永田裕志が2月に亡くなった“平成のプロレス仕掛け人”永島勝司の追悼トーク!「どんぶり勘定時代の新日本プロレスを躍進させた偉大な方」

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 5月24日、池袋駅直上にあるヨドバシHD池袋ビル(西武池袋本店)9階屋上特設会場にて『“平成のプロレス仕掛け人”永島勝司最後の仕掛け!池袋屋上プロレス』が開催。永田裕志が来場し、永島勝司さんとのエピソードを語った。

 永島勝司さんは新日本プロレス時代にアントニオ猪木さんとの北朝鮮『平和の祭典』や『UWFインターナショナル対抗戦』『日米ソ三国対抗マッチ』『アントニオ猪木引退試合』を仕掛け、“平成のプロレス仕掛人”として名を馳せた。退団後は長州力とWJを旗揚げし、活動休止後に内外タイムス編集長を経て、2016年から今年2月に亡くなるまでバトル・ニュース編集長を務めた。
 この日はWJデビューの中嶋勝彦や永島さんらが新日本参戦の手引をした田中稔などによるタッグマッチや、永島さんが最高顧問を務めていたDDTプロレスのユニットnWJ最終試合などが行わる中で永田裕志のトークショーが行われた。


 バトル・ニュース初代編集長の佐瀬順一がMCを務め、永田は長州力の付き人時代にサイパンや猪苗代合宿でよく一緒にいたと語り始める。北朝鮮興行(1995年4月28日・29日『平和のための平壌国際体育文化祝典』)やUインターとの対抗戦について触れ、自身はその対抗戦で株をあげアントニオ猪木さんにも褒められたと当時を振り返る。
 永島さんは永田を自分の横に置いて仕掛け人として育てようとしていたと言うが、永田は悪魔の囁きにのらずに現在もプロレスラーとして現役を貫いている。WJにも誘われることはなかったといい、WJ崩壊後の内外タイムス時代にコラムを書いていたことで永島さんと最接近。最近は電話だけの関係になってしまったというが、『裕志も早く引退して、オフィスに入って、何か一発打ち上げ花火を上げろ』と参謀として呼び込んでいたという。

 最後に永田は「どんぶり勘定時代の新日本プロレスをうまく、いろんな企画を練って、良くも悪くも会社を上昇させようと色々働いてくれた方です。今の新日本プロレスの社風と、当時の新日本プロレスのイケイケドンドンの社風は全く違う。その中で、永島さんだからあの時代新日本プロレスというものを躍進させた。北朝鮮行ってロシアも行き、猪木さんの参謀として、長州力さんの参謀として、本当に新日本プロレスを躍進させるために動かれて偉大な方だと思いますよ。平成の仕掛け人が永島さんであり、昭和の仕掛け人は新間寿さんであり、その2人がね、今年になってお2人ともお亡くなりになられてしまった。なんかほんとに一つの時代が終わったのかなと、すごい寂しい思いもあります。永島さんはほんとに新聞社あがりで、その中で独特の感性をお持ちの方で、それが猪木会長に見初められて『東京スポーツを辞めてうちにこい』と言ってもらえたことでいろんな活躍をされた方です」と永島さんを語り、「1,2,3,ゼァ!」で追悼した。

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