【コラム】諏訪魔、大森隆男、和田京平、木原リングアナ、神林レフェリーの証言で綴る、全日本プロレス『10年目の』東日本大震災

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2011年3月11日。

その日、全日本プロレスは東北巡業初日。宮城県石巻大会へ向け、日本人選手を乗せたバスは早朝に横浜の道場を出発した。

そして、14時46分。

「バスに乗っていた皆の携帯地震アラートが一斉に鳴ったんですよ。当時はまだ聞きなれない音に最初は皆『なんだこれ?』って言ってたら一気に揺れ始めて。バスは高速を走ってたんですけど、もうとんでもなく揺れて揺れて。高速道路が崩れるんじゃないかと思った俺は『死ぬー!』なんて本気で騒いじゃったんですけど。高速周囲のパイプが割れて水が噴き出して、凄い光景に一気に変わった」(諏訪魔)

「そのとき、バスは石巻まであと10Kmほどの距離にいたはずです。地震が起きて、バスの中は大変な状況でした。揺れに揺れて。ビックリして立ち上がっても、立っていられなかったほどでした」(大森隆男)

「石巻まであと30分ほどだったのかなあ?いきなりバスが『跳ねた』んだよ。俺はつい運転手を『テメエ、どんな運転してんだ!』って怒鳴りつけちゃったんだけど。窓の向こうには高速からの田んぼが見えてて、電信柱がムチャクチャ揺れてんです。高速の軽トラもビョンビョコ跳ねてて。これはただごとじゃないぞ!って」(和田京平レフェリー)

そのとき、日本人選手バスより早めに道場を出発し、すでに石巻入りしていた関係者らもいた。外国人選手を乗せたバスの一行と、先乗りして会場設営をしていたリングトラック組である。

「あの日は東北シリーズの初日で、石巻へ向かってたんです。その何日か前に北海道で大きな地震があって。イヤな予感はしてたんですけど。いま思えば、東日本の上の方が崩れ始めていたんですね。数日後、外人レスラーの世話係を兼ねてたボクも外国人用バスに乗って東北へ向かいました。東北道を石巻へ。そこで、生まれて初めて地震アラートの音を聞きました。『大きい地震が来るぞ!』と叫んだ瞬間、ドーン!でした。そのときは仙台東部道路を走ってたんですけど、凄まじい揺れが来まして。軽のミニバンとかは倒れて、高速道路は地割れして。同乗してたある外人レスラーは母国で地震にあった経験がなくて、生まれて初めて喰らったのがあんな大地震だったから狂ったように叫んでバス中のカーテンを引きちぎって。パニック状態になっちゃったんですね」(木原文人リングアナウンサー)

そして、石巻の会場で設営をしていたリングトラック組の証言。

「会場設営が終わって、弁当が届くのを待ってたときでした。みんなダラダラしてるとき、突然縦にドーン!ときまして。次の瞬間にはとんでもない横揺れです。一応地震アラートは鳴ったんですけど、その直後にすぐさま来たんです。体育館がもうワサワサ揺れて。誰かが『外に逃げろ!』って叫んだんですけど。そのときはもう、何かに捕まってないと立ってられないほどの揺れでした。それでもなんとか外に出ると、体育館の前の地面が割れてて。映画みたいでしたよ。2・3分して揺れが弱まり会場の中に戻ったんですけど。もう会場の鉄骨は折れてるし、水銀灯は落ちてるしで。メチャクチャの壊滅状態でした。揺れてるときリングがどうなってたか?そんなもん、見てる余裕なんてまったくなかったです」(神林大介レフェリー)

大きな揺れはなんとか収まり。命を繋ぐために、それぞれの行動が始まった。

「バスの中のテレビをつけて状況がだんだんわかってきたんです。バスは下道には降りないで、いちばん近いインターの出口のスペースに止まって。そこから見える光景からは、被害状況はよくわかりませんでしたね」(諏訪魔)

