいました。でも、また次のステップで『あのときの負けがあったから』って思えるようになりたいです。僕の人生は失敗ばかりでしたけど、失敗ばかりだったから自分を変えたいと強く思って、メニエール病とかしんどいことがあっても今まで逃げずにやってこれたんだと思います。今後の人生ではHEAT-UPで学んだことを生かして頑張っていきたいと思います」と穏やかな表情で語る。
 そして、最後に「声援も紙テープもすごい多かったし、ホントに『一生懸命頑張ってやってきて報われたなぁ』って思った瞬間でした。ファンの方、子どもたちの声援のおかげで僕はここまでこれました。いつかHEAT-UPがもっとデカくなったときに『昔、近藤“ド根性”洋史っていうスゴい選手が居たんだよ』って思い出して語り継いでいただければ嬉しいですね」と笑顔で語り、会場を後にした。

 近藤は、全てに於いて全力で挑む自らの生き方を“ド根性道”であると語っている。
 難病を抱えながらプロレスラーとして闘い続けてきた近藤の全力の“ド根性道”は、選手としての活動を終えたとしても多くの人をこれからも勇気付けていくことだろう。

<写真:鈴木“サモ・ハン”孝>

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