【インタビュー】引退直前のインディープロレス界の”永遠エース”ダイスケがプロレスラー生活を振り返り、日本大学プロレス研究会時代から最後の田村戦への想いを語る![後編]

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【前編はこちら → https://battle-news.com/?p=34250

 11月5日、神奈川県を中心に活動するプロレス団体・HEAT-UPが行う東京・新木場1stRING大会で、シングルマッチ最強の選手を決める『灼熱王バトルリーグ☆2017』の決勝戦が行われる。
 『灼熱王バトルリーグ☆2017』とは、田村和宏率いるHEAT-UPが初めて敢行したシングルマッチ最強の“灼熱王”を決めるリーグ戦であり、9月2日より予選リーグが行われていた。

 11月5日のHEAT-UP新木場大会には、灼熱王リーグ決勝戦の他にもう一つのメインイベントがある。
 9月に年内引退発表をしたガッツワールド所属のダイスケと、HEAT-UP代表の田村和宏の最後のシングルマッチだ。

 ガッツワールドプロレスリングは、2004年にガッツ石島とダイスケの二人が中心となって旗揚げしたプロレス団体である。
 この二人は、学生プロレス出身の選手であり、既存のプロレス団体で修行を積んだ上で独立や暖簾分けのような形で団体を旗揚げしたわけではない。裸一貫から旗揚げし、今年で13周年を迎えるまでに団体を成長させてきた。
 ガッツワールドは、初期からFMW等で活躍したミスター雁之助を招聘(2014年より正式に所属)して指導を仰ぎ、真摯にプロレスと向き合ってきた団体であり、現在も確かな技術を持った選手が多く所属している。

 このガッツワールドを旗揚げから中心となって支えてきた選手の一人が、“永遠エース”ダイスケである。
 ダイスケは、ガッツワールド創設メンバーの一人として、ガッツワールドの名を世に広めるべく奮闘し、2000年代以降のインディープロレス業界の発展に多く寄与してきた選手である。
 2016年には、『FIGHTING TV サムライ』が主催する、『輝け!どインディー大賞2015』でMVP第1位を獲得。さらには、2015年7月にミスター雁之助とのGWC王座戦でベストバウト第1位、ベストプロモーション第1位の三冠を受賞し、名実ともにインディープロレス界の顔となった。
 そして、今年9月のミスター雁之助との最後のシングルマッチ後には、ミスター雁之助に「俺、25年くらいプロレスやってるけど、俺の好敵手は三人いるんです。ハヤブサ、新崎人生、そしてダイスケです」とまで言わしめたほどの選手である。

 そんなダイスケと田村和宏は、インディープロレス界のライバルとして10年以上切磋琢磨してきた関係である。
 田村が当時所属していたSTYLE-Eと、ガッツワールドは旗揚げ時期や規模が似通っており、現在とは立場は違えど当時から二人は負けられない意地をぶつけ合ってきた。
 2014年のガッツワールド初の後楽園ホール大会で二人は対戦しているが、その際にはダイスケが勝利を収めている。
 しかし、今年9月にダイスケが突然の引退を表明。これに対して田村は激怒。『まだ出来るはずだ』『勝ち逃げするつもりか』『二度と引退なんて言えなくしてやる』と、悲しみの裏返しから挑発を繰り返している。
 そして、そんな二人が11月5日に最後のシングルマッチを行うこととなった。

