「最後にもう1回やるか!なあ西村!」藤波辰爾が西村修さんを追悼し『無我』復活宣言!

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 16日、東京都・後楽園ホールにて『DRADITION 2025 SOUL OF DRAGON』が開催。藤波辰爾が西村修さんの追悼試合を行った。

 西村さんは1991年に新日本プロレスでデビューし、ジュニア戦士として活躍。1998年9月にガン(後腹膜腫瘍)を宣告されるも、ガンと闘いながらプロレスラー生活を継続。2006年に新日本プロレスを退団し、藤波辰爾らと『無我ワールド』を設立。2007年に無我を離れ全日本プロレスへ入団し、2010年に同団体を退団して政治の道へ。2011年には文京区議会議員となり、2023年4月には4選を果たすなど政治基盤も盤石だった。だが西村さんはステージ4の食道ガンであることを告白しており、昨年8月段階では左側上半身全体に転移が見つかり既に末期ガンの状態だった。
 そんな状態でも、昨年8月には師であるドリー・ファンク・ジュニアとのタッグで初の電流爆破マッチに挑むなど果敢に挑戦を続け、亡くなる2週間前には議員としてもプロレスラーとしても復帰する意欲を語っていたが、今年2月28日に亡くなった。

 藤波と西村さんは師弟関係にあたるが、『無我』を巡ってのいざこざで約18年もの間絶縁状態にあった。
 しかし、今年1月に西村さんが病のために欠場した際には藤波が代打出場する男気を見せ、西村さんもこれに深い感謝の意を示したことで両者は精神的には和解。両者ともに対面することを望んでいたが、それは叶わなかった。それでも藤波は西村さんの通夜・告別式に出席し「君に“無我”を捧げます」と弔辞をよんで遺恨を水に流した。


 今大会の試合前には、西村修さん、小林邦昭さん、グラン浜田さん、新間寿さん、佐藤栄介さん(作曲家)の追悼セレモニーを実施。前回のドラディション開催から多くの偉人が立て続けに亡くなったことを感じさせるオープニングとなった。

 メインイベントでは、西村さんの追悼試合として藤波辰爾&小島聡&永田裕志vs長井満也&征矢学&竹村豪氏の6人タッグマッチが実施。
 無我旗揚げから参加した長井、無我からデビューした竹村&征矢、新日本マットでともに闘った永田が参戦。本来ならば西村さんの同期でタッグパートナーだった天山広吉が出場予定であったが、負傷欠場となったため小島が代打出場となった。


 試合は藤波と征矢の対面に始まるが、気負った様子の藤波は真っ向からパワー負けしたりコブラツイストをすぐに抜けられてしまったりと普段の調子を出せない様子。永田&小島の第三世代コンビの活躍で逆転してみせると、藤波も吹っ切れた様子で奮起。
 中盤の場外戦では率先して突っ込んで竹村とのエルボー合戦を展開し、終盤に再び出番が回ってくると征矢、竹村にドラゴンスクリュー。長井には阻止されて場外に放り出されるという憂き目にあうが、竹村が藤波に見せつけるかのようにドラゴン・スリーパーを繰り出すと怒りの飛龍がついに覚醒。
 藤波は征矢にドラゴンスクリュー。小島が竹村にコジコジカッター、永田が長井にコブラツイストを見舞って万難を排する中、藤波が竹村にドラゴン・スリーパーを決めてタップを奪った。

 マイクを取った藤波は「西村!これでいいのか!お前の仲間たちがみんな集まってくれたぞ!本当に彼とはいろんなことがありました。でも最後はこうやって彼にまつわる仲間が集まってくれました。僕も無我を彼に捧げましたが、まだちょっと無我が中途半端にとどまったところがあるんでね。もう1回……最後にもう1回やるか!なあ西村!」と天に向けて叫んだ。


 大会を終えた藤波は「ちょっと自分の気の焦りもあるのか、もうちょっとしっかりしなきゃいけないのに、なんかふらつきが見えたんでね。リングに立つ気分がね、出来なかったんだけど……」と立て続けに起こった不幸によって本調子を出せなかったことを嘆く。
 そして「18年。なんか、今思うとね、後悔ばっかりでね。なんとかならなかったのかなというね。『会いたかったなぁ』っていう。僕が西村くんの弔辞で言ったように、彼に無我を捧げたんですけどね、無我を今まで応援してくれたファンのためにもね、最後にもう1回、無我という大会をね、西村くんを中心としてもう1回、1つのケジメとして企画してもいいのかな」と最後の無我復活を宣言した。

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