【全文掲載】藤波辰爾と長州力がアントニオ猪木さんを偲ぶトークショー「線香あげるときに手が震えて火がつかなかった」「力道山先生が亡くなった時も猪木さん馬場さんも同じ気持ちだったのかな」

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 10日、日本プロレス殿堂会が主催する『LEGACY II』が後楽園ホールで開催。この日、マサ斉藤さん、グレート小鹿、ザ・グレート・カブキが新たに殿堂入りしたが、大会開始前の11時より、藤波辰爾と長州力がトークショーを行った。

 小佐野景浩氏が司会を務め、アントニオ猪木さんについて二人が語ったトークショーの全文を掲載する。

――日本プロレス殿堂会、去年の9月に続いて行います。ご来場ありがとうございます。大会開始に先立ちまして、藤波辰爾さん、長州力さんのトークショーを行います。よろしくお願いします。それぞれまず一言お願いできますでしょうか?
藤波「今日は早い時間から、ありがとうございます。お客さん大丈夫?こんな早い時間にやって大丈夫?今さっき開場したばかりで、遅れるかと思った(苦笑)」

――大会開始前にやるとは。賛同メンバーの一人の天龍さんが入院されてましてね
藤波「寂しいよね。まあ早く回復してね、また一緒のリングに立ちたいと思いますけど。(寂しい客席を見て)えー、どうしてもこの、あまりにも時間が早いものだからね。これ我々が一番最初のオープニングって告知したの?(苦笑)」

――試合前にやりますという告知は・・・
藤波「これ目当てに後から入ってきたお客さんには申し訳ないけどね」
長州「今日は新日本もどっかで、両国かな?」
藤波「思わず両国行っちゃった」

――両国は夕方5時からだから
長州「5時だろうがなんだろうがね。今日かぶっちゃってるんだよね」

――このお二人並ぶと散々メディアからお話聞かれてると思いますけど、殿堂入り第1号だったアントニオ猪木さんが10月1日に亡くなりまして、お二人にも語っていただければと思うのですが
藤波「そうですねあの、昨年の第一回目の殿堂会の旗揚げに際して、第1回のね、殿堂入りの受賞者と、猪木さんが殿堂入りのセレモニーができてよかったなと。本来ね、僕とか長州さんとかメンバー揃いましたけど、ほんとは僕らは全然一緒に馬場さん猪木さんとか肩並べるほんとは立場じゃないんだけど、まあスタートがこういう形でご一緒にさせてもらいましたけど、これがだから本来はね、ちょっと師匠も出てもらってね、猪木さんとやりとりしたかったですね」


――長州さんは昭和が終わったという発言もありましたが
長州「もう僕はもう気持ちの中ではキレイに。そんなにきちんとは整理できてないけど、気持ちの中では。たまたま、そういうこのあれをニュースで見て。うん、まあ、亡くなる前にもちょっとお会いしたことあるんだけど、当然家族葬ですか?そん時に、ちょっと今住所変わってるけど静岡まで行って、そしたら坂口さんがいて、奥の部屋の方で安らかに。なんか起き上がってくんじゃねーかなと思って。廊下の向こうに見えるわけだよ。まああとは線香あげようと思って、まあでも家族葬、立ち会えてよかったなと。うん。ただやっぱり、廊下から向こうに寝てる猪木さん見ると起き上がってくんじゃないかなと。ただもう胸がきゅっとなってもう、こういう事は初めてだね。どうしても、その部屋に、行くまでこう、なかなか部屋に入っていくのがすごい、つらさかな?それで自分なりに、気持ちの中で話しかけて、いろんなことをこう。まあ、時間も長く、10分15分そばにいれたからあぁ良かったなと思って。ただ、線香最後にあげるときに、手が震えて火がつかない。そばにあったんですよ台が。これなんなんだって、手が震えて、そばにいた方が手を抑えてくれて火をつけて。こんなこと初めてでしたね。自分の両親もそこまでならなかったけど、やっぱり猪木さんに線香上げるっていやー、なんかもう、まだいかないでなんか待っていてくれる感じがしますよね。起き上がってくんじゃないかと思って(笑)まあそこまでのドッキリは流石にないだろうと(苦笑)まあだから自分の気持ちの中では僕はあれで終わってますね。まだ一人で(藤波が)頑張ってるから」

