【インタビュー】CIMA「本気の兄弟ゲンカだったんです(ぐすん)」マグナムTOKYO「TOKYO GOのダンスはね、俺のものであって俺のものじゃないんですよ」2人のビッグショー、イベントレポート【前編】

チケット即売、緊急追加の立見席も即完したCIMAxマグナムTOKYO「2人のビッグショー」、MCは2人をデビュー前から知るプロレスライターの小佐野さんということでこれは面白くなるぞと、飛び交う花粉も何のその、熱気を届けるべく行ってまいりました!
(文:スレンダー川口@slender_kg https://x.com/slender_kg)
私、会場に到着したものの『あれ?誰も並んでないな。でもポスター貼ってるし…』とおそるおそる2階に上がってみるともうパンパンでした。まだ20分前なのに。決して外が寒いわけでもなく皆さまの期待値がうかがえようもの。そして時間ピッタリCIMA選手登場!
CIMA「皆さん今日はよろしくお願いします!左肩の腱板断裂手術から3ヶ月経過、昨日MRIとCT検査をしてきまして、残念ながらお医者さんから…「どんどん動いて良い」と!まだ重いものは持ってないんですけど、ゴムチューブとか使いながらトレーニングを始めてます。4月25日に大阪プロレスさんの方でひとまず復帰戦というのが決まっております!」
小佐野「大仁田さんのところにも出るんだよね?」
CIMA「はい、5月5日。なんか電流爆破で肩を直してくれると(笑)」
小佐野「電気治療してくれるんだね(笑)」
CIMA「東京では5月11日、新宿FACEで。これはね、マグナムTOKYOこと黒木さんと、CIMAこと大島伸彦がメキシコのアレナ・ナウカルパンでシングルマッチをしたデビュー記念日が1997年5月11日でしたので、今年29周年記念日に新宿FACEで大会をやると。今日は百十数名来てくださってますので、1人が4枚買っていただくと決着です(笑)。さて、いつまで前説やってんねんと皆さん目つきが怖くなってきてますんでそろそろ」
小佐野「ではマグナムTOKYOさんお願いしまーす!」
マグナムさんが入場するや否やガッチリ抱きしめるCIMA選手。目には涙。再会からここまで何度も呑んで食べて、さっきまで控室で談笑してたはずなのに!ファンの皆さんの前に二人で立ったのが嬉しくてしょうがない様子。会場内もところどころでぐすんぐすん。
マグナム「泣いてんじゃん(笑)」
小佐野「去年の黒潮TOKYOジャパンの興行でお二人はお会いして。18年ぶり?昔の2人に戻れましたってね。僕、仲悪いと思ってた(笑)」
CIMA「仲が悪かったっていうより、僕がやっぱ若かったんで反発しかしてこなかったんですよね。兄弟げんか、弟がお兄ちゃんに文句を言うというか、本当そういう関係でしたね。その文句の言い方が常に本気だった、軽い気持ちでぶつかってなかったっていうことなんです(ぐすん)」
<闘龍門設立期>
小佐野「それこそマグナムTOKYO以前の黒木くんの時代から、WARの会場にウルティモドラゴンの付き人としてちょこちょこいらっしゃった頃、懐かしいですね。それがなぜかね、闘龍門という学校を作るという記者会見のとき、マスク被ってなんかインストラクターって紹介されてましたね」
マグナム「そうですね。わけわかんない設定です(笑)」
小佐野「その4月にメキシコに、この二人と今のドン・フジイとSUWAと四人が選抜隊一期生としてメキシコに行くと。マグナムさんはその当時ウルティモドラゴンの片腕みたいな感じで。連れていくメンバーの選抜っていうのはマグナムさんがやってた?」
マグナム「やってました。出発する前はウィークリーマンションに住んでて、そこで履歴書を集めて選定して。三人決まって、最後の一人がCIMAなんですよね」
小佐野「三遊亭円楽さん、当時は楽太郎さんの奥さんが「この大島くんがいいんじゃない?」って言ったとかいう噂も聞いたんですけど、実際それは?」
マグナム「本当にそうです。履歴書を僕も見ていた時、数は覚えてないけど全部で40、50はあった気がします。その中でやっぱ一人だけ違ったんですよね。やっぱりバッと見えるんですよ」
CIMA「説明会もありました。浅草ビスタホテルで。夜行列車で18歳の頃、初の上京です」
マグナム「なんで僕ウィークリーマンションだったかっていうと、この日に日本を出るってことで元々住んでた家を解約しないといけないじゃないですか。でもどんどんズレてって。向こうの工事が終わらないから」