 この対戦を前に、ダイスケにプロレスラー生活を振り返っての思い出や、最後の田村戦にかける想いを聞いた。

10月28日の666新木場大会にヤンキー三丁拳銃の助っ人として参戦したダイスケ。
腰には今年1月獲得したILNPのチャンピオンベルトを巻いて入場した。

――改めて、引退に向けての想いを
「引退の理由としては、まずは前々から抱えている膝と腰の状態が良くないというのがあります。怪我だけの話だったら……よく試合見た後のお客さんに『無期限休養にしてまた良くなったら戻ればいいじゃん』と言われるんです。そう言ってもらえるのはありがたいと思っているんですけど、自分的に年齢的に限界というのは決めていたのは元々あって。
 初めて大学入ったくせに就活もせずにプロレスばかりやって、その中で両親との話でも『30までに形にならなかったら辞めなさい。辞めてマトモな仕事をしなさい』というのがあって、それがプロレスを始める前提の約束としてたありました。まぁ結果としては大分伸び伸びになりましたけど(笑)
 もう一つ、自分は学生時代に凄くCIMAさんに憧れていて、うろ覚えですが、CIMAさんの『CIMAがCIMAとしての試合が出来なくなったら引退する』というような言葉に感銘を受けたのがあって、やっぱり自分のトップギアが入らなくなったら潮時かなと。
 プロレスって、やりようによっては50歳、60歳までやれて、それはそれでスタイルや魅せ方が無限大にあり素晴らしいものになるけど、自分のやりたいプロレスとしては、自分自身のトップギアの試合が出来なくなったら、やりたくないなと。自分が自分でなくなってしまうなと……。
 仮に自分が『大御所』と呼ばれるまで続けられたとしても、試合の説得力が無くなるようであればやるべきじゃないなと思うんです。潮時というか、自分の美学に反するというか。
 ウチの団体で仮に例えれば、大谷がバリバリ力つけて自分と戦ったとして、『ダイスケは大谷に動きで負けてるけど、キャリアの差で勝てたね』『試合は大谷のほうが良かったのにね』みたいに思われながらやるのは嫌だったんです。これは大谷に限った話ではないですけど。ダイスケというレスラーの考え方として、僕は自分の旬が過ぎたら第一線でやるべきではないと思ったんです。始めるときにも『40まではやらないだろうな』と決めていました。親との約束の話とかを抜きにしてもそうだったと思います。
 辞める理由としては元々そういう考えが基礎として持っていて、自分の中でのピークだったのは最初の後楽園から悔しい思いをしてベルトを獲って、防衛を7回くらい重ねて……1年以上防衛して。その期間が自分の中ですごく体力的にも気力的にも充実していた1年間だったかなと思うんです。
 去年5月に雁之助さん相手に後楽園でベルト落として、一旦ちょっと目標を見失ったタイミングがあって。でもそれだけならヘコむ程ではなかったんですけど、その年の秋にヘルニアが再発して、体調がガクっと落ちたんです。再発したときには二足歩行さえもままならないような状態で、本当に試合出来るのかも分からない中、どうにか治療して試合は出来るようになったけど、そこからは、気持ち的にも、防衛戦を重ねた頃のモチベーション、フィジカルがついていかなかったんです。
 去年の秋に、本格的に引退を考えたんです。本当に何もなければ去年の12月に引退していたと思います。ただ、そのタイミングで達彦が大日本に移籍するという話が出て……。もちろん団体としては主力選手ですし、辞めて欲しくないから話し合う機会もあったんですけど、最終的には本人の意思を尊重する形になって。
 ここで俺も一緒にやめたら、流石に団体がマズいんじゃないか、ということで『辞めるのを止めた』って感じでしたね。その翌年に『また後楽園でやりませんか』という話が、後楽園ホール側から来たんです。キャンセルが出ちゃったとかで声掛けて下さって。準備期間もないけど、中々チャンスもないし、ここでやらなかったら後悔するだろうという事でやりましょうって話になって。
 いざ後楽園ホールを目指すとなると、アンダーカードに甘んじる事は自分として納得がいかなかったので、その時の王者・マスクドミステリーに挑戦表明をしたんですね。彼も雁之助さんからベルトを奪取し、目覚ましい活躍をしていましたが、自分の描いているGWCの王者像とはちょっと違っていたんです。『そのベルトを任せておけない、俺がやるしかない』と自分自身を奮い立たせたんです。考えるよりも先に挑戦表明という行動を起こし、アラケンさんとシングルで決定戦やって勝ち上がり、ミステリーからベルトを獲った。 
 初の後楽園大会の後、吉野からベルトを獲ったときは体力も気力も充実してて、この時は体力的には限界を感じていたんですけど、気力だけで……『達彦も居なくなったし、俺がなんとかきゃ、俺なら出来る!』と自分自身にハッタリかまして、気力だけで走っていたのかなと思います。
 その後、CHANGOと防衛戦やった時、CHANGOの動きがすごく良かった。タイトルマッチとしては満足いく内容だったかなと思ってます。僕のGWC王者としての試合のスタンスは、正にプロレスらしいプロレス。基本的に技を出し合ってナンボ、受けて受けて、引き出して引き出して、相手の120%を引き出し切った上自分自身130%引き出して勝つ…というものです。
 タイトルマッチとしては良かったのかなと思いつつも、それは何が要因だったのかと考えると、CHANGOの動きがすごく良くて、CHANGOの想いが伝わって、CHANGOの120%は正に引き出せたかなとは思うんです。それに対して自分はどうだったのかなと考えたときに、そこに満足いかなかった部分があったんです。
 試合自体は良かったかなと思うんですけど、挑戦者の気持ちやフィジカルに自分が付いていけていない。あの試合は、試合としては良かったと思っているけど、自分としてCHANGOに失礼じゃないかなとという気持ちを感じ始めた。
 その後、8月にガッツさんの挑戦を受け、防衛に失敗。CHANGO戦における課題点を克服する事も出来ませんでした。ベルトを落とした後に色々考えた末に、ガッツさんに引退についての自分の考えを話しました。フィジカルも限界だったし、モチベーションも一区切り付いてしまった。それをただ続けていても……というのもありましたし、一旦休業して、腰とか膝を手術して、翔太のように戻って来たとして、そのとき自分は35歳、36歳くらい。より体力も無くなった状態で、ただズルズルと、のらりくらりとやるのは、自分自身が嫌だったんです。守れていない親との約束もあるし、第2の人生を考えると切り替えの判断は早い方が良いと思ったし、どこかで区切りつけるなら、ここかなと。達彦が退団してから時が経って、みんな色々やれるようになったし、自分が抜けても大丈夫だと思うし、休みたかったり辞めたかったりという期間を耐えてきたからこそ、自分の中で前向きな意味で『ここかな』と決断出来た感じです」

