【インタビュー】清水清隆が『PANCRASE 328』でラストマッチへ!「来てくださるお客さまが一番望んでいるエンディングになると思う」
先頃、引退を発表した清水清隆(TRIBE TOKYO M.M.A)。清水清隆ファイナルとして、古巣のパンクラスでもラストマッチを行うことになった。『PANCRASE 328』(7月18日、ベルサール高田馬場)で佐々木亮太(青天塾あざみ野道場)と闘う清水に、現在の心境を聞いた。
――一時代を築いた清水選手が引退とは寂しい限りです。
「アハハ! まあ、始まれば終わるんで」
――ファイナルカウントダウンということで、今回、パンクラスでのラストマッチとなります。どんなお気持ちなんでしょうか。
「悔いのないように、腹一杯の現役生活でしたって言えるように。パンクラスではあれでしたけど、今回がラストになっちゃうかも知れないし、もしかしたらあと1回、2回はできるかも知れないけど、もう1回だけ、ラストだと思って悔いのないようにやるって感じですね」
――表情などを拝見していると、もう吹っ切れているという感じですか?
「そうですね。年も年ですし。自分より年上の先輩方でも最前線でやってる方はいますけど、それは自分と比べることじゃないんで。自分はもう潮時かなと思うんで」
――ちなみに、引退かなと思ったのは何時ごろなのでしょうか。
「直近の試合もそうですし、修斗で出た試合もそうですし。ここ最近は負けたら、ああ、もう終わりかなっていうのはありましたね」
――栃木から上京してきて、格闘技という競技に触れるきっかけというのは何だったのでしょうか。
「出戻りみたいな感じなんですけど。調理の専門学校に行ってたんですけど、そこから東京で板前をやってたんです。その頃から格闘技は好きで、見に行ったり、自分でも走ったりしていて。そのうち、格闘技をやりたいっていう気持ちと板前をやりたくないっていう気持ちが大きくなっちゃって。
それで、人生一回だし、(板前に)一区切りつけて、上京資金を貯めるために栃木へ戻って。そこでも格闘技の動作をしたかったので、先輩らとちょっと格闘技をやって。で、お金が貯まったので上京するっていう形になりましたね」
――二度目の上京は何歳の時でしたか。
「22歳ぐらいですね」
――で、入ったのはSKアブソリュートでした。
「はい。アハハハ」
――すごいチームだったと思います。
「そうですね。先輩ら、みんなチャンピオンでしたからね」
――今泉(堅太郎/バンタム級)さんはいましたけど、基本的にみんな、ウェルターやミドルでしたね。
「そうですね、デカイ人ばかりでしたね」
――そんな中、清水選手は軽量級のエースになっていくわけなんですけど、あの時代っていうのはいかがでしたか。
「もう右も左も分からなかったんで、とりあえず仕事を毎日頑張って、夜は練習に行って、その練習で先輩らにいろいろご指導いただいて、それを繰り返していただけですね。もう何もないゼロの状態だったんで、言われたことをやっていただけです」
――清水選手は、もうアマチュアの頃から頭角を表していましたよね。
「いえ、全然ですけど、でも、キックの試合に出たり、他の団体のアマチュアの試合に出たり、新空手の試合に出たり。自分の経験になると思ったんで、それはやってましたね」
――清水選手はSKの中でも打撃がすごく巧いなと思っていたんですが、打撃がもともとのベースにあったんですか。
「栃木にいる時にちょっと先輩にしごいてもらったり、ちょっと遊びでキックボクシングみたいなのはやったりしていて。そのぐらいですね。高校でレスリングとか空手とかやってたとかでは全くないです」
――清水選手はNBTからパンクラスに出ていますが、パンクラスに上がるというのはいかがだったんでしょう。
「自分はプロレスとか格闘技がすごく好きだったので、まさかそれに出られるのか!? っていうのはあったんですけど、いざやってみたらパッパッと行けたので驚きでした。以前、ベルトを巻いた時に話したんですけど、本当にそれまでクソみたいな人生だったんで、ちょっとバックがあったなという感じでしたね」
――自分にはまったなという。
「そうですね。SKのスタイルの、組んで抑えてっていうのが、当時は合ってたんだと思います」