小佐野「メキシコのほうの工事ね、遅れてるって言ってたね」
マグナム「当時僕ね、浅井さんの通帳預かってたんですよ。「お金だけ取っていつまでも出発できないんじゃ詐欺ですよ」「浅井さん、これはもうウルティモドラゴンの十周年記念って謳って、闘龍門が出来たってパーティーやるだけやっちゃって、もうメキシコ行っちゃった方がいいですよ」って言って。もう使っちゃえみたいな感じでホテルも予約してグッズ屋さん探して。「お前、人の金なんだと思ってる!」って言われながらも「大丈夫ですよ、祝儀とかで何とかなりますよ!大丈夫です!」みたいな感じでガチで全部金使って強引にやったんですよ(笑)」
――場内爆笑――
マグナム「当時ね「すすめ電波少年※」っていう番組があってね、「あの、アポ無しなんですけどテレビのあれじゃないんです」ってメキシコ大使館に電話して、在日大使に会わせてくれないかって頼んで浅井さんとセッティングして、なんとなく良い雰囲気の表敬訪問やったんですよ。あとはもうね、出国しちゃえばこっちのもんだから」
※「見たいものを見る、したい事をする、会いたい人に会う」という3つのコンセプトの下、アポなし突撃など様々な無茶に挑戦したテレビ史上類を見ない伝説的バラエティ番組
――場内また爆笑――
CIMA「僕、テレビ局に連絡してるの横で聞いてたんですけど「あの~、メキシコで活躍してる日本人でこういう人がいるんですけど、出れないですか?」って「徹子の部屋」に出演交渉してたんですよ(笑)。でもそれがね、後々のフジテレビとかお台場冒険王とかにどんどん繋がっていくんです」
小佐野「3月の終わりにパーティーがあって、 4月4日かな日本を出てる」
マグナム「しばらくゆっくりしてろってこと言われてたんだけど、俺もう翌日から「おい大島行くぞ」って“地球の歩き方”を持って電子辞書持ってタクシー乗って「すみません、繁華街どこですか?」みたいな(笑)。2日後ぐらいに浅井さんが来て「メキシコは こことここは行っちゃダメだぞ」「屋台で立ち食いとかすんなよ、腹壊すからな」って。でも着いた翌日に全部やっちゃってた(笑) 」
CIMA「時差があって、日本の方が早いんで出国した同じ日の夜にメキシコに着く。その時に我々がデビューしたアレナ・ナウカルパンでは定期戦をやってたんで、試合終わった後に「ちょっと走ってみようぜ」って勝手にリングに上がってロープ走ったりとか「ちょっと硬そうだな。受け身取ってみようぜ」とか」
マグナム「それ本当よ~く覚えてる。誰もいないから平気だよ!って(笑)」
小佐野「練習場は?」
マグナム「アレナ・ナウカルパンの練習場、正確に言うとアレナ・ナウカルパンのゴミ捨て場ですね(笑)。生ゴミ、カンとか瓶とかあってそこに置いてあるホコリ被った汚ったねえリング。綺麗な格好で行って5分後ぐらいにどろどろになってるっていう」
CIMA「今だと入るのにも躊躇するぐらいの。でも「うわ~、リングや~!」って喜んでやってました」
<デビューにあたって>
小佐野「そして5月11日にデビューしてる、一か月足らずで凄く早い。どんな練習を?」
CIMA「当時、浅井さんはアメリカ(WCW)に遠征行かれてたので、僕らの練習見たりとかって時間もそんなになかったんですよ。「コーチ付けてるから何とかやれよ」って」
小佐野「相手はスペイン語ですもんね。言葉は大丈夫だった?」
お2人「誰も喋れなかった(キッパリ)」
マグナム「コーチはスコルピオとかブラックマンで、子供の頃にタイガーマスクの相手として知ってたから、凄い不思議な感じだったんですよ。この人たちに教えてもらうんだと思って。でも全然言葉通じてないし、ただ言われたことやって「ウンウン」って」
CIMA「練習をすぐ中断して日本の思い出を話し出すんですよ。「タイガマ〜スク」って言い始めると練習中断して脱線し始める。でも何を言ってるかは分からない(笑)」
マグナム「『チョットマッテ』って言ってね。ブラックマンなんかはいろいろ話して教えてくれるんですけど、いつもビニール袋に豆とかヒマワリの種入れててずーっとコーナーポストに置いて食べてる。我々はそれを見ながら『次どうすればいいんだ』と待つ。ほんとそんな風にやってた」
小佐野「デビュー戦は二人シングルで試合したんですよね。結果だけ見るとラ・マヒストラルで、マグナムじゃなくて、黒木さんが勝っていると」
