女子プロレスマガジン リレーコラムSEASON2 『#22 千春~元祖女子高校生プロレスラーから団体代表へ~』
- 2023-12-2
- コラム, 女子プロレスマガジン リレーコラムSEASON2
- hotシュシュ, 千春
はじめまして!元祖女子高校生プロレスラーとしてルーズソックスを着用して試合をしていた千春です!!!
デビューは1997年ということで、女子高校生ブームがとてつもなかった時代。運良くマスコミさんからは注目をしていただきましたが、学生がプロレスをするなんてとんでもない時代。
同業者に挨拶をしても無視される事は少なくありませんでした。
怖かったし、悔しかったし、当時の自分を抱きしめてあげたいくらいです。
私がプロレスラー好きになったきっかけは、プロレス好きの父の影響です。
地上波で中継がある時代でしたので、父と一緒に子供の頃にテレビで見ていました。
クラッシュギャルズvs極悪同盟 はとくに夢中になって見ていました。
だって、お客様がゴミを投げつけながら「帰れ!帰れ!」と言っているのに、極悪同盟さんは帰らないのです。
「この方々はこんなに言われても帰らない!強い!私もつよくなりたい!」と、幼心にとても衝撃を与えてくださいました。
実際に「プロレスラーになりたい!」と思ったきっかけはまた別にありまして…
小学校六年生の頃、近所に全日本女子プロレスさんが来るとポスターで知りました。
こども立ち見1000円(だったと思います)クラスメイト達と10人くらいで観戦に行き、井上京子選手の技や場外乱闘や、もうそれは言葉に出来ないほどの電気が身体中に走りました。
お尻がふわふわ浮いているような感覚です。
帰宅したら即筋トレをスタート。もともと運動は苦手でしたが、京子さんを思い浮かべて必死に筋トレをしました。
翌日には井上京子選手の写真を持って美容室へ行き、黒髪ロングをバッサリ。
中学生時代は井上京子選手の追っかけ。同世代の女の子達と一緒に、本当に楽しい時間でした。ちなみに、その追っかけ仲間には、タニー・マウスさんもいたのですが、ご本人は当時の私を覚えていてくれませんでした。笑
色々なことがありながらも、中学三年生で総合格闘技木口道場の門下生になり、高校2年生でプロレス団体SPWFに谷津嘉章選手にスカウトをされ入門、1年間の練習生期間ののち、高校3年生でプロデビューをしました。
その後はフリーになり女子格闘技に参戦したり、NEO女子プロレスに参戦したり…と、大好きなプロレスが出来る事に喜びを感じていたのですが…
2005年に自分の不注意により試合中に怪我をしてしまいました。
眼窩底骨折とその近辺をチラホラと…
すぐ復帰するつもりでいたので、お医者様が「運動して良い」と言う前に、痛みが消えた時点でこっそり練習を再開してしまいました。
先輩には「軽くなら大丈夫ですー」とか言ってリング練習したり。
身分を隠して「極真空手」に行ったり…
その結果、最初よりも酷い状態になってしまい、ドクターストップ、引退となってしまいました。未だに後遺症もあり、あの時焦って練習を再開した自分をぶん殴ってやりたいくらいです。
皆様、お医者様の言うことは聞きましょうね。
大好きなプロレスは出来なくなった…
それでもプロレスに関わりたい、井上京子選手の近くにいたい!
私に何が出来る?
ということで、リングアナウンサーの道に進むことを決意。
NEO女子プロレスのリングアナウンサー石田亜矢子さんに指導をしていただき、ボイストレーニングに通い、プロレスラー引退後4ヶ月でリングアナウンサーとして業界に復活しました。
元々滑舌は悪いので、原稿をいただいたらまず息子と2人でカラオケBOXに行き練習をしました。3時間も4時間も練習に付き合い、ひたすらアドバイスをくれた息子に感謝です。
という感じで、NEO女子プロレスのリングアナウンサーになったものの、まだまだ半人前リングアナウンサーの時点で、NEOが解散になり…決してネガティブな解散ではなく、素晴らしい大会で幕を閉じた訳ですが、リングアナウンサーとして中途半端な私はどうしよう…と、悩み落ち込みました。
その後2年間のフリーののち、アイスリボン所属のリングアナウンサーになることが出来ました。
当時のアイスリボンは皆キャリアが浅く、私に頼ってくれたり、相談してくれたり、甘えてくれたり、反抗期をぶつけて来てくれたり…それはそれは刺激的でした。
リングアナウンサーで所属になったのに、一発目の仕事がレフェリー。
何故よ!と、思いながらも、大好きなプロレス界で仕事が出来ることを幸せに感じました。
そんなこんなで、アイスリボン所属10年。
あっという間の10年。
私はアイスリボンを退団するという決意をしました。
そして、アイスリボンと同じ会社であるネオプラスで、もう1団体立ち上がることになりました。プロレスラーデビュー当時から、私の夢は自分が代表を務める団体を持つこと。谷津嘉章選手はプロレスラーでありながら代表でしたので、その背中を見て思った事。
うわぁー長くなって申し訳ございません。
あともう少しお付き合いください。
「hotシュシュ」という名前で団体を旗揚げするのですが
ice⇔hot リボン⇔シュシュ ということで、姉妹団体だけれどライバル、真逆の道という意味も込めているのですが…実はいつかのエイプリルフールで当時レフェリーの斉藤一二三が「アイスリボンってホットシュシュに改名するんだよ!」と、選手を騙すために口にしたワードでもあるのです。
「hotでdeepな個性派集団」「大人に夢を…」を合言葉にコツコツと努力はしているので、選手の成長はとてつもなく早いです。
プロレスラーとして実績のない私が団体を立ち上げて、そこに来る人間って、その時点で最高じゃないですか?
