WJデビューの中嶋勝彦が“平成のプロレス仕掛人”永島勝司追悼イベントで感謝!「長州さん、永島さん、この2人がいなければ僕はこのプロレス界に生まれていません」

5月24日(土)13時より、池袋駅直上にあるヨドバシHD池袋ビル(西武池袋本店)9階屋上特設会場にて『“平成のプロレス仕掛け人”永島勝司最後の仕掛け!池袋屋上プロレス』が行われた。
永島勝司さんは新日本プロレス時代にアントニオ猪木さんとの北朝鮮『平和の祭典』や『UWFインターナショナル対抗戦』『日米ソ三国対抗マッチ』『アントニオ猪木引退試合』を仕掛け、“平成のプロレス仕掛人”として名を馳せた。退団後は長州力とWJを旗揚げし、活動休止後に内外タイムス編集長を経て、2016年から今年2月に亡くなるまでバトル・ニュース編集長を務めた。
WJでデビューした中嶋勝彦がこのイベントにいの一番に参戦表明し、エル・リンダマンと組み田中稔&今成夢人と対戦。現在LIDET UWF王者である中嶋とスピリット・オブ・ガンバレ世界無差別級王者である今成がバチバチとエルボーでやりあい、中嶋のシャッターチャンスやサッカーボールキックに会場が沸く。
だが今成がリンダマンに、稔が中嶋にコブラツイストを仕掛けて捕らえ、逃れたリンダマンが熊殺しを狙ったところを今成が胴絞めスリーパー。中嶋がカットしようとするも稔がスリーパーで捕らえて動きをとめ、ここで時間切れドローとなった。

試合を終えて真っ先にマイクを持ったリンダマンが「。今日ここにいる4人は、永島勝司さんにゆかりのあるメンバーばっかりだ。全員言いたい事あると思うから1人ずつ喋ってもらうぞ。オイ俺もよ、永島さんに対して知られざるエピソードがある。本邦初公開だ・・・永島さん、はじめましてエル・リンダマンです。僕から話す事はもう、何もありません!じゃあ次!お前喋れオラ!」と今成へマイクを渡す。
今成は「よーし!永島さん、僕はね、永島さんの手掛けるプロレスに多大な影響を受けてきました!始めてプロレスを観戦したのは、(1998年)4・4アントニオ猪木引退興行です!それも全部、ナガシマ企画によるものです!世にいろんな企画物がありますが、一番すごいのはナガシマ企画です!一番スゲーのはゴマシオなんだよ!俺は常にそういう気持ちをもって、永島さんの手掛けるプロレスに影響を受けてきました。貸した1万円は戻ってきませんでしたが、今日永島さんのもとに、これだけすごいプロレスラーの皆さんと一緒に闘えて、私は光栄です!今日はありがとうございました!」と感謝。
中嶋は「永島さん、年末、ほんとに電話したばっかりでした。あなたが、僕が中学校3年生だったかな?空手道場に来ていただいて、僕の練習を見て、そして僕をスカウトしてくれました。長州さん、永島さん、この2人がいなければ僕は、このプロレス界に生まれていません。本当に感謝しかありません。ありがとうございました!」と天に向かってコメント。
最後に稔が「俺は、26歳、キャリア5年目の時に、新日本プロレスに初めて上がって、そん時に長州さんと永島さんに誘っていただいて新日本プロレスに移籍して、そっからプロレスラー人生がかなり大きく変わったんでね。やっぱり永島さん長州さん、ものすごい感謝があるんで、まあ今日永島さんね、どっかで見ててくれるんで、今日はみんなで1,2,3,カテェで、しめようと思ったんですけど、まだ第1試合なんで、このあとまだ永田さんのトークショーだったり、もう1試合あるんで、最後までガッチリ楽しんで、バンバン盛り上がって帰ってください。今日はありがとうございます」としめ、4人で腕をあげて永島勝司さんの遺影と親族へとアピールした。
その後永田裕志のトークやDDTプロレスによるnWJ最終試合などがあり、最後は涙雨が振り始める中追悼の10カウントゴングで幕を閉じた。