DDT旗揚げメンバーであるMIKAMIが7.19後楽園以降フリーに!EXTREME級への挑戦者に指名された高梨が王者の彰人を急襲
6月16日、都内のTEC事務所でDDTプロレスリングが記者会見を開き、旗揚げメンバーの一人であるMIKAMIが7月19日の東京・後楽園ホール大会を持ってDDTの所属を離れ、フリーとして活動していくことを発表した。
会見には高木三四郎社長、鶴見亜門GMと共にMIKAMIも出席。まずフリーになることを決めた経緯について「ひと言でフリーと言いましても、なかなかこの結論に到達するには時間もかかりましたし、いろいろな考えが自分の中にありました。ひとつはいろんなところに出ていって、いろいろな人とやってみたいとか、プロレスの先輩が全国各地にいるので、いろんなところを周って対戦もして、そこにいる若者たちというかプロレスラーを目指す人たちを育成と言いますか、何かそういうことが出来ればと思いまして(フリーになることを決めました)。旗揚げからずっといたので、なかなか大きなことだと思うんですけど、先日高木さんがプロレス業界の中でもちょっと大きな動きをした(※WRESTLE-1のCEO就任)こともあって、その中で少し話をしたときに(高木社長が)『俺もこうなると思ってなかったけど、いろいろ動いてみるのも面白いよ!』って(言ってくれた)。元々DDTを旗揚げするときに新しくやろうとした人なので、自分もそれに惚れたというか、心意気に打たれて自分も参加しますってことやってきた経緯があるので、高木さんは新しいことをすることに非常に前向きというか寛容というか応援してくれるところがあったので、それを聞いたときに自分も決意がちょっと大きくなりましたね。あとは自分のプロレス人生があと何十年もやるわけではないと思いますので、競馬で言えば最後の直線ラストスパートということで、プレイヤーとしても最後にいろいろな人とやりたいというのはありますし、何か若い人が自分が教えたことで育ってくれて、行く行くは僕は島根県の人間なんですけど、そういったプロレスがあまり盛んでないところから若い人たちをDDTに送り込めたら、それはプロレス人生としては一番充実してるなということを思いまして」と説明。
続いてMIKAMIと共にDDTを旗揚げした高木が「5月5日の青森大会でちょうど自分がWRESTLE-1のCEOに就任することを発表しに行く前、興行前のミーティングで全選手に『これから試合が終わって東京に行って、WRESTLE-1のCEOに就任にすることを言いに行くんだ』ってことを言ったときのカードが自分とMIKAMIのタッグマッチで。それは本当に意味もなく普通に組まれたタッグだったんですけど、そのときの試合前に『本当に俺もこうなると思ってなかったんだよね』って言ったときに、まず彼から『実は自分もいま方向性で悩んでいます。ただ今日の社長の話を聞いてフリーになろうかと思っています』って、最初にそこで言われたんですよね。だから自分は正直ビックリしちゃって。18年間一緒にやってきた選手でもあったので。ただ本人ともいろいろな話の中で、『お互いいつまでプロレスやるのかね?』っていう話をすることもあって。自分もそこまでは長くないんだろうなと思いながら、彼自身も同じようなことを思っていたと思うので。自分も悔いのないプロレス人生を歩みたかったんで、彼自身も思うところがあったと思うんですよね。で、正式に(DDTが青森から)帰ってきたあとに正式に『フリーになります』って聞いたときに、自分の中では今まで18年間一生懸命やってきて、本当にお疲れ様でしたっていう気持ちがすごく大きいのと、あとはこれからDDTではなくフリーとしてMIKAMIという……(1レスラーとして)まだまだやれることはあるだろうし、とにかく頑張ってもらいたいという気持ちなんですよね。リングに上がったらそこはもう自分のことしか出来ないんで、それは彼の中でも相当な覚悟はあっただろうし、覚悟を持ってこれからのプロレス人生を悔いなくやっていくんだと思うので現実を受け止めて、DDTとしては快く送り出してあげたいという気持ちですね」と語った。
今後もタイミングが合えばフリーとしてDDTに参戦することもあるという。早速8.23両国大会には“フリーのMIKAMI”として参戦することが決定しているとアナウンスされたあと、高木は「これからのプロレス人生を最後まで悔いなく頑張ってほしいなと思います」とエールを贈った。
ーー18年間のDDTでの歴史の中で一番印象に残っていることは?
MIKAMI「99年から2000年にかけての……年明けての2000年ですかね。プエリトリコの遠征ですかね。そこから三上恭平からMIKAMIという、当時は生意気な小僧に変貌したわけですけど、そのイメチェンがずっと大きかったですね。それが一番ですね」
ーーフリーになって具体的に上がってみたい団体とか、対戦してみたい選手とかは?
MIKAMI「そういうのはないんですけど、ちょこちょこ声をかけてもらっているところはありまして。そういうところや地方にどんどん出ていきたいなと。いろんな人と再会したりとか、初めてやったりとかしたいなと思います。先日、大阪でタイトルマッチやって(大日本プロレスの)関本(大介)&岡林(裕二)組と初めてやったんですけど、やっぱりすごく刺激的でしたし、『こういう人もいるんだな』って闘ってすごく感じましたし、またやりたいなと思いましたし」
ーー地元という話も出ていましたが、そちらでの活動や若手育成に関して具体的な動きは?
MIKAMI「まだそこまで……仲間というか、地元の少し力を持った人を持っている方にこういう話は少しは触れているので、『あぁ例の件なのね』ってことは分かるかもしれないですけど、まだ具体的には。でも出来たらいいですね。(若い人に)教えたいです」
ーー高木社長としてはついに旗揚げメンバーが一人になってしまい、寂しいところ?
高木「そうですね。NOSAWA(論外)は結構早いタイミングでランナウェイしちゃったんで。(MIKAMIは)ずっとずっと文句も言わずに一緒にやってきてくれたんで、正直なこと言うと寂しい気持ちはしますけど、やっぱりMIKAMI自身が決めたことだし、選手の自主性を尊重してあげたいんで。そこで困ったことがあったら後押しもしてあげたいし。それはこれから彼が自分で道を切り開いていくことだと思うので……でも本当、旗揚げメンバーが俺一人になっちゃったんで。これで俺もDDT辞めたら旗揚げメンバー誰もいなくなっちゃうなぁとか、そういうことを考えたりとか考えなかったりとか、よく分からないですけど(苦笑)。でも頑張ってほしいなと思いますよ。いくつだっけ?」
MIKAMI「もう今年(4)2(歳)ですね」
高木「42! いくつでDDT来たんだっけ? 24か?」
MIKAMI「(2)3か4ですね」
高木「だよな!」
MIKAMI「早いっすね。だからみんな『馬鹿じゃないの』って思うかもしれないですね。何でこのタイミングでDDT抜けるんだと。一番いい時に(辞めるなんて)ねと、思うかもしれないですけど。失うこともありますけど、今後に向けて本当は失っているんじゃなくて、糧に、力になっていると信じて。DDTを離れるかもしれないですけど、見守っています。DDTという王国を飛び出して、少し冒険させてもらって。行く行く何か恩返ししたいですね。必ず。心は常にDDTっていうものを持って行動していきたいと思います」