「自分自身が自分の理想の選手でいられなくなった」と、パンクラスismの大石幸史が引退を発表

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1月23日、都内渋谷区のGOLD’s GYM東京原宿で、大石幸史(パンクラスism)が引退会見をおこなった。
大石は第4代ライト級キング・オブ・パンクラシスト、並びに第2代ONE FC世界フェザー級王者。2000年4月、和術慧舟會RJW所属としてUFC-Jでプロデビュー(ラバーン・クラークに判定負け)。2001年3月パンクラス横浜に入門、同年10月、ミック・グリーン戦でパンクラスデビュー、判定勝ちを収めた。
その後もDEEP、DOMOLITION、UFC、BodogFight、ONE FCなどさまざまな舞台で活躍。2008年からは道場長としてパンクラスの屋台骨を支えてきた。
2012年、フェザー級に転向。2013年3月にタクミ(パラエストラ大阪)の持つフェザー級KOPに挑戦、ドローに終わって以降はONE FCで活躍し、パンクラスには上がっていない。

会見場となったのは、大石が指導しているP’sLAB原宿。外国での試合直後であっても指導を休むことのなかった大石らしい選択だった。床にマットを敷き、自ら会見場をセットした大石はスッキリと晴れやかな表情で質問に答えた。
「引退については、ここ数日で急に話が進んだ。引退については以前から考えていて、どのタイミングで退けばいいのか、というだけだった。理由はいろいろあって、それが積み重なって、これというのは難しい」。
2011年、ライト級KOPのベルトを巻いた時でさえ「いつまで続けられるかわからない」と言っていた大石。ここに至って引退の決意を固めたのは、端的に言えば「自分自身が自分の理想の選手でいられなくなった」ことだ。「僕はプロレスラーに憧れてパンクラスに入った。ここに入れば最強のプロレスラーになれるだろうと思って入団した。僕の理想は、他人の言葉ですけど“いつ何時、誰の挑戦でも受ける”こと。この心構えが、今の自分にはないと感じていて、これでは選手として使いものにならないと判断したのが一番大きな理由」。
怪我も理由の1つだ。今すぐ動けなくなるというわけではないが、パンクラスに入る前のレスリング時代からの古傷が、このところ急に疼き出したという。「少し前までは、そんなに気にならなかった。でも、ONE FCに出る直前くらいから急に吹き出した。ONE FCはテーピングして出ようと思ったら、テーピングは駄目だと言われてびっくりした」と当時を振り返った。肉体的な理由と、精神的な理由が重なり、「負けたときは、いつも引退しようかなと思っていたけど、今回は特にそれが強かったので決心した」という。
前述の通り、引退を考え始めたのはパンクラスで初めてベルトを巻いた2011年ごろからだった。「あの時、リングで“あまり長くはできない”と言った。ただ、そう考えてはいても、そこは自分次第だろうという気持ちもあった。でも、今は試合を選んでしまっている。オファーが来て、“じゃあ2ヵ月待ってください”と言わなくてはならない。準備に時間がかかるようになってきた。僕は、試合が決まったら明日でも闘える、そういう選手でいたかったから。年間、何試合するとか関係なくて、1試合でも10試合でもいいんだけど、いつでも受けていつでも闘える選手であり続けたかった。そういう気持ちがあるかないかということだと思う」と言う。
しかし、決めたのはここ数日のこと。「そうは言っても、まだ本当に引退するまではいっていなくて、真剣に復帰に向けて練習していた。今日も練習してきたところ。ただ、準備がしていたが、何か違うなという違和感はあった」と話す。
ベルトを巻いて安心したのもあるかという質問が出ると「それはない。気持ちが落ちたのはベルトを獲ったからではないと思う。……でも、もしかしたら、そうなのかも知れない」と、まだ気持ちの整理は完全についていないようだ。
また、もし昨年8月、ONE FCでジャダンバ・ナラントンガラグに勝っていたら? という質問には「王者でいる限りは責任があるので、続けていたと思う。簡単に辞めるのは失礼だから」と答えた。

引退を発表した大石幸史②引退を決めるにあたって、誰にも相談はせず、ismの仲間には結果だけを報告した。決断に対して反対はなかったという。大石のこれまでの選手生活には、パンクラス東京道場の閉鎖、ピースラボの移転、経営者の度重なる変遷など、パンクラスの存在そのものを揺り動かすような出来事が次々と起こった。ismの選手たちは、それを一緒に乗り越え、文字通り苦楽を共にしてきた仲間だ。大石の気持ちは誰よりも理解できるのだろう。
だからこそ、たとえ辞めても、大石のパンクラスへの気持ちは変わらない。「パンクラスへの愛は全く変わっていない。僕が闘ってきたのは、パンクラスの名前を上げるため。そのためだけにやってきた。パンクラスって何なんだと言われたら、プロレス団体のパンクラスなんだよ、プロレスラーは最強なんだよ、と」。また、悔いも残る。「悔いはいくらでもある。僕の中ではプロレス=最強で、自分は最強になる予定だった。誰でもわかりやすく、誰とでも闘うプロレスラーになれずに終わった悔い。そして、後輩を残せなかった悔い。鈴木(みのる)さんたち先輩は、僕らのような後輩を育ててくれた。でも、大量に抜けたりしたこともあったし、後輩を育てられなかったというのは大きな悔いです」と語った。

引退後は、いったんパンクラスや格闘技から離れ、全く違う道を歩きだすという。「アマチュア部門の指導の引き継ぎをしっかりやって、それから新しい人生を歩き始めようと思う」と言う大石。余裕ができたら、趣味で格闘技を楽しむつもりだ。
引退試合はしない。「あと1試合、と思うのであれば、どのみち駄目だと思う。それは、僕の憧れるプロレスラーじゃない。使い物にならないのに、自分の記念として(試合を)商品として出すことはできない」と言う大石。本当に真面目でまっすぐな性格なのだ。
これまで、苦しくてもパンクラスのためにこらえたことも多かったはず。また、道場長としても、パンクラスのことは人一倍考えてきた。大石幸史という素晴らしい選手を失うのは残念でならないが、逆に、だからこそ、その決断を支持し、新しい人生に幸多かれと祈らずにいられない。14年間、本当にお疲れさまでした。

【写真・文/佐佐木 澪】

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