【会見全文】新日本プロレスの棚橋弘至新社長が「選手と社長を同時にやってこそ逸材」と意気込み!日本一動き回る社長像を語り東京ドーム大会超満員への思いを叫ぶ!
26日、新日本プロレスの代表取締役社長に就任した棚橋弘至が記者会見を行った。
今月23日に新日本プロレスリング株式会社の臨時株主総会及び取締役会が行なわれ、棚橋の代表取締役社長就任が発表。
棚橋は立命館大学在籍時に学生プロレスを始め、卒業後の1999年に新日本プロレスに入団。同年10月10日にデビューし、後にIWGPヘビー級王座最多戴冠記録を樹立するエースへと成長。業界全体が暗黒期に陥っていた時代に太陽の如くプロレス界を照らし続けてきた100年に1人の逸材だ。
その他、取締役には株式会社テレビ朝日のビジネスプロデュース局担当局長を務める松本仁司、株式会社ブシロードファイトの代表取締役社長を務める岡田太郎が就任。これまで取締役を務めてきた大張高己、西澤道昭は23日を以て退任となった。
選手兼社長を務めるのは、アントニオ猪木氏、坂口征二氏、藤波辰爾に続く4人目。いずれも新日本の歴史を語るには欠かせない偉人たちであり、棚橋もその1人に名を連ねることとなる。
これにより、新日本もスターダムも学生プロレス出身者が新社長に就任。新たな時代の変化を感じさせるブシロードグループの人事には今後の期待が高まっていた。
2024年1月4日の東京ドーム大会にてファンの前で挨拶を行うことを明かしていた棚橋新社長だが、この日はそれに先駆けて記者会見を実施。
まずは、木谷高明オーナーが登壇。挨拶および今回の人事の背景を語った。
木谷高明オーナー
「今日はお忙しいところ、このように大勢お集まりいただきまして誠にありがとうございます。今日は棚橋新社長の最初の会見ということで、本当に期待度も高いと思いますが、私からはそのへんの期待に関しましては質疑応答の中で私からも添えることが出来ると思います。
まずは先日まで社長を務めてもらいました大張前社長に関して、少しお話したいと思っています。まず、大張社長、それ以前の部長の時代も含めて、まずコロナ禍に入ってからはコロナ対策等をスポーツ庁なんかとの折衝を重ねてもらいつつ、新しい収入源も開拓しなきゃいけないっていうことで各種メディア売上が上がるようにしたり、また、スポンサーの開拓もかなり積極的に行いつつ、最近では多くのスポンサーが付いていただけるようになりました。また、自治体との提携も増えております。また、プロレスにおいて難しいところっていうのは、やはり海外での大会……プロレスってやはり日本でやっていても元から存在がグローバルなものであったりしますので、海外での大会の主催興行ですね。また、海外の有力団体との渉外等ですね、本当に中々難易度の高い仕事で手腕を発揮していただいたと思っております。ただ、新日本プロレスに入社してもらう前から、『とりあえず5~6年やってみようか』『やってみます』みたいなところから始まっておりまして。やはり、プロレス団体の経営というのは、私はずっと側で見ていますけど、すごく難しい。難易度が高いと思ってます。それだけプロレスが奥が深いことの照明だと思っていますが、とにかくその奥の深さが、単なる1つの深さじゃなくて色んな角度からの奥の深さがあるのがプロレス団体の経営かなという風に思ってますし、日本にいながらも常にグローバルな視点で物事を考えていなきゃいけないっていうのもまたプロレス団体の経営の難しいところかなと思っています。そんな中で、コロナ禍というのが始まりまして、その中でもかなりの対応力を見せつつ、それが終わって一区切りついて、これからは動員を増やす段階だということで。動員の周りのことはかなり昨年、一昨年と出来ていたのではないかなと思いますけど、残ったところがよりお客様にプロレスを楽しんでいただいて、動員を回復、さらにコロナ前以上に成長させることかなと思っています。そんな中で、当初からの『5~6年くらい一緒にやっていこうよ』っていう中から今回新体制に移行すると同時に勇退していただくことになりました。ホントに、まだまだ活躍していただきたかったんですけど、今回こうした運びとなりました。
また、新体制に伴い、世代交代の意味で西澤取締役にも退任していただくこととなりました。私からの挨拶は以上とさせていただきます。新社長への期待は質疑応答の中でもまた添えさせていただきたいと思います。以上です」
続いて、大張高己前社長が登壇。退任に伴う挨拶を行った。
大張高己前社長
