ダイナマイト・キッドさんを追悼した渕正信が当時を回顧「本当に気持ちのいいレスラーだった」
11日、東京都・後楽園ホールにて行われた全日本プロレス『2018 世界最強タッグ決定リーグ戦[優勝決定戦]』にて、今月5日に亡くなったダイナマイト・キッドさんの追悼式が行われた。
試合開始前に出場全選手が入場し、リングには若かりし頃にキッドさんと激闘を繰り広げたライバルであり盟友でもある渕正信が遺影を持って登壇。追悼の10カウントゴングが鳴らされ、ファンと共にキッドさんの冥福を祈った。
追悼セレモニーを終えた渕は、「若かったんだよねぇ?60だったんだよね。60歳で亡くなったキッドの遺影を、もうすぐ65歳になる俺がこうやって持っていたんだよね。本当に感慨深いものがあるけれど、実際試合をやっていて、本当に気持ちのいいレスラーだったね。バンバン来て。俺なんかとやってる時は常にコインディションも良くて、スタミナもあったし瞬発力もあったし。もちろんテクニックもランカシャー・スタイルで、イギリスで学んでいただけあって基礎のしっかりしたレスリングをやっていたし。やってて気持ち良かったな。あの時代で言うとまだキッドが20代で、こっちが30代になったばかりでね。若かったからバンバン行けたよ。あの頃が懐かしいね。もう32、3年前になるけれど、キッド、スミスとガンガンやっていたのは自分たちにとってもいい思い出だね。けっこう俺が思うのは、日本人が好きなんじゃないかな。日本のことを謙虚に研究してたし。それまでの新日本から全日本に移ったということで、他人の試合もよく見てたね。全日本は体の大きい人が多いからってかなり無理して体を大きくしてたね。そういう面でもある意味無理していたのもあったよな。もうジュニアヘビーじゃなくてヘビー級だってことでよくデイビーボーイ・スミスと練習してた。だからヘビー級でも花を咲かせようとして向上心がね。やっててわかったね」と昔を懐かしんだ。
そして、今年は自身が遺影を持ってリングに上った回数が多かったことを挙げ、「なんかの節目の年なのかな。馬場元子さんをはじめ、輪島さん、マサ斎藤さんね。サンマルチノ、ジョナサン、スレーター。ベイダーも今年だよね。もうそういった人とは会えないんだよね。いつでも会えると思ってて、こうやって永久に会えなくなるというのは、あとから会っておけば良かったと後悔するけど、もうちょっといろんな話を聞きたかったとかね」と寂しそうに語り、会場を後にした。