【インタビュー】佐々木亮太が『PANCRASE 328』で清水清隆のラストマッチ相手へ抜擢!「清隆さんへのリスペクトと自分の覚悟をもって挑みたい」

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 先頃、引退を発表した清水清隆(TRIBE TOKYO M.M.A)が、『PANCRASE 328』(7月18日、ベルサール高田馬場)でパンクラス・ラストマッチを行う。その相手に抜擢されたのが佐々木亮太(蒼天塾あざみ野道場)だ。
 佐々木は、清水と同じ2008年、江泉卓哉戦でパンクラスデビュー。翌2009年にはNBTバンタム級で優勝を飾っている。その後、2011年4月の曹竜也戦を最後に、主戦場をZSTに移して闘ってきた。しかし、今年5月大会で11年ぶりにパンクラスに上がり、今井健斗にアームロックで勝利している。
 実は、佐々木と清水は14年前に一度闘っている。その時は佐々木が判定勝利を挙げている。清水としては、引退前に借りを返しておきたい相手というわけだ。そんな佐々木に、現在の心境を聞いた。

――前回は見事な一本勝利でした。久しぶりのパンクラスに上がってみていかがでしたか。
「ありがとうございます。何か同窓会みたいな感じがしました。印象的に、当日の体重計量があったんですけど、昔から面識のあった荒牧選手とか、川村さんがグッズ売り場にいたりとか、坂本さんが受付にいたりとか。
 私、最後にパンクラスに出たのが2011年だったんですけど、オクタゴンになっても結局変わらないなあと思って、あまり緊張はしなかったです」

――試合は素晴らしいものでした。
「試合自体は、よく言えば練習通りの動きだったんですけど、やりたかったことはほぼほぼ出来てなくて。次、もしパンクラスさんが使ってくれるなら、そこはちょっと修正して上がりたいと思ってたんですけど、まさか元チャンピオンと当たるとは思わなかったです」

――清水清隆選手とは、過去に対戦していますね。
「そうですね。14年前とかですね」

――その試合を今見返しても、お互い最後まで動き続けて、狙い続けてというファイトスタイルは変わらないなと思います。ご自身の記憶はいかがですか。
「覚えています。覚えてるんですけど、1Rで結構ダメージをもらっていて、正直、僕が負けたかなと思ったんですね。でも、延長になって、ギリギリ勝ったというのは覚えています。
 ですけど、当時のブログとかを振り返って見ると『あれは清隆選手の勝ちじゃないの?』っていう声も結構あったりして。で、実際、一番覚えているのは、その大会が終わったあと清隆さんとちょっとすれ違ったんですけど、挨拶もすることなく2人とも素通りして。ああ、清水選手も納得してないんだなっていうのはありました。
 今回オファーをいただいて、僕、清水選手と最後に会ったのはいつだったっけ? と振り返ってみたんですね。思い出してみたら、2010年のSKアブソリュートの今泉堅太郎選手と対戦したんですけど、そのセコンドが清水清隆選手だったんですね。確か、防衛戦かタイトルマッチの前で。
 で、挨拶に行ったら清隆さんがいて、『タイトル戦マジ頑張ってください!』って挨拶したのが最後だったなって覚えてますね。それ以来ですね、お会いするのは」

――あの試合は、お互いに意地を見せて、寝かせられても起きてっていうのがありましたね。清水選手としては「借りを返すチャンスをくれて、佐々木選手ありがとう」ということらしいです。前回から10年以上経ってまた交わるというのはどんなお気持ちですか。
「本音を言いますと、今現在の清隆選手と私では積み重ねたものが違い過ぎて、正直、オファーをいただいた瞬間は、坂本さんからのメールを見て送信先を間違えてるんじゃないかと思ったんですね。
 それぐらいだったので、だいぶ悩んだというか。大体いつも、オファーをもらったら、私(の中)で自己解決して(から)所属先の代表に話すんですけど、今回はすぐ代表と相談しましたね。これは受けていいのか? っていう。元KOPで現修斗ランカーの選手と、パンクラスに戻ってきたばかりの自分がやっていいのか? っていう相談をしました。でも、蒼天塾代表の倉岡(幸平)さんは『いや、チャンスはあると思うよ』と言ってくださったので、その言葉を信じてオファーを受けさせていただきました」