「大張でございます。本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。私は、2019年1月から現在までですから、5年間新日本プロレスでお世話になりました。2019年11月には新日本プロレス初の海外子会社であるNEW JAPAN Pro-Wrestling of America Inc.の初代CEOとなりました。2020年10月には新日本プロレスの第10代の社長となりまして、それ以来3年2ヶ月、その任務を務めさせていただき、この度退任をさせていただきました。
社長に就任した2020年というのは、まさにコロナが始まった年。2020年10月にはこの先どうなるかわからないトンネルの入り口なのか、出口なのかも全くわからない、そんな時代でした。未曾有の危機を乗り越えて、そして同じくコロナで苦しい思いをしているファンの皆様のためにも、プロレスの灯を絶やさずに、さらにはその積み重ねがアフターコロナの武器になるようにと思って経営をする。これが私のミッションであったのではないかと思います。コロナ禍の3年で、デジタル、グローバル、そして他団体やスポンサー企業様とのパートナーシップ。これらを武器にビジネス面での改革について、ファンの皆様、選手のみんな、社員のみんなと皆様に支えていただきながら私の力の及ぶ範囲ですべて、お陰様でやり遂げることが出来たと思います。
その間、いつも傍らで、立場は違えどかつての危機を乗り越えたV字回復の立役者として支えてくれたのが棚橋弘至新社長です。私と棚橋さんの関係は、むしろ社長と選手というよりも、コロナ禍をともに乗り越えてきた戦友であり、同志であるような、そんな印象があります。いつも経営目線で気にかけてくれて、経営状況の共有もしました。そして、新施策など相談にもよく乗ってくれました。声出しを解禁した後楽園ホールでは、汗まみれの棚橋選手に涙ながらに抱きつかれた。そんな思い出もございます。この3年2ヶ月で、皆様のおかげで作り上げてきたこの積み重ねの武器をですね、史上最高の新日本プロレスを実現するために、棚橋選手にすべて手渡せたことを大変嬉しく思いますし、誇りにも思います。そして私は選手ではないので、リングの外のビジネスを専門としてテコ入れを行ってきました。一方で、棚橋選手は、その呼び名の通り選手であり、社長であり、リング内外の垣根無くメスを入れていける経営者になられると思います。
私は5年前まで1ファンでした。そして、社長を務めさせていただきました。その観点から一言申し上げると、プロレスはこちらの世界……内部の世界から見て、私がファンであったときに想像していたものよりも、何倍も、何十倍も、何百倍も尊いものだと知ることが出来ました。そして、そのポテンシャルは、今顕在化しているものよりも何倍も大きいと思います。なので、新日本プロレスは業界のリーダーとして棚橋新社長の新体制のもと、ますます発展していくものと思います。新体制下でも引き続き、より一層の応援を宜しくお願い致します。最後に立ち上がらせていただきます。世界中のファンの皆様、私の人生の宝ものになるような素晴らしい体験を3年2ヶ月に渡って与えてくださって誠にありがとうございました」
大張前社長の降壇後、棚橋弘至新社長、松本仁司新取締役が登壇。それぞれが就任の挨拶を行った。
棚橋弘至代表取締役社長
「この度、代表取締役社長に就任致しました棚橋弘至です。皆様、本日はお集まりいただき誠にありがとうございます。新日本プロレスでプロレスラー生活を送っていく中で、新日本プロレスの社長になることは、いつしか僕の中の夢となり、目標となっていきました。なので、今回それが叶ってとても嬉しく思います。そして、社長就任が発表になったとき、本当に多くの方からお祝い言葉を頂きまして、それも本当に感激しました。それと同時に、多くの期待に応えなければならないという思いで身が引き締まっています。
僕が社長になって、新日本プロレスをどうしていきたいかというのが、改めて考えてみたんですけど、まず1つは『東京ドーム大会を超満員にする』ですね。これはずっと目標でもあったんですけど、東京ドームで、超満員のお客様の中で花道を歩くというのは、レスラーにとって誉れでもありますし、それを今いる選手にも経験して欲しい。それがやはり、その後のレスラー人生に大きな影響を与えるし、ファンの皆様の記憶の中にも楽しい記憶、良い記憶として残っていくと思うからです。
そしてもう1つは、『地方でのタイトルマッチをどんどん増やしていく』ということです。ゼロ年代、新日本の営業の皆さんとプロモーション活動をたくさんやらせていただいたんですけど、地方の大会は、なんとかまず500人入れよう、500人を達成したら次は1,000人を目標にしようということでずっとやってきて、『地方大会が超満員にならないと東京ドーム大会も満員にならない』と、そういうのがだんだん見えてきて。日本全国のプロレスファンの熱量が高まって初めて東京ドームが満員になるということが分かりましたので、それを改めてやっていきたいと思います。
