惜別の辞。涙で輝いたスーパー・ストロング・マシン

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(文・フリーライター安西伸一)

6月19日(火)、新日本プロレスの後楽園ホール大会で、スーパー・ストロング・マシン選手が引退セレモニーをおこなった。

今年の1月31日まで、新日本の道場で若手選手らのコーチを務めていたが、その契約も終了。更新されることはなく、引退セレモニーをおこなうことを提案され、この日を迎えた。

誰がゲストとして来るのか、どんなセレモニーになるのか。具体的には知らされない日々だったので、マシン選手はただ、自分がリング上で挨拶し、みんなに感謝の言葉を伝え、自分に対しても新日本に対してもファンに対しても、ケジメをつけることだけを考えていた。

僕がマシン選手の試合を生で会場で見たのは、2009年10月10日の新潟・小出郷総合体育館大会が最後だった。第3試合のタッグマッチに出場していたが、久しぶりに見たその動きも、体つきも、カルガリーハリケーンズ時代に見ていた当時と変わらない、元気いっぱいのもので、「この人は歳をとらないのか!」とビックリした覚えがある。

でも、6月19日の後楽園大会のメインイベント。セコンドにつくためスーツ姿で現れたマシン選手は、かなりやせているのが、スーツ越しに見てもわかった。この半年で20キロぐらい、体重は落ちている。

道場に行くこともなくなったし、自宅でトレーニングすることもなかったマシン選手。表情はマスクをしているので、まったく読み取れなかったが、いま思えば、心中は察するに余りある。

メインイベントが終わり、そのあとで約7分間、マシン選手のことを紹介する映像がビジョンに流れた。その中でマシン選手は、こんなことを言っていた。

「若い頃はね、みんなトップになりたくてプロレスラーになっているんですよ。でも、いろいろ経験していくうちにね、トップにならなくてもプロレスを盛り上げていくことができる(んだってわかった)。役割分担を決断する選手はなかなかいないと思うんですけれども、そこを決断して、それ(ナンバーツー)に徹してやろうと。受け身の数は、ナンバーワンの選手より倍以上多いですね。ケガも多くなるし」。

聞き手の人はこう、たずねた。「苦しいじゃないですか。痛いことも多い」。

するとマシン選手は明快に、こう答えている。「そりゃあね、やっぱりプロレスが好きだからですよ。ナンバーワンだけがプロレスラーじゃない。二番手こそ主役だ!」。

もう随分まえのことだけれど、カルガリーハリケーンズ時代に、マシン選手は僕に、こんなようなことを言ったことがあった。

「プロレスはメインイベントだけで出来ているんじゃない。第一試合からすべて、意味があるんだ。メインで勝つスター選手だけで、プロレスをやっているんじゃない。それぞれの場所で、頑張っている選手がいるんだよ。だから巡業先で列車での移動があったら、前座の選手だって、みんながグリーン車に乗るべきなんだ!」。

あの頃のマシン選手はまだまだトップ目指して、駆け上がろうとしていた。でも当時からマシン選手には、興行の成功を考えたとき、選手にはそれぞれの“役割”をまっとうしなければならないこともあると、悟っていたのだ。

だから蝶野正洋と組んだ時も、橋本真也と組んだ時も、魔界倶楽部の一員となった時も、マシン選手は一歩引いていた。それが、歳を重ねたマシン選手がプロレスラーとして生きる“美徳”であり、見つけた“やりがい”でもあったのだろう。

でも僕の中では、いつもマシン選手がナンバーワンだった。たとえ二番手の役割をしていたとしても、ユニットを盛り立てる役に徹していたとしても、その心情がわかっていたから、マシン選手の行動をいつも気にしていた。

いつ、また最前線に飛び出してくるのか。再浮上するチャンスが、いつくるのか。僕はジッと息をこらして、見守っていたのだ。

でも、受け身を取り続けた体はボロボロになり、ヒザが悪いのだろう、この日姿を見せたマシン選手は、リングへの階段を上るのも、しんどそうに見えた。

そしていよいよ引退セレモニーへ。「私のプロレス人生に、全く悔いはありません! やり切った、という感じです」。「小学校5年生ぐらいから、ずーっとプロレスのことばかり考えて、約50年近くになりますけど。プロレス以外のことは何も考えられないので、ちょっと時間がかかるかもしれないですけど、第二の人生の目標を、早くみつけたいと思っています」

会場に起こるマシンコール。この日は本当に一回も、平田コールが起きなかった。ファンはマスクマン人生をまっとうしようとしていたマシン選手の心情が、わかっていたのだろう。後楽園ホールの客席を埋めたプロレスファンが見せた“プロレスへの愛”を、痛いほど感じた。みんな本当にプロレスが好きなのだ。平田コールの大合唱が起こることを予想していた僕は、自分を恥じた。本当に恥ずかしかった。僕にはもう、プロレスを語る資格がないのかもしれない。

そして、この日のクライマックスは、唐突に訪れた。テンカウントゴングが鳴り、退場の音楽が鳴り始めると、マシン選手は音楽のボリュームを下げるよう、うながし、またマイクを持って喋りだした。

1月25日、夫人が亡くなったことを告げ出したマシン選手。あ然とする観客、関係者、報道陣。その事実は、ごくごく一部の人しか、知らないことだった。おそらく最後にマシン選手が、夫人のことをリング上で話すと知っている人もいなかったはずだ。

マイクをキャンバスの上に静かに置くと、マシン選手は上を向いて、「マサミー! ありがとう!」と叫んだ。

マシン選手のマスクが、涙で輝いたように見えた。僕はただ棒立ちになって、リングを下りるマシン選手を会場の後ろの方から見ていた。

マスクマンであるマシン選手は、あまりプライベートを公開してこなかったが、僕は二人が結婚する前のマサミさんを知っている。でもそれ以来、28年以上は会っていない。

僕が知っている限りでは、控え目だけど素敵な人だった。どんな女性に、なっていたんだろう。

これ以上はもう……………。

スーパー・ストロング・マシン選手。立派な選手生活でしたね。お疲れ様でした。

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