マグナム「まあ目を覆いたくなるような、ヒドイもんですよ(笑)。実はその、生活が乱れてたもので、着いてすぐ体にアメーバが入っちゃって。すごい下痢で脱水になって1週間か10日ぐらいで7、8キロ一気に落ちてげっそり、結構大変だったんですよ。今だから話せるけど、これじゃダメだって言ってステロイド打って体戻したんですよ(笑)」
<お金>
マグナム「僕は行く前サラリーマンやってたから、まあまあ貯金もあったんですけど、行く時はもう700ドルと飛行機の90日オープンチケットだけだったんですよ。意気揚々と行ったもののあっという間に無くなっちゃって。『そうだ、俺生命保険入ってたな』と思って電話かけたら結構解約金あるなと。オープンチケットぎりぎりにこっそり帰ってきたんですよ。すぐ保険解約して換金して、吉野家の牛丼行って、どうしても行きたかった箱崎のターミナルのあったかい蒸しタオルの顔そりして、すぐメキシコ帰ったんです」
小佐野「実は帰ってきてたんだ」
マグナム「本当に1日2日ぐらい。それで3,000ドルになったから、よーし!って。で、メキシコシティーついて、カバン足下に置いたら置き引きですよ。パスポートも。これでもう終わったって。そこから気合いが入って日本企業に営業に行くっていう」
CIMA「凄かったですよ。浅井さんから「おい黒木、こことここに日本企業あるから営業行ってこい」って言われて。メキシコですよ?当時19の僕は朝から地下鉄乗って『何をしてるんやろな?』と付いて行って。で、やっぱり結果を残すんですよ。初めて行ったとこでちゃんとチケットを売って協賛まで取ってくるんです。『この人厳しいな、嫌やなって』若い時は思ってたんですけど、結局その時教えてもらったことを今僕はやってますし、ドラゴンゲートのある程度キャリアのある選手はみんなそのことを知ってるし、ちゃんと残ってると思います」
小佐野「若い人たちが集まって、ケンカとか無かったですか?」
CIMA「やっぱり目標が一緒でしたんで、喧嘩するほどお金も持ってないし。遊びは本当に月に一回「出かける」ぐらいですかね」
マグナム「若いですから(ニヤリ)」
CIMA「だいたい誰が何を言うまでもなく、合宿所のキッチンに集まりだすんですよ。夕方に。こうウジウジウジウジしながら目が合ったら「行く?」って(ニヤリ)」
<キャラクター>
小佐野「メキシコでの自主興行第2回は8月。その時にはもうマグナムTOKYOとCIMAノブナガになっているという。キャラが付いちゃってる。これは付けられた?」
マグナム「6月の7日だったかな。スペイン語でマグナムトキオって名前でやってました。メキシコ行く前から、浅井さんが僕を知り合いに紹介するときに「こいつ前にやってたか知ってる?AV男優なんだよ」ってずっと言われて。なんかマグナムっていうのは既定路線だったんですよ」
小佐野「要はマグナム北斗ですよね」
マグナム「そうです。海外来たから、やっぱりなんかね、覚えやすいワードがいいだろうなと思って。それで東京なんだけど、トウキョウじゃなくてトキオ。コスチュームは自分でデザインしてテキトーなメキシコ人に作ってもらって」
小佐野「CIMAノブナガはどういう経緯で?」
CIMA「当時はマグナムTOKYOは決まってて、藤井さんは相撲やってたからスモウ・フジで行け、諏訪さんは柔道やってからジュウドウ・スワだと。メキシコ人ってあんまりオーシマっていう発音をせずオシーマっていう発音するんで、もう「オ」はいらないなって話をした時に、浅井さんが「お前好きな武将いるか」と。「織田信長と伊達政宗が好きですね」って言ったら「じゃあ信長だな」って言われてノブナガになったんです。けどやっぱり伊達政宗を捨て切れなくて、入場の時にあの独眼竜の眼帯をね」
小佐野「ローマ字のSからCに変えたのはあれはカッコ良かったですね」
CIMA「わかりやすいということもありますね。あと、当時僕がメキシコ行く前に兄が日産CIMAに乗ってたんで」
マグナム「あ、それ覚えてる(笑)。でもCIMAは何より一番動きが良くて一番プロレスが出来たよね」
<TOKYO GO>
小佐野「TOKYO GOはいつから?」
マグナム「海外来たから、やっぱり覚えやすいネームがいいだろうなと思って。それで東京なんだけど、トウキョウじゃなくてトキオ。最初はヴィレッジピープルのYMCAだったんですよね。普通の日本人がやらないことをやらないとウケないなと思って。でもヴィレッジピープルのそれっていうのはゲイ賛歌だって知らなかったから、「お前もか?お前もなのか?」ってずっと聞かれたんですよ。あの、太ももにこう手をやられて(笑)」