そして、最後に『スポンサー様とのパートナーシップの強化』。新日本プロレスがより一層羽ばたくためには、強力なタッグパートナーが必要だと考えています。現役レスラー社長として、日本一動き回る姿勢というか、そういう新しい社長の形を模索してやっていきたいなと考えております。やりたいことはいっぱいあるんですけども、社長としてまだまだ身につけて勉強していかなきゃいけないことも多いですが、全力で頑張っていきますので、皆様、棚橋弘至、そして新日本プロレスを応援を宜しくお願いします!以上です。ありがとうございます」
松本仁司取締役
「テレビ朝日から参りました松本と申します。この度、取締役社長室長を拝命しました。今日はご取材および中継もしていただきありがとうございます。僭越ながら私が同席させていただいておりますので、少しお話しさせていただきます。
私がやりますことは、肩書通りと言いましょうか、プレイングマネージャーである、ものすごく働いていただけるという風に仰っていただいていますが、やはり試合をしながらの社長業ですので、棚橋さんをしっかりサポートしていくということだと思っております。テレ朝ではプロレスの仕事の他にスポーツの権利ビジネスを幅広くやったりとか、危機管理の仕事をやったりとか、それからお客さんの顔が直接見えるようなイベントの仕事とか幅広くやってまいりました。そういった知見を全部つぎ込んで、棚橋社長の新体制を支えていきたいと思っております。
そしてなにより、もう24年間ですか。棚橋さんがデビューされた直後くらいのときから私は新日本プロレスの仕事に携わらせていただいてまいりました。ですから、テレビ朝日のこのプロレスに対する考え方とか課題とか、そういったものは知り尽くしているというか、私が今までずっとまとめてきたというところでございますので、今度は新日本プロレスの側で、新日本プロレスの発展につながる施策、どういったことがテレビ朝日には出来るんであろうかということをしっかり考えて両者で協力関係を強化していくということが大きなミッションだと思っております。まずはこれから、この51年の歴史がある会社に敬意を表し、そしてまた支えていただいているファンの皆さんに対する敬意も持って、一層勉強してお役に立てるように頑張っていきたいと思いますので、よろしくお願いします」
――棚橋新社長、今回の社長の打診を受けた時期、そして決意に至った理由は
棚橋新社長「社長を打診されたのは、今年の11月ですね。木谷オーナーと食事をする機会がありまして、その依頼を受けました。僕も現役を……まだ世界ヘビー(※IWGP世界ヘビー級王座)のベルトも獲っていませんし、まだまだ鍛え直したいっていう思いはあったんですけども、『同時にやってこそ逸材じゃないか』ということで少し考えた後、木谷オーナーに『是非やらせていただきます』ということでお答えして現在に至っております」
――木谷オーナー、棚橋新社長は藤波辰爾さんに続いて19年半ぶりの選手兼レスラーとなるが、棚橋選手を選んだ理由は
木谷オーナー「やはり、一番苦しい時期に体を張って頑張っていただいたっていうのは大きなポイントだと思いますし、棚橋さんは基本的に、表向きもそうなんですけど日常でも基本“ネアカ”なんですよ。経営者ってネアカじゃないとダメなところがあるんですね。もちろん冷静な部分も必要なんですけど。ですから、今も動員を増やして世界に打って出て世界ナンバーワンの団体を目指そうというときに、明るく広がるような性格の方にやっていただくのがいいんじゃないかなと。今の時期はですね。その時期によってまたどういう人が向いているのかは変わったりもするんですけど。
そういう風に思ってるのと、経営者って立場からすると、やはり経営のことを経験も積んで分かってる人の方が良いのかなっていう側面ももちろんあります。でも、片方、僕が例えば1プロレスファンに戻ったとしたらですね、プロレスファンからしたら、プロレス団体の経営をプロレスラーがやるっていうのは、それはそれで夢だと思うんです。ドリームだと思うんです。プロレスファンから見ても。もっと言っちゃうと、例えばスポーツ選手って……分かりやすいものとして野球を例に挙げます。少年野球をやってて、高校野球をやってて、甲子園に出て、って『この人将来どこまで行きそうかな?』ってなんとなく本人も周りも分かると思うんです。スポーツって、なんとなくどのへんまで行きそうかってみんな分かると思うんですけど。芸事の世界ってだいたい分かるんですよ。自分でも本当はわかっているんですよ。