――復帰の可能性はない?
「引退した選手が復帰をしてしまう原因の一つとして大きく考えられるのはやはり“スポットライト症候群”があるんだと思います。ずっとプロレスしかやってこなくて、受け身しか取ってこなくて、スポットライトの当たる場から、日陰というか一般市民として生きていく生活が耐えられなくて復帰する方って多いのかなと思うんですけど、『プロレスしか無いから仕方無し』と戻ってくるというのは、嫌なんですよ。そんな風にはなりたくなかったし、たまに呼ばれて復帰してヨチヨチ動いて、若い選手にヨイショさせて、お客さんに失笑されるような……そんな風になるのは耐えられないんです」

――11月5日に、田村和宏と因縁の一騎打ち。引退を発表された9月のTORU戦後のコメントで、引退までに戦っておきたい選手に『ライバル』の田村選手の名前を挙げていました。最後の田村戦に向けての想いは
「不思議なもので、基本的には団体の所属の本当に限られた人間にしか、9月20日の引退発表のことは伝えてなかったんです。レギュラー参戦してくれている選手にも、当日の控室で伝えたくらいで。その直前に、2・3年位ぶりにHEAT-UPに呼ばれて、井土くんとのシングルを……引退を発表する数日前にね。その日の控室で(田村に引退のことを)言おうかどうか迷ったけど、言わなかった。言えなかった。」

――直前まで引退を伝えられていなかったことを、田村選手は怒っていました
「そうですか(笑) でも、全くそれを知らずに数年ぶりに呼んでくれたというのは……なんかの縁だったんですかね。向こうも井土くんの相手として思い浮かんだという不思議な縁が。それで9月20日に引退を発表して、『引退前にもう一回』という事に。
 一旦後楽園をやる前の頃に話は戻るんですけど、STYLE-Eとガッツワールドとシークレットベースというのは、旗揚げ時期も団体規模も近い事もあり、お互い切磋琢磨して意識しながらやりあっていた時期があって。その中で、一番絡んでたし、ライバルだと思っていたのは田村和宏だったかなと。キャリア的にはちょっと先輩なんでけど。
 その3団体での対抗戦でも大将戦で競いあっていましたし、初の後楽園でもシングルで闘いました。実力を認めるライバルとして、まず田村さんの名前が頭に浮かんだという気はしますね。
 HEAT-UPのリーグ戦とか、色んなもののタイミングが重なって、こういう試合が組まれて、偶然のような必然だったのかなと。
 だからこそ、この試合は引退記念マッチにすべきでないと思っています。今までの田村とダイスケの歴史の総決算になる試合ができればと思います。
 あと、(11月5日のHEAT-UP新木場大会の)メインはリーグ戦の決勝ですよね?選手であると共に、興行を仕切る人間としての初開催のリーグ戦を盛り上げたいという気持ちは分かりますし、興行としての時間の兼ね合いもあるのかもしれないですけど、自分とのシングルを15分1本勝負で果たして仕留められるのかは甚だ疑問ですね。逆にそれは、15分以内に自分を仕留められる覚悟や自信があるってことなんでしょうね。
 田村個人を倒すこともそうですし、ホントに良い意味で、メインの二人にプレッシャーをかけられるような試合をしたいです。『これが田村vsダイスケだ!』というものを見せられたらなと思います」

