天山広吉とグレート-O-カーンの因縁戦は2分半でノーコンテスト!「会社の役員に『引退前の天山に最後の花をもたせてくれ』と頼まれたが止めだ!貴様から全部奪ってやる!」
25日、東京都・後楽園ホールにて新日本プロレス『Road to THE NEW BEGINNING』が行われ、天山広吉とグレート-O-カーンの因縁戦が二夜連続でノーコンテストとなった。
新日本プロレスが1月6日に行った『NEW YEAR DASH!!』TDCホール大会において、ウィル・オスプレイ&グレート-O-カーン&ジェフ・コブvs天山広吉&小島聡&辻陽太による6人タッグマッチが行われ、試合後にオーカーンが天山へ掟破りのモンゴリアンチョップ連打からTTD(天山殺し・ツームストン・ドライバー)で処したことにより、天山はリング上で担架に乗せられ首と身体をしっかり固定されて搬送されてしまう。翌日には天山が軽症であったことがアナウンスされるも約3週間の欠場に追い込まれる事態となった。
そして23日の大田区総合体育館大会で天山が復帰することが発表され、23日~25日の三夜連続で天山広吉&小島聡vsウィル・オスプレイ&グレート-O-カーンのタッグ戦が行われることに。
23日の復帰戦では、オーカーンが天山の古傷である首を徹底的に攻め立ていき、両者激しいモンゴリアンチョップ合戦を展開。最終的に天山がイスでオーカーンを滅多打ちにして反則負けとなるも、怒りの猛牛と化した天山は「10倍、100倍、1000倍返しじゃ、ボケェッ!」と荒ぶり、かつての“怖い天山”の姿を取り戻した。
しかし、翌日24日には天山が入場ゲートから姿を見せた瞬間にオーカーンが奇襲し、両者がモンゴリアンチョップを打ち合う中でオスプレイが大量のイスをリング上に放り込み始めたことでレフェリーがこの試合のノーコンテストを宣言。因縁戦の2戦目は3分39秒であっという間の結末に。試合後にはオーカーンが団体へ天山との“敗者モンゴリアンチョップ封印マッチ”を要求する趣旨の勅書を送りつけていた。
この日のテンコジは前日の奇襲を鑑みてかそれぞれイスを持って入場。オーカーン&オスプレイが場外に逃れて挑発すると、テンコジの背後からオスプレイのガールフレンドでスターダム所属のビー・プレストリーが忍び寄り、2人の股間へ同時のローブロー。乱闘となる中で試合開始。
オスプレイがテーブルをリング内に持ち込んで小島へテーブルパワーボムを狙っていき、加勢に入ろうとしたオーカーンへ天山がモンゴリアンチョップ。テーブルを奪った天山が小島とともにオーカーンをテーブルに叩きつけようとしたところで試合続行不可能と判断したレフェリーがノーコンテストを宣言。前日よりさらに早い2分25秒の幕引きとなった。
試合後、オスプレイは自らの行為を棚に上げて小島がイスを使ったことに激怒し、ノーDQマッチを要求。小島も「ノーDQってなんだよ。反則はいらねえってことか?当たり前じゃね―かよバカヤロー!」とこれを受けて立つ姿勢を見せた。
天山は「オイ、オーカーンよ!なにが“モンゴリアン封印マッチ”?!ふざけんな、オラ、お前!お前が言うことちゃうやろ、オラ!俺の技なんや!あ?!なんでもやってやるよ。おう。かまへんよ。どうでもいいよ。(ルールを)言ってこい。なんでも来い。お前を血の海に沈めて、ブチのめして、終わりや。もうグチャングチャンにしてやっからな、バカタレがアホ!クソッタレ!」と怒りに任せてまくしたてる。
対するオーカーンは「余は支配者として反逆する者は、立ち向かって来る者は、誰だってブッ殺してやるよ!だが今回は特に会社の役員どもが!『引退前の天山に最後の花をもたせてくれ』ってよ、頭下げてお願いしてきたから承諾してやったまでだ!引退前に爪痕を残そうとしてんのか知らねぇけどよ。とんだ迷惑だ、この野郎。最後に花もたせてやろうと思ったけどな、やめだ、やめだ、やめだ!天山、貴様から全部奪ってやるよ!命も、モンゴリアンチョップも!これで決定だ!テメェがなんて言おうと決定だ!」と天山を罵倒した。
30日の愛知県大会では、天山とオーカーンがシングルマッチで対戦する。これが因縁決着戦となるのか、因縁の炎に油を注ぐ結果となるのか、その行方から目が離せない。