――ご自分としては、この試合に対してどんな気持ちがありますか。
「私としては、パンクラス2008年NBT予選準決勝の延長だと思っています。今回、清隆さんはパンクラスラストマッチ。清隆さんのファンもそれ(清水の勝利)を期待しているし、パンクラスさん的にもハッピーエンド、清隆さんのハッピーエンドを望んでいるはずだと思うんですけど、私としては知ったこっちゃないんで。
 私は2008年の大会で予選は優勝しています。もし今回、負けるんだったら私の中で未来が変わってしまうので、何がなんでも勝ちに行きます」

――今回は完全決着というか、誰にも文句を言わせない勝利を獲りに行くと。
「そうですね。そう言った方がかっこいいと思いますし、そういったものももちろんあります。でも、それ以上に、こうしてパンクラスさんで普通じゃ考えられないオファーをいただいたので、内容も結果ももちろん欲しいんですけど、自分が思い描いているMMAと……これは言っちゃいけないのかもしれないですけど、プロレスを表現したいと思います。プロフェッショナル・レスリングで行きたいですね」

――佐々木選手の中では、MMAというものは、人生の中でどういった位置付けなのでしょうか。
「そうですね、私の中ではパンクラスはプロレス団体なんですね。実際、私が出ていた時のパンクラスは、新日本、全日本、NOAHとかと一緒に『プロレス選手名鑑』に載っていましたし、私が上がっていた時もリングでしたし。
 だから、プロレスというか、プロフェッショナル・レスリングを見せたい、という気持ちがすごくあります」

――佐々木選手は、ずっとプロレスがお好きだったのですか?
「そうですね。実は、もともと、とある団体の練習生から(プロレスラーを)目指したんですけど、ちょっと身長の問題だったり、当時PRIDEが全盛期だったりしたので、総合をやりたいってなって。ちょうどその頃からバンタム級もできて、シフトチェンジした感じですね」

――これまで目指してきたプロという部分が、現在のご自分のMMAということでしょうか。
「いつも私の中で思い描いているのが『打投極』。
 私は90年代のプロレスがすごく好きで、最初は極めずに探って探って、打つ、投げる。まあ飛ぶのはパンクラスでは難しいですけど、そうやって最後に極めるっていうのが好きなんです。
 時代は変わってMMAという競技は確立してますし、リングからオクタゴンになっちゃいましたけど、私の中の根本は変わってはいないですね」

――相手の良さも引き出した上でいろんなものを見せて、お客さんを満足させて結果を出すということですね。
「チケットを買ってくれるお客さんとか、他の応援に来てくれたお客さんに見てほしいっていうのもあるんですけど、自分なりの内容を見せて、それを評価してほしいっていうのもあります。
 評価してもらうにはまず見てもらわなくちゃいけないので、じゃあ何をするかって言ったら、自分を出すしかないかなとは思っています」

――引退する選手の介錯人ということになるのですが、この非常に難しい役どころ、どのような気持ちで望まれるのでしょうか。
「そうですね、私としてはほとんど意識していなくて、せっかく強い選手とやれるので、という気持ちです。介錯人というよりは、せっかく良い舞台を用意していただいたので楽しもうかなという気持ちが強いですね」