――そうですよね。藤波さんまだ試合が21日福岡、30日大阪、12月1日代々木で棚橋と一騎打ちもありますしね。新たな決意もあるんじゃないですか?
藤波「そうですね、徐々に切り替えていかないといけませんけど、大丈夫ですよ、今日はもう泣きませんから。もう、この数日間、なんか、先日長州さんと一緒に猪木さんのお宅伺ったんだけど、まあほんとに、何年ぶりか、何十年ぶりか、ちょっと涙流しましたけどね。どっかで切り替えなきゃいけないかなと。自分の中では、猪木さんの本当のところのね、体調見てましたから。いつかはっていうのはそりゃ、どっかで心の片隅に覚悟はしてたけど、まさかあんな形でポーンと来るとね、頭が真っ白っていうのかな、もうなんにも手につかない。それにちょうどその日試合があったんだよね。1日、とどろきアリーナ。なんかね、地に足がつかないというか、どんな感じで試合が流れて終わったのかわかんない感じでね」
長州「もう40年近く家族より、猪木さんといるほうが長い(笑)」
藤波「家族だったからね。親より長いし。最後にだから、最後にお別れした日もね、会長のお付きの人にことわって、最後に猪木さんに触れさせてもらっていいですか?ってね。僕も最後に昔、日本プロレスに入門した時に、背中流させてもらってね、背中流してシャンプー流してたんで、まあ今回はね、身体は触れないんで顔ちょっと触らせてもらって、頭を昔シャンプーしてたみたいに触らせてもらったんだけど、そん時はね、もう猪木さんにね、涙がかかっちゃいかんって大変だったけどね、そんなすごい一日でしたね」

――やっぱり大きな存在ですね
長州「我々にとってはね。ファンの人たちにとっても」
藤波「プロレス界全体にとっても大きい存在。だから僕もふと思った時に、力道山先生がね、僕は面識なくてお会いしたことないんだけど、力道山先生が亡くなった時も猪木さん馬場さんもおんなじような気持ちだったのかなと気がしてね。あれからこんだけのプロレス界を作ってくれて、これからの選手もね、これから頑張ってくれるでしょうし。うん」

――藤波さんと長州さんにしても、初めて出会ってから、長州さんは1973年12月に新日本入ってますから。今年でもう49年のお付き合いですね
長州「まあ俺と藤波さんの付き合いは、それぐらい長くなるけど、俺ね最近ね、面白い、面白いなぁ、面白いって言ったらあれだけど、あの、よく今あの、なんだ、色んな携帯とかSNSの、藤波さんとなんか、会長にそばについてっていうね、そういう写真がちらほら目につくの。面白ーいのはね、やっぱり、2歩も3歩も後ろに立って写ってんだよ。一緒にお互いに、こう試合で戦っても、なにかその上で、MCの人がリング上がって離すけど、(藤波が)もっと後ろに下がっていて」
藤波「いや昔はね」
長州「あれがおかしくておかしくてね。おかしくて(笑)」
藤波「多分なんかあったんだと思う」
長州「いや俺もそうだよ」
藤波「後輩だから、師匠の影を踏まずじゃないですけど、3歩4歩下がってね。カバン、猪木さんのカバン持ってね。常に移動してましたけど」
長州「これはもうなんやかんや、あの猪木さんに楯突いてなんやかんや言っても、やっぱり下がってるんで(苦笑)向かいあってないんだよね」
藤波「色んなSNS、Facebookとか、昔の写真をファンの方が上げてくれて俺らもそれ見て懐かしんでるけどね」
長州「昭和の時代は僕の中では、藤波さんは藤波さんの考えで、これから。藤波さんの方から。俺はもうとりあえず全ては終わったですよね。さっきも最初言ったとおり。後はやっぱり、藤波さんがどういう。それでもう、俺はもう、別になんにも思い残すこともない。そんなにキレイにできるかできないかわからないけど、意外と俺の場合は。世界を切り替えてやるから。あとは何が言われるか」

――時代は流れていくので昭和のプロレス、猪木さんもそうだし先人の方たちいましたし、そういったものを殿堂会が繋いでいって歴史を紡いでいく必要があるのかなと今回非常に思わされました。そういう意味ではこれからも殿堂入りメンバーとして。賛同メンバーとしても、お二人に尽力していただくことになるかと思いますがよろしくお願い致します
藤波「そうですね」
長州「(藤波へ)こっちだけ(笑)」

 ここで終了のゴングが鳴り響く。

藤波「この後試合あるからね」

 殿堂セレモニー終了後には、アントニオ猪木さんへの追悼の10カウントゴングも行われた。

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