「明日また生きるぞ!」大逆転劇で北岡悟が見せた格闘技への愛と矜持

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 大逆転劇だった。
 7分以上も続く打撃戦。見ている者も共に消耗するような緊張感。大多数の人が「北岡は、いつタックルに入るのか?」と思いながら見ていたことだろう。しかし、北岡はパンチで出続ける。もしクルックシャンクのパンチがビッグヒットしたら……と思うと北岡がダウン! しかし、クルックシャンクは立たせた。クルックシャンクはスタンドで倒すつもりでいる。北岡、それでもまだ打撃で勝負するのか!?
 北岡は、顔面を血で真っ赤に染めながら、なおも退かず打撃戦を挑む。こんな北岡を見たことがない。北岡、どうした!? 見る者の中にある、何かのコップがジワジワといっぱいになり、溢れそうになった瞬間、北岡がついにタックル! 外に出そうになったが、ロープ際でテイクダウン。鉄槌を落とし、ギロチンで絞め上げると、クルックシャンクがタップアウト! まさに肉を斬らせて骨を断つ、見事な1本勝ちを挙げた。

 北岡は、なぜここまで打撃で出続けたのだろうか。リーチ差もあり、打撃で勝負するのは不利と思われた。しかし、北岡は、3月に「パンクラスイズム横浜」をオープンして以来、同道場でインストラクターを務めるロッキー川村、DJ.Taikiとともに打撃を磨き、これまで積み上げて来たものと、新しいものとの融合を目指してきた。信頼する仲間から伝授されたことを使って闘いたかったのだ。それ以外は無策だった。途中、「もう負けるかも知れない」と心が折れそうになったシーンもあったという。しかし、最後までやり切った。

 北岡ほど練習する選手はいないと言っても過言ではないだろう。自身の道場での練習以外にも、他のジムや道場に出稽古に行き、追い込む。北岡の試合は、そこに関わった人々と、苦しい思いをした膨大な時間の結晶だ。もちろん、こんなことは、選手ならば誰でも同じかも知れない。しかし、北岡にとってこの1年は、そのことを、改めて、そしてより強く実感した年だったのではないだろうか。

 顔を血で真っ赤に染め、「明日また生きるぞ!!」と叫んだ北岡。20年以上前から格闘技を見ているファンなら、『1996年9月7日』を思い出したに違いない。船木誠勝VSバス・ルッテンーーキング・オブ・パンクラス タイトルマッチだ。
 打撃で攻め続け、圧倒的優位に立つルッテン。大流血し、顔が変形してもなお立ち上がってくる船木。船木はダウンを奪われTKO負けを喫したが、試合後に叫んだ言葉が「明日からまた生きるぞ!!」だったのだ。
 どんなに攻めても意識を失わない船木に、ルッテンは「もう勘弁してくれ」という表情を見せた。もしかしたら、クルックシャンクも、そんな気持ちになった瞬間があったかも知れない。

 今ではもう知る人も少なくなったであろう往年の名勝負。このセリフを、北岡が新しい言葉として“今”の格闘技ファンの胸に刻んでくれるのなら、こんなに素晴らしいことはない。なぜなら、それは、新しい形で「パンクラス」の種が蒔かれるということだからだ。

 北岡は、道場を始め、そこに所属する人が増えることで、新しい「パンクラスの心」を拡げようとしている。昔のことを知らなくてもいい。けれど、道場に通って、楽しく格闘技をやりながら、自然にパンクラスの心に触れてくれればいい。目には見えない「パンクラスの心」とは、そうした空気を呼吸することによって、その人の中にしみ込んでいくからだ。そして、北岡自身がこの劇的な勝利を挙げたことで、さらに遠くまで拡散していくだろう。

 かつて日本を熱くさせた格闘技ブームが過ぎても、格闘技を愛する人の心は切れることなく、日本から格闘技が消えてしまうことはなかった。
 北岡自身にも、さまざまな変化があった。戦極に参戦、ライト級王者となり、パンクラスを退団し、さまざまなイベントに参戦、DEEP王者となり、パンクラスに復帰、そして道場をオープン。北岡が駆け足で走ってきた時期とほぼ重なっている。北岡自身、UFC参戦を断念したり、日本では大きなイベントがなかった時期もあった。それでも北岡は格闘技を続けて来たし、日本の格闘技の火も消えなかった。
 だからこそ、北岡にも、まだまだやることがある。「DEEPのベルトも防衛したいし、パンクラスのベルトも狙いたい」(北岡)。「自分がね、どうなってもいいんだよ。一生懸命生きればね」という、あの日の船木誠勝の声が重なって聞こえてくる。
格闘技に対する真摯な姿勢と、試合の残酷さ、すさまじさ。目の前に繰り広げられる現実ほど、人の心を動かし、震わせるものはない。それを見せてくれた両選手に、ありがとうと言いたい気持ちになった。

(ライター 佐佐木 澪)

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