――前回はタップを奪って素晴らしい一本勝ちでした。今回はどのような勝利をしたいですか。
「清隆選手と試合をしたのは2008年。私がNBTを獲ったのが2009年で、その時は、清隆さんと私は階級は別だったんですけど。
 この2009年というのは私の中では絶対に忘れられない年で、プロレスリングNOAHの三沢光晴さんが亡くなった年なんです。で、NBTの準決勝を私が突破して一週間後くらいに、リング上で亡くなったっていう話を聞いて。土曜日でしたね。お別れ会に行って、そのちょうど1ヶ月後に決勝だったんです。
 それで、自分は絶対に勝つんだと誓いました。せっかくNOAHの事務所のあるデイファ有明で試合ができるんだから、絶対に三沢さんに何かアピールしようと思って。
 で、勝ったんですね。勝った時に何をやったかというと、三沢さんの、自分の勝ったTシャツを掲げるっていうことだったんです。
 ちょっと話すがずれちゃったんですけど、どうしてこのことを思い出したかというと、ああ、そう言えば清隆選手も三沢さんが大好きだったなと。他団体に出る時も三沢Tシャツを着てましたし、清隆さんのTwitterを見たら、6月13日ですかね、三沢さんの命日についてツイートしてましたし、ああ、何も変わってないなと思って。これは私の勝手な極論なんですけど、『プロレス』『三沢』どっちが愛してるか勝負ですね」

――なるほど。そういう共通点もあったんですね。さて、プロレス団体に入るまでは、佐々木選手はどのようなスポーツキャリアがあったのでしょうか。
「高校時代までは柔道を経験ですね。柔道をやっていたのも(将来的に)総合をやりたくて。でもレスリング部がなくて、田舎だったのでMMAのジムもない、キックのジムもない。じゃあ柔道かな、と形から入りました」

――高校を卒業して、プロレスに行こうということだったんですね。
「はい」

――実際に入門までされたんですね。
「はい。練習生として採ってもらって。プロレスラーとしてデビューはしなかったんですけど、練習生の間に各アマチュア大会に出まして、その中にはパンクラスゲートゲートとかもあって。パンクラスさんに声をかけていただいたのも、ゲートゲートで結果を出してからですね。
 それで、今は名前が変わっちゃったんですけど、当時のパンクラスゲートに上がらせていただいてからプロデビューという形でした」

――入門された団体は、格闘技など他へのチャレンジも許容していたんですね。
「そうですね。格闘探偵団バトラーツっていう団体なんですけど、PRIDEに上がっていたアレクサンダー大塚さんとか、修斗世界ランカーだった井口(摂)さんとか。
 私がバトラーツに入門したのは、プロレスがやりたいっていう理由もあったんですけど、自分の体が小さくて不安のあった中、井口さんが総合に転向してから練習をしていて『この人の下にいれば絶対に強くなれる』と思って入門したくなったのがスタートですね」

――井口選手、DEMOLITIONヤバかったですからねえ。
「はい! 僕は漆谷(康宏)戦(2004年9月、井口が判定勝ち)を見て決めました。よくご存じで嬉しいです!」

――バトラーツはMMAのアマチュアとか、皆さん出てたりしましたもんね。そうしてゲートゲートから上がって行ってNBTを獲るまで、本当に下積みをやっていったことが、地力の強さになっているのではないでしょうか。
「そうですね。下から積み上げたっていう自信なのか、そういう誇りは確かにあります」

――バトラーツには、何歳のころに所属していたのですか。
「18歳〜19歳ぐらいですね。でも、団体としては機能していなかったので」

――でも、アマチュアの大会にみなさんよく出ていましたよね。
「はい。僕は井口さんに憧れて入ったんですけど、色々あって井口さんも抜けていて、実質ジム生で回していた感じだったんですね。その中で、私の先輩の宮下トモヤさんから、格闘技の覚悟とか練習への姿勢とかを学びました」

