“2代目ミスター・ポーゴ”保坂秀樹さんが49歳の若さで逝去。師匠・大仁田厚が「俺より先に逝きやがってバカヤロー!」

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 保坂秀樹さんが8月2日午前3時32分、がんのため逝去した事を大仁田屋が発表した。

 保坂さんは19年夏の試合後に体調を崩し、同年9月に緊急入院。精密検査の結果、大腸がんで肝臓にもがんが転移していることが判明。同年10月に手術を受け、治療に専念していた。大腸がんは快方に向かっていたが、肝臓がんとの闘いが続いていた。6月25日にも手術を受けて自身のSNSで報告していたが、それ以降更新はなかったという。

 新潟県糸魚川市出身の保坂さんは関東学園附属高校時代、アマチュアレスリングに精を出し、インターハイなどに出場。高校卒業後、サブミッション・アーツ・レスリングで格闘技の修行を積み、91年8月7日、W★INGプロモーションの後楽園ホール大会で格闘家として初マットを踏んだ。PWCで弁慶のリングネームでプロレスデビューを果たし、FMWに移籍後、頭角を現してメインイベンターに成長。インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級、WEWハードコアタッグ王座などに戴冠。同団体を退団後は全日本プロレス、ZERO1などでファイト。12年以降は師匠である大仁田のパートナーとして活躍し、FMW認定世界ストリートファイト6人タッグ王座にも就いた。19年8月18日、大日本プロレスの大阪・すみのえ舞昆ホール大会が最後の試合出場となった。

 師匠である大仁田は「俺より先に逝きやがってバカヤロー! 保坂選手は本当にいいパートナーだった。闘病生活をしていて、たまに電話で話していた。1ヵ月ほど前に入院して手術を受けたと聞いたけど、それから連絡はなかった」と悲痛のコメントを発表した。
 前日まで意識はあったが、その後、容態が急変したという。享年49歳の若さだった。

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