CIMA「そっとね(笑)」
マグナム「これはもう曲変えた方がいいなと思って、当時日本から来てたJCTVに日本の曲持って来て欲しいって言ったんです。第一候補は沢田研二さんのTOKIOだったんですよ」
小佐野「あぁ、なるほどね」
マグナム「TOKIOはノリもいいしと思ってたんですけど、これ今まで言ったことないんですけど、SUWAっていたじゃないですか。あいつの私物の中にジョン・ロビンソンのCDがあったんですよ。「お前何こんなの持ってんの?貸して」とか言って聞いた時に、もう一発でこれだ!って決めたんですよ」
小佐野「なるほど~」
マグナム「で、日本でお世話になってた人からベティちゃんの革ジャンをもらってたんで、なんとなくそういう感じでやったらウケるかなと思ってやり始めたんですよね」
小佐野「じゃあダンスもオリジナルで」
マグナム「適当になんとなくリズム合わせてる。今の時代でやったらね、もうLDHとかあるんだから石とか投げられちゃう(笑)」
小佐野「そのLDHの武知海青がTOKYO GO踊ったんですよ。平田一喜といっしょに。全然違うモノになってました(笑)。平田一喜に怒ってましたね」
マグナム「めっちゃくちゃ怒ってましたね。ちゃんと怒ってる理由も話しました。あの~、例えばラーメン屋さんでバイトしてたからって、そこのレシピを勝手に使っていいのかってあるでしょ。そういうことをちゃんと考えてやらないと良くないよって話をしたんですよ」
CIMA「単なるダンスじゃないんです」
マグナム「TOKYO GOのダンスっていうのはね、俺のものであって俺のものじゃないんですよって説明をしたんです。これは俺が考えて、当時同級生とか仲間がね、ダンスレッスンとか振付もやってくれたり、その時間を取ってくれたり。例えばですけど、演出上対戦相手が待ってくれたり、フルタイム踊らせてくれたり、お客さんもみんなこう手拍子してくれる。そうやってって、いわば闘龍門の名物っていうブランディングがあるじゃないですか。そこにやっぱり歴史があって、それをPRしていくであったりね、対外的にもいろんな人がアプローチをかけて、やっぱりコストかかってるわけですよ。それをじゃあ当人が使ってないからいいやでサッと使うっていうのは、俺はそこ違うんじゃないですかと。高木さん含めていろいろ僕の考えを話して理解してもらって、一応和解して」
小佐野「許可してあげると」
マグナム「話してみたら平田くんスッゴイ良い子で(笑)。なんだめちゃくちゃ良い子なんだ~と思って。その瞬間から「もう好きにやっていいから!応援する側に回るから!」って」
小佐野「だって3月22日の後楽園ホール、ジョン・ロビンソンが生パフォーマンスしますからね」
マグナム「僕はこれから全力で平田君を応援します!(グッ)」
――お二人のスタートから振り返っていただいて、爆笑と共にぐっとくるお話が聞けました。特に闘龍門時代から応援しているとみられる方々はうんうんと頷く様子が見られ、点が線になっていたことでしょう。皆さま、CIMA選手自主興行、5.11東京・新宿FACEでお会いしましょう!
<大会概要>
『CIMAデビュー29周年大会 2つの太陽』
日程:2026年5月11日(月)
開始19:00
場所:東京・新宿FACE
チケット:https://x.gd/wFRJW
席数は(立ち見含む)開催日と同じ511席仕様!!
ストーリーとヒストリー!
<プロフィール>
CIMA(シーマ)
本名:大島伸彦 1977年11月15日 大阪府堺市出身。173cm/83kg。闘龍門1期生として1997年5月11日 メキシコ・アレナ・ナウカルパン vs黒木克昌戦でデビュー。得意技はメテオラ、シュバイン、マッド・スプラッシュ。現在は身体のメンテナンスを経てフリーとなり、CIMAの理想を現実化するためのプロジェクト「PROJECT-C」を立ち上げ、精力的に活動中。来たる2026年5月11日に東京・新宿FACEにて29周年興行を開催!
公式X:https://x.com/supercima1115
公式通販:https://projectcima.base.shop/
















