棚橋弘至が引退前最後の後楽園ホールで涙の激勝!オカダ・カズチカ戦に向け「レインメーカーショックの借りはまだ返してない」

22日、東京都・後楽園ホールにて新日本プロレス『Road to TOKYO DOME』が開催。棚橋弘至が最後の後楽園ホールでの試合に臨んだ。
棚橋は立命館大学在籍時に学生プロレスを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスに入団。同年10月10日にデビューし、後にIWGPヘビー級王座最多戴冠記録を樹立するエースへと成長。2023年12月には新日本プロレスの代表取締役社長に就任。背広組としての仕事も増え、現年齢も49歳とベテランの域に入りリングの最前線から遠ざかりつつあった。
そんな中、棚橋は昨年10月に両国国技館で行ったデビュー25周年試合の後に2026年1月4日の東京ドーム大会での引退を表明。以降の約1年あまりは棚橋のキャリアを振り返るかのようなメモリアルな一戦や、これからの新日本を背負っていく若手選手たちとのシングルマッチなど『ファイナルロード〜継(つなぐ)』『棚橋弘至ファイナルロード~縁(えにし)』と題した試合を全国の会場で見せる引退ロードを展開してきた。
棚橋がプロレスラーとしてのキャリアを歩み始めたのは、空前の格闘技ブームによってプロレスが最も世間から馬鹿にされていた時代。後楽園ホールはガラガラであり、残った観客層は昭和プロレス原理主義的なファンが多数。棚橋のきらびやかなスタイルにも冷ややかな目を向けられ、肉体的なピークの期間のほとんどを冬の時代の中で過ごした。時が流れ、再びプロレスが注目される時代になった頃には棚橋のキャリアも晩年の域に入りつつあった。
棚橋も長年の酷使で身体の故障やその深刻度も増すばかりであり、新日本プロレスにも新たなスターが次々と誕生していった。しかし、冬の時代から今日に至るまで太陽のごとくプロレス界を照らしてきた棚橋をファンは今でも口を揃えて“エース”と呼ぶ。
年内最終大会となる今大会は、立ち見も含めて全席完売の超満員。メインイベントでは棚橋弘至vs藤田晃生の最初で最後のシングルマッチが行われた。
藤田は2021年4月に入門し、わずか4ヶ月後の8月にヤングライオンとしてデビュー。世界的なコロナ禍が残る中で海外遠征の道を選ばず日本に残り、ヤングライオンのままザック・セイバーJr.率いるユニット【TMDK】に所属して一線級の選手へ成長。今年のBEST OF THE SUPER Jr. 史上最年少優勝、IWGPジュニアタッグ王座戴冠などジュニアのトップ選手へと駆け上がった。23歳の若さで新日本の未来を託されている選手の1人であり、ファイナルロードの最後を締めくくるに値する相手だ。

札止めになるまで駆けつけた観衆が掲げる応援ボードに満面の笑みを浮かべながら入場した棚橋だったが、リングで対峙した藤田が顔を張り飛ばすことで棚橋の表情を一変させる。
ゴングとともに藤田が突っ込んでドロップキックで場外に叩き出し、スワンダイブ式の三角飛びトペ・コンヒーロ。リングに戻してからも休ませることなく苛烈に攻め立てていく。
コーナーに詰められた棚橋はブーメラン・アタックで切り返し、フライング・フォアアーム、サンセット・フリップで追撃。しかし、藤田は得意の逆水平チョップを容赦なく連打し、スワンダイブ式ミサイルキック。さらにネ申スペシャルで決めにかかるも棚橋はその腕力だけでクラッチを切ってロープブレイク。
ならばと藤田はぶっこ抜いてのジャーマンを狙うが、棚橋が振り払ってドラゴン張り手。さらにドラゴンスクリューからテキサスクローバー・ホールド。これで決まりかと思われたが、藤田は気迫のロープブレイク。棚橋がスリング・ブレイドを狙うが、藤田は素早くバックを取ってジャーマン・スープレックス・ホールド。さらに掟破りのハイフライフローまで繰り出すもカウントは2。
これで火が点いた棚橋は、ツイスト・アンド・シャウト3連発からスリング・ブレイド。さらに本家本元のハイフライフローを放つも、藤田がかわして自爆させぶっこ抜きジャーマン・スープレックス・ホールド。さらに必殺のAbandon Hopeを狙うも、棚橋は振り払って藤田と互いに腕をつかみ合いながらのエルボー合戦を展開。棚橋はスリング・ブレイドからだるま式ジャーマン・スープレックス・ホールドと大技連打からハイフライアタック。最後はハイフライフローを決めて3カウントを奪った。

マイクを取った棚橋は、涙声になりながら「応援ボードはズルいよ」と語り「本当にありがとう!俺はね、本当にプロレスラーになれて、新日本プロレスで試合が出来て、本当に幸せでした!ありがとうございました!」と心境を吐露。
そして「ちょっと今の引退の挨拶みたいになっちゃってるから。まだまだ元気よくいこうぜ!じゃあ、最後に後楽園ホールのみなさ~ん!愛してま~す!!」と棚橋らしい明るいマイク。代名詞であるエアギターも仲間たちを巻き込んでたっぷりとかき鳴らし、堂々と大会を締めた。

バックステージに戻った棚橋は「後楽園の思い出と言ったら、2000年代、何とか後楽園ホールをいっぱいにするところから、新日本プロレス、始めましょうということでね、初めていっぱいになって盛り上がってっていう日のことをよく覚えてるし、それからこうしてね、いい形で2025年を締められたことに、本当に感謝します」とこの日集まった1,515人の観衆へ感謝。
そして「ああ、早かったね。2025年も、デビューしてから26年、何でこんなに早いのかな。一生懸命、だったからだと思う。でも、今日の後楽園ホール、来年1月4日の東京ドーム大会、棚橋弘至がプロレスラーになった意味、あったじゃん!最後まで、最後まで全力で、レインメーカーショックの借りはまだ返してないと思ってるから、東京ドームでオカダに返して、2026年も新日本プロレス、最強の布陣で、選手、スタッフ、全力で頑張っていきますので、ちょっくら、ついてきてください。本当に、2025年1年間、応援ありがとうございました!」と約26年のキャリアを振り返りつつ、1月4日の引退試合の相手であるオカダ・カズチカへのメッセージを残した。
対する藤田は「「俺が感じたのなんか、棚橋弘至の歴史のほんの一部なんだろうということはわかってるけど、多分、今のこの気持ちは勝っても晴れることはなかったんじゃないかな。それぐらいデカくて、凄くて、熱い太陽みたいな人だな。見ててくれよ。アンタがビビるぐらい強くなって、デカくなって、『新日本プロレスと言えば藤田晃生だ』、アンタにいつかそう言わせてやるよ。これから楽しみにしとけよ。棚橋さん、ありがとうございました。1月4日、絶対勝ってくれよ」と“託された者”としての矜持を口にした。
















