【コラム】チャンピオン・カーニバル開幕直前!いま考える『全日本プロレスの求心力』

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全日本プロレスは1972年10月22日ジャイアント馬場さんによって旗揚げされて48年の月日が経つ。
かつてジャイアント馬場さんは名プロモーターとしても腕を振るい、NWAやAWAの大物外国人選手が大挙して来日した。
あの顔触れを揃える事は、当時世界中で全日本プロレスのリングでしかありえなかった…と、今でも称されるほどだ。
世界に誇る求心力がそこにあった。

そんな時代から数十年が経ち、馬場さんは鬼籍に入り、社長も何度も変わった。
選手の大量離脱など、度重なる苦難にも見舞われた。
選手として馬場さんを知っているのも、今では渕正信と大森隆男の二選手のみだ。

昭和から平成、そして令和へと時代は流れた。

しかし、その中でも確実に残されているもの、変わらないものがある。

それは全日本プロレスという団体の求心力である。

危機的状況に陥っても、その都度全日本プロレスが蘇ることが出来たのは、さまざまなリングから集まってくる大きな野望を持った男たちの存在なしには語ることはできない。
その理由は一概には言えないが、全日本プロレスの持つ歴史であったり、ブランド・ネームバリューであったり、憧れだったりする。

現在団体の顔とも言える宮原健斗も、2008年に健介オフィスでデビュー後、同団体を退団直前である2013年8月全日本プロレスのリングに来場し本格参戦、2014年1月1日付で所属選手となった。

全日本プロレス所属前の宮原は、なぜ全日本プロレスだったのだろうか?
そしてその目に全日本プロレスはどのように映っていたのであろうか?


宮原「全日本プロレスファンだったこともありますが、最終的な理由は『直感力』ですね。物事を決める際に、僕は常に『直感力』を大事にしていますから。全日本プロレスのことはプロレス界の中でも、伝統と歴史のある唯一無二のリングだと思っていました。ただちょっと華のある選手が少ないかなという印象でしたね。だから華しかない宮原健斗が全日本プロレスのエースになることは、『プロレスの神様が決めていたのかもしれないな』と本気で思っていますよ。」

現在、諏訪魔とのタッグチーム『暴走大巨人』として東スポプロレス大賞で最優秀タッグチーム賞三年連続受賞している石川修司も、DDTプロレスリングデビュー、ユニオンプロレスやフリーランスを経て2019年1月2日に所属となった。
石川には全日本プロレスはどんなものだったのか?

石川「ジャンボ鶴田さんを見てプロレスファンになった私にとって、プロレス=全日本プロレスでした。」

2013年に武藤敬司ら所属選手の大量離脱があった。
その後厳しい状況が続いた全日本プロレスにおいても、新たな芽吹きがあった。
2014年に入門とデビューを果たした青柳優馬だ。

青柳「僕にとって全日本プロレスは、非現実なくらいデカくてゴツくて…。大量離脱の時だったからこそ『チャンス!』と思い、履歴書を用意しました。それでも一度入門テストに落ちましたが…。」

現在進行形でフリーランスとして全日本プロレスに上がり続けている選手もいる。
世界最大のプロレス団体・WWEでその名を世界に広めたTAJIRIもその一人だ。
時として全日本プロレス道場でのコーチも務めることもあるというTAJIRIはこう語る。

TAJIRI「僕がWWEに所属していた頃は、ネームバリューで言えば世界トップレベルだったと思いますよ。当時現場を仕切っていたジョニー・エースが事あるごとに『オールジャパン、オールジャパン』と口にしていたので、あの頃のスーパースターには今でもその事が刷り込まれているはず。外国人からしたら、サムライが道を歩いているのを想像して日本にやって来て、もちろんいなくてガッカリするんだけれど、でも全日本プロレスのリングにはやっぱりいた!みたいな…ちょっと抽象的なんだけれど。」

世界中のレスラーにとっても、全日本プロレスは特別なモノなのだ。

8月30日に後楽園ホールにて開催された世界ジュニアヘビー級王座戦の後には、今年6月にZERO1を退団したばかりの日高郁人が突如来場し、同王座に挑戦表明。
今回が全日本プロレス初参戦となるその心の内はどのようなものだったのか?

日高「20年以上前、全日本プロレスの会場に池田大輔さんを迎えに行ったときにジャイアント馬場さんにご挨拶をしたことがありました。唯一上がったことのなかったメジャー団体で、ずっとここで試合をしたかったです。世界ジュニアの奪取に向けて整えていきます。日高郁人を観たことがないお客さんもいると思うので、楽しみです。びっくりさせます。年齢なんてただの数字よ。」

キャリア24年目のベテランもジュニアの至宝を虎視眈々と狙っている。

最後に、本田竜輝にも話を聞いてみた。
本田は2018年9月にWRESTLE-1にてデビューし、同団体の活動休止に伴いフリーランスに転向した。
8月シリーズ中、大森隆男にトライアウトを直談判し、9月シリーズへの参戦を決めた。

本田「もう後がない自分にとって、トライアウトというチャンスをいただいたので、とにかく全力で取り組みました。全日本プロレスは自分よりも何倍もデカい人たちが沢山いるので、自分も身体を大きくし一日でも早く対抗できるよう頑張ります!」

9月12日に開幕するチャンピオンカーニバルでは、一度は飛び出して全日本プロレスに帰ってきたジェイクリーや、アンファンテリブルを率いてWRESTLE-1からやって来た芦野祥太郎も凌ぎを削る。

それぞれがそれぞれの場所から、これでもかと野望をメラメラ燃やす。

野望を胸に、男たちは今日もまた全日本プロレスのリングに向かう。

文:鈴木みたらし

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