ここまで出来るっていうのを。ただ、経営者ってやってみないと分かんないんですよ。なので、棚橋新社長もすごい不安だと思うんですよ。これはね、やってみないと分かんない仕事なんで。ただ、僕は向いてるなっていう風に思ってます。それはやはり、苦労を厭わないってところと、明るい。で、頭脳明晰!(※棚橋が驚愕の表情を浮かべる)資質としては十分だと思います。あとは、やったときのストレスってまた違う種類のストレスが来るんで、『とりあえずやってみてください』っていう。ただ、あまりにも初めてのことだったりするんで周りでもしっかりサポートしますっていう感じです。いずれサポート無しでも行けるんじゃないかなと思います」
――棚橋新社長、今の話を受けてどう思うか
棚橋新社長「非常に光栄ですね。オーナーの期待に応えられるように、日々新しい知識・経験を身につけながら、頼りにされる存在になりたいです。あとは本で読んだんですけど、日本の経営者にはO型が非常に多いということで。僕はO型だったんで、それで『しめしめ』と思って(笑)」
木谷オーナー「ちなみに僕はA型です」
棚橋新社長「大変失礼しました!(笑)」
木谷オーナー「あと、先程言ったことで、包んで言うと経営者として一番大切なことは“人間力”ですね。人間力はあると思っていますんで。11月って話はありましたけど、別に11月にいきなり思いついたわけじゃなくて、前々から『いずれ』ってことは考えておりました」
――棚橋新社長、2つ目の目標として挙げた『地方大会の充実』について。社長に就任されてからもトップセールスという形で営業活動は継続していくか
棚橋新社長「新日本プロレスの年間の大会は巡業にも付いていきます。ただ、東京にいるときは出社して社長業というのもやっていきたいですし、プロモーションというのも先頭に立ってもう1度やっていこうと思ってますけども、やっぱり僕がやるのももちろんそうなんですけど、所属選手がとても多いので。このオフの時期に選手が次のシリーズの大会の地に赴いて『大会があります』とプロモーションをしてやっていくことで、僕1人でやっていた時代よりも何倍もの効果があると思いますので、そういったところも……まあ、オフの期間っていうのは選手にとって練習をしないといけない大事な期間ではあるんですけど、そういったことも選手にお願いしていこうかなと考えております」
――先程、木谷オーナーから社長としての資質の話があった。棚橋新社長の資質は自分のことよりも他人のことを先に考えることだと思うが、ご自身はその資質についてどう思うか
棚橋新社長「レスラー生活の中でいくつかの気付きがあったんですけど、試合中に力が出る瞬間っていうのは、最終的に『自分が勝ちたい』とか『目立ちたい』とか『カッコよく見られたい』ってところのエネルギーよりも『ファンの方の応援に応えたい』『見てもらって楽しんでもらいたい』っていう、誰かのために何かを頑張るときの方が人間は力が出るっていう考えがありまして。だから、これから社長業もファンの皆様のために、新日本プロレスの社員のために、っていう思いでやっていきます」
――デビューしたときには藤波選手が社長を務めていて、選手兼社長の苦労見てきたと思うが、レスラーと社長の両立についてどういう課題を持っているか
棚橋新社長「まだこればかりはレスラー生活と事務所仕事っていうのは続けてみないとわからないんですけど、周りにサポートしてくれる心強いメンバーもいますし、僕は何より疲れないので大丈夫だと思います」
――11月に社長の打診を受けてから約1ヶ月、次期社長として意識して団体を見てきたと思うが、現段階の課題はどのようなものだと思うか
棚橋新社長「これはなかなか難しいことなんですけど、ファンの皆さんがどういった新日本プロレスを見たいか。うん。僕はやはり、試合終わった後に『楽しかったね、面白かったね』と。その後飯食いながら、酒飲みながら余韻に浸れるようなプロレスっていうものがね、やっぱり自分でも観戦でいい思い出がたくさん残ってますし、そうしたプロレスを観戦して、それをエネルギーに変えて日常に持って帰ってもらえるような、『見に行って良かったな』と思ってもらえるようなものにしていきたいと考えています」
――今回の社長就任について、他の選手たちにいつ伝えたか。また、その反応は
棚橋新社長「選手に伝えたのが最終戦ですね。22日の後楽園ホールの試合終了後に伝えたんですけど、まだ……あの、みんなもビックリしてそんなにリアクションっていうのは無かったですね。これからいろんな反応が出てくるんじゃないかと思うんですけども、僕の感覚ですけども、好意的に迎えられたんじゃないかと思います」
――なにか言葉をかけられた?