――先日のインタビューで、田村選手は、『まだ出来るだろ』と引退に納得していない旨を口にしています。また、『お互いに団体を背負う立場になって、若い選手の壁になる役割がある。その役割を果たさないままプロレス界を去るのか』ということをダイスケ選手に言っていました
「先程、辞める理由に関しても話しましたけど、自分としては『まだ出来るだろ』と言われている内に辞めたいんです。『もう出来ないね』と言われたくないんです。
 業界的には半端な時期かもしれないけど、自分は一生懸命12年間団体を背負ってやって来たつもりですし。自分もレスラーとしてのインパクトを残したいって欲があるって事かもしれませんが、むしろ引退ってこういう方がインパクトがあるのかなと思う部分もあるなって。まるでまだ出来るかのような試合が出来る内に引退した方が皆さんの記憶にダイスケを残せるのかなと。
 皆さんは試合見て『まだ出来るじゃん!』と思うかもしれないんですけど、毎度しんどいのを押して試合してるんです。腰と膝は相変わらずで、右の足の指なんてずっと霜焼けみたいに無感覚になってる。膝の靭帯のせいで階段もスムーズに歩けない。今はそんな中でも『こんな試合が出来るんだ!』と出来るように見せられている内に……。自分の中では、本当に出来ているつもりはないです。
 前にベルトを持ってたときに比べると、明らかに体力的にもコンディションは落ちてるんです。どうにかあのときに近い状態で試合が出来ているように見せている……見せかけているんです。だから、田村さんがそれを見て『まだ出来んじゃねぇか!』と言うなら、見事に騙されているだけですよ。
 田村さんの言う、『次の世代に対する壁』という言葉に関しては、『全然問題無く試合出来てるのに辞める』というのは訳が違う。言い訳がましいですが、なんとか出来てるように見せているだけなんです。
 田村さんの言う、若手の壁になるという考え方には同感できます。……選手として壁になれるものだったら、なってあげたいですよ。
 レスラーとしてやれるかは別にして、コーチ的なもので若手に何かを残すことは出来ると思うんです。壁にはなれないかもしれないけど、支えにはなれると思います。後進を育てるということは出来ます。完全にプロレスと縁を切る訳じゃないし、ガッツワールドを退団するってつもりも無い。選手としての区切りを付けるだけで、決して後進を見捨てるような決断ではないですよ。僕にはもう後進の壁になれる力がないので、別の方向で力になりたいですね。
 でも、田村さんの言いたい気持ちは本当に分かります。その件は言い返すつもりもないです。自分も、そうであったら良かったんだろうなと思います」

『灼熱王バトルリーグ☆2017決勝戦』
日程:2017年11月5日(日)
会場:東京・新木場1stRING
開始:18:00

▼第1試合 HEAT-UP対ガッツワールド・1~ヤングフレッシュWAR~ シングルマッチ 15分1本勝負
井土徹也
vs
大谷譲二(ガッツワールド)

▼第2試合 煙に巻くX タッグマッチ 20分1本勝負
渡辺宏志/伊東優作(DEP)
vs
梅沢菊次郎(アライヴ)/政宗(フリー)

▼第3試合 HEAT-UP対ガッツワールド・2~皮肉な師弟対決~ タッグマッチ 20分1本勝負
藤田峰雄(チンコ)/磐城利樹(フリー)
vs
ミスター雁之助(ガッツワールド)/ガッツ石島(ガッツワールド)

▼第4試合 さよならスライディングD~その魂燃え尽きるまで~ シングルマッチ 15分1本勝負
田村和宏
vs
ダイスケ(ガッツワールド)

▼セミファイナル 灼熱王特別試合~Aブロック対Bブロック~ 6人タッグマッチ 60分1本勝負
ヒデ久保田(フリー)/近藤“ド根性”洋史/CHANGO(フリー)
vs
新井健一郎(DRAGON GATE)/SUSHI(フリー)/阿部史典(スポルティーバ)

▼メインイベント 灼熱王バトルリーグ☆2017 決勝戦 シングルマッチ 時間無制限1本勝負
[Aブロック代表]ノリ・ダ・ファンキーシビレサス(今池プロレス)
vs
[Bブロック代表]兼平大介

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