――ギロチンチョークも。
「はい。ですから、いまだに宮下さんのTシャツを着て入場してますね」

――さて、パンクラスのNBTを獲る、ランカーになってKOPを目指すという流れがあると思うんですが、2011年以降、ZST を新天地に選ばれたのには、どんな理由があったのでしょうか。
「理由としては、当時の仕事の関係で仙台に転勤になってしまって、(選手生活を続けていくのが)難しいということで。
 その後、関東に戻ってきたんですけど、6年ぐらい開いてしまいました。その時、年齢が29歳とか30代手前で、やっぱりもう一度何か残したい、何をしようってなって、MMAをもう一回やりたいと思ったのが復帰のきっかけでした。
 舞台がZSTっていうのは、ちょうどお話があったんですね。ZSTの下の大会のSWAT! で選手を探しているということで。じゃあ、これをきっかけにしようと思ってオファーを受けたのが復帰の始まりでした」

――パンクラス、ブランク、ZSTという経験をしたことは、佐々木選手の中でどういうものになっていますか。
「パンクラスさんには、改めてある方の紹介で復帰させていただいたんですけど、『ああ、まだ使ってくれるんだ』っていうのは正直ありました。でも、使ってもらう以上、貢献したいっていう思いもありますし、ツメ痕を残さなきゃなという責任感もありました」

――ご自身としては、もしパンクラスから話があればもう一度やりたいというお気持ちはあったのでしょうか。
「本音を言うと、そういう気持ちはありました。私の中でパンクラスは本当に思い入れが深いんですね。プロデビューもパンクラスでしたし、新体制になってからもすごい大きくなっていて。ネガティブなことを言うと、私なんか多分、他団体でもっと結果を出さないと使ってくれないだろうという思いはあったんですね。
 なので、本当はZSTでもっと結果を出してからと思っていたんですけど、ZSTが活動停止になってしまって。年齢もベテランになってしまっているので、ちょっと急いだというのもありますね。そうしたら、急転直下、(復帰が)決まったので、そこは本当に感謝しています」

――ケージでの試合は、前回が初めてですか?
「初めてと言えば初めてなんですけど、実は14年前にCAGE FORCEという大会がありまして」

――ああ! あれに出てらっしゃったんですね。
「はい。プレミナリーファイトで、今は引退されたプロシューターの直撃我聞選手とやったり、昔パンクラスに出ていた斉藤良選手ともやったりしてたので。だから初めてではないんですけど、CAGE FORCE当時はヒジもなかったですから、5月の試合は、実質ケージは初めてみたいな感じでしたね」

――キャリアの長さが出てきますね。
「本当に、丈夫に生んでくれた親に感謝ですね。怪我して再起不能でもおかしくないと思ってるので」

――佐々木選手のパンクラス第二章が始まったところだと思います。これから先、どのように思い描いているのでしょうか。
「カッコよく『ベルトを狙いたい』と言いたいところなんですけど。前回の試合が決まった時、SNSの告知で『自分の格闘技最終章、頑張ります』と言ったんですけど、2戦目で早くも最終章が来たなっていう感じで(笑)。ちょっといくら何でも飛ばし過ぎだろっていうところもあるんですけど。
 でも、まあ、そうですね……いい試合をして、11年前にできなかったランキング入りしたいです」

――その相手が、一時代を築いた清水清隆選手を倒して上がっていくというストーリーになりますね。
「うーん……そう思いますが、結果は後からついてくる、でいきたいと思います。とにかく自分を出していきたいです」

――では、改めて、当日は、どんな闘いをして、どんな勝ち方をしてくれますか。
「この7月の試合、打投極をして、清隆さんへのリスペクトと自分の覚悟をもって挑みたいと思います」

 穏やかな話し方の中に、格闘技・プロレスへの愛、たたき上げられたプロ根性を強烈に感じた。そして、清水と共通する故・三沢光晴さんへの想い――。
 14 年間、全く別の道を歩いてきた2人が、再びここで交わる。もしかしたら、清水ほどの選手の引退ならば、佐々木に対しては失礼な物言いになってしまうが、意外なカードかもしれない。しかしここには、知られざる2人の物語があった。
 清水のパンクラス・ラストマッチ、清水がリベンジするのか、佐々木が勝利するのか。万感の思いを胸に、2人は再び対峙する。

(聞き手・撮影/吉田了至、構成/佐佐木 澪)

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