棚橋新社長「ん~……まだかけられてないですね(笑)でも、先輩、自分よりキャリアが上のレスラーには『頑張って!』っていうことを言われました」
――新日本プロレス創業者であり、選手兼社長の走りでもあるアントニオ猪木さんに伝えたいことはあるか
棚橋新社長「猪木さんが亡くなられて、その映画も出させていただいて、っていうタイミングもあってのこの社長という重責を担っていくわけなんですけども。そうですねえ、猪木さんが思い描いたプロレス会場というものは、僕としてはこうなんだろうなとイメージすることしか出来ませんけども、新日本プロレスが超満員で盛り上がっていたら、天国から見てくれているであろう猪木さんも『おう、やるじゃねえか』と喜んでくれると思います」
――2000年代の苦しい時代に地道な営業活動に精を出し、コロナ禍の中でもトップレスラーとしても身体を張ってきた経験を経営にどう活かしていきたいか
棚橋新社長「常に少し先の未来を見る能力というか力というか。僕もプロモーションをやりながら経験したことがあって。やはり、プロモーションをやっても、その効果っていうのは少し遅れて来るんですね。ディレイするというか、これを僕は『3年後理論』と呼んでるんですけど、プロモーションを本格的にやり始めたのが2006年、初めてIWGPのチャンピオンになったとき。プロモーションを6年、7年、8年、9年とコツコツ続けていって、6年もプロモーションが9年に、9年のプロモーションが12年にと、少し遅れて来るんですが、すぐに手応えを感じられないけども、『プロレスの熱っていうのはじわりじわりと伝わって来るんだね』という経験が自分の中にありますので、その辺も選手の方に伝えていければなと考えています」
――新日本プロレスはこの10年でエンタメとして急成長してきた。それと同時に他のエンタメもかなり増えているが、ライバルにどう勝ち抜いて事業成長していくかという考えはあるか
棚橋新社長「これもやっぱり、ファンの頃の経験なんですけど、応援している選手が勝つと嬉しい。『俺も頑張ろう』『僕も頑張ろう』という思いになる。まだ当時は“推し”という文化が無かったんですけど、プロレスラーっていうのは対抗の図式があって、応援している選手がいて、推してる選手が頑張ってる、勝ってる、タイトル獲ったってなると、やっぱり応援してくれたファンの人もエネルギーをもらえて力になるというところがあります。そういう推しの文化っていうのは他のジャンルにもありますけど、そういった応援の熱量を力に変えられるっていうのが、オンタイムで、しかもリングサイドでの応援がそのまま同時にリング上でのプロレスラーのエネルギーになるっていうのはプロレスならではのところではないかなと思いますので、会場の熱量を現地で観戦する、映像配信でも広く伝えていって、大きい目標として『日本を元気に』っていうところが出来たらなと考えております」
――棚橋新社長が考える社長レスラーならではの強みはなんだと思うか
棚橋新社長「やはり、営業活動が強みになるかなと思います。引退後も出来ないことはないんですけど、現役であるということのメリット。地上波の番組に出たりとか、雑誌、WEB、色んなところに取材していただいたりとか、自分自身が日本全国を走り回って営業できる、プロモーションをかけられるってことが一番の強みかと思います」
――社長就任によってリング上の光景は変わるのか
棚橋新社長「現役生活についても、やっぱり考えているところはあります。ありますけども、まだ世界ヘビーを巻いていないので。それが僕の1つのモチベーションになってます。僕はプロレスっていうジャンルを、社長を殴れる唯一の競技だと思ってますんで(笑)集中的にやられるかもしれないんですけど(笑)『なにこの野郎!社長だぞ!』とは言わずに、プロレスという競技で勝負したいと思います」
――再来年からは1月4日が土日になる。1月4日が仕事始めで会場に来るのが難しいというファンも多かった中、これは『東京ドームを超満員にする』という目標を達成する大きなチャンスになると思う
棚橋新社長「持ってますね(笑)『プロレスファンは四が日』っていうフレーズを数年前に連呼して、『4日まで休んでプロレス見ようよ』っていうプロモーションをかけたことがあったんですけども、まあ三が日で土日となると……これは、来ましたね(笑)そういうタイミングもホントにありがたく思いますし、東京ドーム満員という景色をもう1回僕自身も、ファンの皆さんにも見てもらいたいと思いますので、是非お力添えを願えればなと思います。ありがとうございます」