村上和成が船木誠勝との18年越しの試合に激勝!永田裕志と22年越しの王座戦へ?!

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 26日、東京都・後楽園ホールにて『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.30』が開催。村上和成が船木誠勝との18年越し一戦を制した。

 総合格闘家としてPRIDEに参戦し、アントニオ猪木と佐山サトルに導かれてプロレスラーとなった“平成のテロリスト”村上和成。しばらく最前線からは遠ざかっていたが、昨年末にストロングスタイルプロレスにて突然復活。村上はその実力と発信力でみるみる存在感を発揮していき、今年6月には佐山サトルの愛弟子である間下隼人の持つレジェンド王座を一発で奪取して変わらぬ強さを誇示した。

 村上は初防衛戦の相手に船木誠勝を指名。村上と船木は18年前にビッグマウス・ラウドで対戦予定であったが“大人の事情”により流れた上で同団体を離脱したという経緯があり、今回は村上が動いたことでついに実現にこぎつけた。

 村上の指名を受けた船木は「村上社長を1人残してしまったこと、何もする前に別れなければいけなくなったということにに対して悔しいという気持ちがずっとありました。それから会社を畳んで、そのあともプロレスラーとして頑張っている姿を記事で見るたびに、もう18年になりますけど、ずーっと自分は本当に申し訳ないと思っていました。そんな気持ちも込めて、格闘家・プロレスラー・村上和成に挑戦したいと思います」と謝罪しつつ真っ向勝負を宣言。
 これを受けた村上は「船木選手に何か恨みがあるとかつらみがあるとかは一切無いです。1人の選手として素晴らしい選手だということがすべてです」とキッパリ言い切る男気を見せていた。


 過去の因縁をぶつけ合うわけではなく、1人の男と男が18年越しに雌雄を決するという純粋な力比べなったこの試合。
 両者ゆっくりと距離を詰めながら組み合い、緊張感のあるグラウンドの攻防へ。船木が引き込んで三角絞めに捕らえると村上の動きが止まり、あわや試合終了かと思われたが村上はなんとかロープへ。
 船木が強烈な張り手を見舞うと、村上はニヤリと笑いながら自らの顔面をバチバチとぶん殴る狂気を見せ「来いやコラァッ!」と雄叫び。船木はクロスヒールホールドを解禁し、ローキックを猛連打して足を潰しにかかる。
 しかし、ハイキックをキャッチした村上が顔面への左ストレート一閃。間髪入れず「バイバ~イ♪」と叫びながら殺人キック(※腕を取って引き起こしながら顔面へミドルキック)を叩き込んで3カウントを奪った。

 バックステージに戻った村上は、深く息を吐きしばらく天を仰いで18年分の思いを噛みしめる。
 その後は「18年の思い、全部受け切る。受け切ったうえで絶対に勝つという気持ちでした。自分の内の中に1つあった『己に勝つ』というテーマ。これを貫いてあのラッキーなパンチが当たって、僕にこの勝利というものが傾いただけ。僕が唯一猪木さんに言われた『本能のまま闘え』というところの1つのターニングポイントだと思います。試合を見ると9割以上押されていたと思います。日々弱い自分と闘うのに必死でした。周りからオーバーワークだと散々言われましたが、そこまで自分を追い込めたというのは船木さんがいなければ出来なかったことですし。『まだまだ出来るな』っていう自信をくれたのも船木さんだと思いますんで。この勝利を無駄にせず、このリングではチャンピオンなんで、チャンピオンとしての風格。もっともっとブチ切れて、血反吐吐くぐらいしばき回したいなと思います」と独白。

 その後、次の防衛戦について問われた村上は「たまたま今日このリングに降りてきた、あの男。アイツがよしと言えるか、会社がよしと言えるかわからないですけど、勝負したいねえ?あの大阪でのタイトルマッチの借りを返したいなあ」と語りながら敬礼ポーズ。


 この日は、新日本プロレスの永田裕志が当団体に初参戦を果たしていた。
 2002年12月10日の新日本プロレス大阪府立体育館大会において、村上は永田が持つIWGPヘビー級王座に挑戦し敗北。永田が連続防衛新記録(※当時)を打ち立てた際に退けた相手の1人となっていた。

 新日本プロレスではシングル王座の最前線から退いて久しい永田だが、昨年には全日本プロレスの三冠ヘビー級王座を戴冠して史上5人目のグランドスラム達成を果たすなど実力はまだ一切錆びついていない。村上vs永田という極上のカードが実現することを願いたい。

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