「バスの中のテレビを見て、初めて状況を理解した感じでした。それから現場入りしてる先乗り部隊と連絡して。きょうの大会は中止になったと聞いて。その瞬間『ただことではない』と本当に実感しました」(大森隆男)

「運転手さんに『高速降りたら死んじまうから降りずにこのままいろ!』って叫んだんだよ。石巻って低いんで。会場は山の上にあるけど、あと30分も走ったら海の高さの石巻だから、ここで状況調べようって。そしたら今度はバスのテレビに津波情報が出てきて。仙台空港が津波に流されて『石巻いったら俺たち流されちゃうぞ!』って。なにせ石巻まであと10Kmなんだから。30分も走ったら石巻。このままここで待ってようって。高速でずっと待機することにしたんだよ」(和田京平)

「たまたまバスにパネルが積んであったんです。それを地割れした部分へ橋げたの代わりにして走りました。僕らが橋げたで繋いだ道で高速の出口から降りて行った人たちもいたんですけど…それがちょうど被害の大きかった若林区のあたりで。あの人たちはその後大丈夫だったのかなあ?と、いまでも気になってしまいますね。高速で怪我してた人もいたので、彼らを乗せて病院まで連れて行きました。病院では皆さん『このままここにいたほうがいいですよ』と言ってくれたんですが、僕には虫の知らせがあったというか。とにかく高い所へ逃げようと。あとになって、その病院も一階は水没したと聞きました。そのまま病院にいたら死にはしなかったと思うんですが、バスは確実に使い物にならなくなってたでしょうね。で、地図を見て直感で『ここに逃げたらいいんじゃないか』と。松島の山の上を目指しました。だけど、僕はまっすぐ松島へ行けと言ったのに、なぜか運転手がその後に甚大な津波被害を受ける塩釜の方へ向かったんです。すると今度は津波警報の音が鳴って。運転手に『ここはやばい!とにかく速度出して走れ!』と言ったら『警察に捕まる!』と。『そんな場合じゃないだろ!』って。そのとき塩釜の海辺を走ってたんですけど、いまにして思うとやたら潮が遠かったし、船も遠くに見えてたんです。それは津波が来る直前の状態で。とにかく山に登れ!と。で、なんとか登ったら地元のトラッカーがいっぱいで。だけどどのトラックにも運転手が乗ってないんです。みんなどこにいるんだ?って。みんな、断崖の海を見にいってたんです。そしたら『きたぞー!』って聞こえてきて。海っぺりの断崖だから、街も道もないので何も飲み込まれてはいないんですけど、とんでもない津波が来て。それはもう岸壁がえぐり取られるほどの。これは断崖が削り取られてそのまま落ちるんじゃないか!?と」(木原文人)

そのときだった。不思議な現象が起きたのは。

「信じられない現象が起きたんです。それまで晴れてた空がいきなり真っ暗になって、雪が降ってきたんです。それまですごく晴れてたのに。そして、断崖に津波が押し寄せてくるとき、空が真っ暗になりました。この世の終わりかと思いましたよ。そして、いきなり凍えるほど寒くなってきたんです。本当に、どれもいきなりでした」(木原文人)

そして実はもうひとつ不思議なこと…いや、奇跡のようなことが起きていた。日本人バスに乗車していた彼らは、もしかすると津波に飲み込まれていたかもしれないのである。『あること』が起きなければ。その『あること』とは…

「朝、道場からの出発時刻にKENSOが30分ほど遅刻してきたんです。もし彼が時刻通りにきていたら、かなり危険だったはずです」(大森隆男)

「あのとき、KENSOが30分遅れたから助かったんだよ。遅れてきたとき俺は文句言ってやったんだけど。地震のあとは『お前がいてくれて助かった!』って、感謝しちゃったね。そうそう、あの日は確か近藤(修司)が電車で来てたんだけど、一本乗り遅れたらしくて。そしたら本来乗るはずだった電車は津波で流されちゃったんだって。奇跡が起きて、俺たちは守られたんだな」(和田京平)