――のちにTRIBEへ移籍されるわけですが、どの辺の時期だったんでしょうか。
「タイトルマッチで言ったら、砂辺(光久)戦の4回目が、防衛戦で言う何回目なんだろう?(笑)」
――砂辺選手とやってベルトを獲って(2010年2月)、廣瀬(勲)選手とやって(同年7月)……
「で、もう1 回砂辺選手とやって(同年12月)、また砂辺選手とやって(2011年6月)、で、小塚(誠司)さんかな、小塚さんとやって(2012年1月)、で、ここでSKがなくなるんですよ。
で、安永(有希)くん(2012年12月)と、山本あっちゃん、山本篤さんとやって(2014年3月)、その時はTRIBEでしたね」
――パンクラスの黄金期を2つのジムを跨いで作ったと。タイトルを獲って言う過程っていうのは、今振り返ってどのように思いますか。
「SKの時は『エエーッ! 獲っちゃった〜!!』みたいな感じでしたね。タイトルを獲った試合は『あ、負けた……』と思ったんですけど。でも、コールされた時にドローで、最後自分に入って1-0になって、エーッ! ってなって。もう考えられなかったですね。
何だろうな、何も分からなかった分、獲れちゃったっていうことがあったんですけど、TRIBEに入って、先輩や別のチームの子に揉んでもらって、長南(亮/TRIBE TOKYO M.M.A代表)さんに指導してもらってからの方が、やっぱり大変だなと思ったですね。もっともっとすごいことをやらなくちゃいけないなっていう。練習もそうですし。
だから、そう考えると、タイトルを獲った時もそうですけど、今の方が考えることがすごく多くて、あの時は何だったんだろうなと思います。まあ、夢中だったんだろうと思いますけど」
――一流の選手は、勢いやセンスで勝てる時があって、その上に努力を重ねていく時期がありますよね。
「たまたまじゃないですか。たまたまですよ、ハハハ。相性もありますし」
――清水選手は打撃が武器だし、寝技でもほぼ取られることはないので、その辺は自信があったのでは?
「いやあ、全然ですね。TRIBEに入って全然できなくて。SKの時は多分組むのに必死だったから、当てるということよりか、組むまでのプロセスでパン、パンと(打撃を)出してただけだと思うんです。
TRIBEに入ってスタイルチェンジをした時に、全く、もう全然できなくて。今よりもっとできなくて。だから自分のスタイルは、本当に真逆になった感じがしますよね」
――イチから構築し直した感じ。
「そうですね。長南さんにすごくご指導いただいて、また別のコーチにもご指導いただきましたね」
――そこからの変化で、安永戦、山本戦のKOあたりから『怖い清水清隆』、『倒せる軽量級』というイメージが定着したと思います。その辺りの打撃について、いかがですか。
「でも、あそこは多分まだまだだったと思いますね。まだまだ、そこから。あの時は、とりあえずそこまでは考えてなかったですね。安永戦も一所懸命でしたし、山本戦もそうですね、当たったら倒れるだろうという自信はそこまでなかったです」
――その後、もう対戦相手がいないということで、他のイベントなどに新天地を求めていくわけですけど、後半期はご自分で振り返っていかがですか。
「そうですね、勝ったり負けたしでしたし、チャンピオンの在位中に結構負けたんで、それがやっぱりパンクラスファンの人だったり、ランカーや、別の階級のチャンピオンだったり、パンクラスの関係者の人にはすごく申し訳ないなという気持ちでしかなかったですよね。
でも、連敗していても、辞めようかなという気持ちはなかったのが、『お前まだ終わりじゃねぇぞ』っていうことだったのかもしれないですね。そこから別の団体でも倒せるようになってきて、そこで、『あ、打撃、自分にはあるのかな』と思えるようになってきましたね」
――これまでを振り返ってみて、印象に残っている試合は?
「パンクラスだったら、2回目の砂辺戦ですかね。タイトルを獲った時ですね。あの時のことは、たまに夢を見ますね。胴上げされたこととか。思い返しますよね。嬉しかったです。今までクソだったけど、ちょこっとチャラになったかな、みたいなのがありましたね」
――パンクラスを離れてからはいかがですか?