ゆづき…現役レズビアン風俗女NO.1。YouTubeチャンネル「田村様とタニー。」のお手伝いで道場に来たところを私がスカウト。私が落ち込んだ時に的確なアドバイスをしてくれる頼りになる存在。
サマス…謎のマスクマン。正体不明。ですが、本人がhotシュシュの門を叩き入団。子供たちからの人気が強く、hotシュシュのヒーロー。
佐藤洋平…元ジュノンボーイ。ドラマにも出演。現在は芸能事務所TAPに所属し、お笑い芸人としても活躍。とにかく顔が良い‼
桐生健豊…現役高校生。初めて私がコーチをする運動サークルに参加した時に、この子にプロレスを教えたい!と強く思いスカウト。現役高校生としてデビューをした私が、初めて男子選手を指導するのが現役高校生って、運命を感じちゃいます。
皇耀…ちょっと血の気が多いので最高!努力家、常にプロレスの事を考えている。オーバーワークし過ぎないか、突然プロレスが嫌いになるんじゃないか…と、現時点で私が不安になるほどストイック。自ら会社を経営していたり、過去に様々な社会経験をしている為、頼りになる存在。
chou・chou(シュシュ)…16歳。X(旧Twitter)では生意気な発言も多く、私に叱られることも多々あるものの、マスクとコスチュームの可愛さで人気者。動きもスピーディー。桐生健豊と「スイートシックスティーン」というタッグチームで活躍中。
Lily(リリー)…格闘技経験者。入場時のバトンとコスチュームは、なんと私のもの。使う技も私と同じ。押し付けたわけではないのです‼ちなみに誕生日も私と同じ4月12日。これからLilyはどんな戦いと表情を見せるのか…ワクワクが止まりません。
芭奈子(ばなこ)…バナナ頭の芭奈子。hotシュシュ旗揚げ戦終了後のチェキ会で私の列に並び「千春さんのもとでプロレスラーになりたい!」と直談判に来た素敵な存在。どんな厳しい練習にも耐え、試合毎に成長と粘りを見せてくれます。
キク…アイスリボンからの移籍。私も子育てをしながらプロレスラーやリングアナウンサーをしてきたので、その大変さはわかります。アイスリボンで引退を考えていた彼女の力に少しでもなれたら…と思いました。皇耀とのタッグは華やかで息も合い、これからがとても楽しみです。
ジェーク・ブラドック…入団したいと、きちんと履歴書を持って面談をしたのに言葉の壁なのか、私と上手くコミュニケーションが取れなかったのか、突然乱入をし、暴れまくる悪の化身。最近では横山佳和選手とミス・モンゴル選手と「JKG」というユニットを勝手に組んでhotシュシュでめちゃくちゃに暴れています。迷惑ではありますがそのお陰で私が子供の頃に衝撃をうけた「帰れ!」コールもhotシュシュで聞けるようになりました。
スーパーバイザー兼コーチ田村欣子 タニー・マウス…私が大好きな先輩で、頼りっぱなしです。YouTubeチャンネル「田村様とタニー。」のチャンネル登録よろしくお願いいたします!
hotシュシュに練習生が0人の時からリアルで追いかけてくれたhotシュシュリストからご覧いただけると幸いです。
まだまだな団体です。
ピンチなことばかりです。
でも、私はピンチは楽しむもの!だと思っています。
長くなりましたが、是非、hotでdeepな個性派集団「hotシュシュ」を体感しにいらしてください。
年内最終戦
2023年12月24日(日)18:00~
レッスル武闘館
チケット3000円です。
皆様お待ちしております!!
このような素敵なコラムに、私をご指名いただきありがとうございました。
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