そして、それぞれが不安な夜を迎える。

「インター出口に避難して。バスのテレビでニュース見ながら朝までずっとそこにいました。エンジンはかけっぱなしで。ガソリン切れたらやばかったんですけど」(諏訪魔)

「その日はバスで車中泊でした。水だけはあったので、それを皆で配って」(大森隆男)

「(鈴木)みのるがコストコで買ってきた水が山のようにバスに積んであってさ。あいつがそれ買ってきたとき『そんなに水なんか買ってどうすんだよ?』って言ったんだけど、あの水があって本当に助かったよ」(和田京平)

「山崩れの情報も入ってきてたし、バスの運転手はもうこれ以上走りたくないと言うので、皆で歩いて山の上へ向かおうとしたんです。そしたらどこからかクラクションが鳴って。自衛隊でした。なんでプロレスラーがこんなところに?と言うので、津波から逃げてきました、と。塩釜は全部埋もれたと聞かされました。で、この先に臨時の警察と自衛隊の基地を作ると。そこがたまたま、僕が地図を広げて目指した場所だったんです。そこで最新情報を仕入れたので、バスの運転手も気を取り直し仙台へ向かうことにしました。しかし停電で信号はついてない。ときどき地震もくるし。それでも三井アーバンホテルをとってあったので時間をかけて向かいました。仙台市内まで来て電話すると、なんとか繋がった。だけど『部屋はあるけど被災者ばかりで布団がありません』と。どうしようかと話していたら、阪神大震災の経験もあった選手が『こんな市街地にいるとビルが倒れる可能性があるので危険だ』と。なので僕が地図を広げて、またも直感で安全そうな広い平原のような場所へ移動して、そこで一夜を過ごしました」(木原文人)

「どこへ移動するわけにもいかないので、リングや椅子を片して体育館に泊まりました。だけど翌朝、体育館の人に『すみませんが出て行ってください』と言われて。ここは遺体安置所になるから、と。プロレスをやるはずだった会場が、遺体安置所になってしまったんです…なので避難所になってる近くの高校の体育館に移動しました」(神林大介)

東京へ戻る道のりは困難を極めた。

「高速が機能してないから下道で20時間くらいかけてゆっくりゆっくりしか帰れなかったんだけど。みんなもう腹ペコペコで。だけどコンビニに入っても停電してて真っ暗で人でごった返してるし、食料は買い尽くされてるからお菓子やアイスしか売ってないの。だから、みんなお菓子でやりすごしました」(諏訪魔)

「通行止めはなかったんですけど、どこも停電で真っ暗だったので、コンビニに入ってもレジも動かないしで、お店の人は電卓で計算してましたね。途中に壊滅してるほどの街はたまたまありませんでしたけど、崩れた家や給水車や人々の行列な光景は何度も見ました」(大森隆男)

「しかし日本人って凄えなあと思ったのは、みんなコンビニにのレジでちゃんと金払おうと列作って並んでるんだよ。そんなもん、国によっては金払わずに逃げそうなもんじゃない。その光景見て日本人って凄えなあ、と思ったね」(和田京平)

東北巡業は当然全戦中止となったが、シリーズ最終戦には両国国技館大会が控えていた。

「そのシリーズは中止になったんだけど。最終戦の両国でKENSOとの三冠戦があったんです。開催するかしないかで、世間的にもかなり議論が巻き起こりました。だけどやっぱり『こういうときだからこそプロレスで皆を元気にするべきではないか』という会社の判断になりまして。万全の対策をして、電力も自家発電で、なんとか大会を無事に終えたんです。本当に、日本中が大変でしたね。あのときは」(諏訪魔)

あれから10年。あの未曽有の大災害を、我々は決して忘れてはならない。

※写真は全て神林レフェリーが被災時に現地で撮影したものを掲載いたしました

文…日々樹アキラ

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