「離れてからは、2015年4連敗していて、2016年にちょっと復帰するまで間を置いてたんですけど、(写真を指差して)その時に後輩(故・秋葉尉頼選手)が亡くなっちゃって。その時に復帰戦という形でTRIBEの興行(TTF CHARANGE 06、2016年9月)を打ってもらったんですけど、そこで古間木(崇宏)くんとやった時はもう、精神的に本当にヤバかったですね。勝つのは当たり前ですけど、後輩のそういうのがあって。
2016年っていうのは、自分の大切な人があと2人亡くなってて、3人逝っちゃったんですよ。その人は、自分のばあちゃんと、ずっと応援してくれていた板前のときの関係者なんですけど。で、秋葉と。それこそ自分らの興行で、お膳立てきっちりじゃないですか。勝って、自分が生きてるっていうことに関して、向こうに逝っちゃった奴らに少しでも届けばいいかな、気持ちというか想いが届けばいいなと思ってたんで。その試合は自分の中では一番ですね。
試合前には(手を合わせて)拝むんですけど、その時はその3人のことをいつも思い出すというか、『力を貸してください』って心の中で言うんです。
で、もう1つ印象に残っているのは、修斗で前田吉朗戦ですね、アハハハ! これはもう、鉄板ですね。兄貴分みたいな人と試合をするっていうことに関して言ったら精神的に一番キツくて、他の試合に比べれば全然。もうあの時の試合が一番キツかったですね、気持ちで言ったら。もう、古間木戦と前田吉朗戦は、自分の中でワンツーですね」
――思い入れのある一戦が、大事な一戦になりますよね。
「吉朗さんは特別な存在ですよね。あの人は本当に。普段から仲良くさせてもらってるんですけど、試合が終わったあと、僕んちにお土産持って来たんですよ。ああ、もうこの人には人間的にもう勝てないなと。すごい良い人だなと。ちょっと器が違いすぎますよね、フフフ。あの人はちょっと本当に良い人ですよね」
――パンクラスのラストマッチ、どんなメッセージを残して闘うのでしょう。
「そうですね、たとえば自分の満足するように、ですけど……なんだろうな、そのままフェイドアウトしてもいいかと思ったんですけど、今度、応援に来てくれる近所の子がいるんですけど、その子、車椅子の子で『お兄さん、次、試合ないの?』『あ、ちょっと待っててね』みたいなやりとりがあって。この子に試合を見せるという大義ができたかもしれないなとちょっと思ったんですよ。
で、2015年の12月に神酒(龍一)選手にパンクラスでやられて、修斗やDEEPでやらせてもらったことに関して、やっぱり、お世話になったこともありますし、自分の中でケジメをつけられたらいいなと思って、長南さんに『自分の中でラストという感じで、もしできたらパンクラスでも試合ができたらいいなと思ってるんですけど』というふうに相談させてもらったんですよ。
さっき言ってた車椅子の子もそうなんですけど、僕はいろんな人を巻き込んで38歳まで格闘技をやってきて、こんな感じでやってたんだよっていうのを、最後の試合で見せられたらいいなと思いますね」
――清水清隆が闘っている姿を。
「そうですね。ずっと応援に来られなかった人も来てくれますし、さっき言っていた車椅子の子も初めて格闘技を見に来ると思いますし、また別の知り合いでちょっと病気しちゃってる子がいるんですけど、その子も多分、病院で応援してくれてると思うんで。そういう気持ちを背負って闘いたいと思いますね」
――清水選手の格闘人生は、人とのつながりの人生ですね。
「そうですね。感謝ですよね。格闘技をやっていなかったら知り合わない人もいますし。縁に本当に感謝ですね」
――長く闘いベルトも巻いた、このパンクラスという団体に対しての思いはいかがでしょうか。
「そうですね。(格闘家として)イチを作り上げてくれたのがパンクラスでした。その終盤でまたパンクラスに上がれるということを、本当に嬉しく思いますね。なので、その感謝の気持ちを、会場の皆さまと関係者、そして佐々木選手にぶつけて、もうお腹いっぱい! って言えるような、そんな試合にしたいですね」
――相手の佐々木選手は、過去に一度交わっています。キャリアの長い2人が、こうして再び交わります。佐々木選手に対しては、どのような思いがありますか。
「もう自分とやってもプラスはないから、本当に佐々木選手は漢気で受けてくれたなっていう感謝しかないですよね。それしかないですよ」
――当時は負けているので、清水さんとしては借りを返して引退したいと。
「そうですね。もちろん勝つんですけど、感謝を込めてやっつけます」
――あの時の試合、2人とも全然止まらずに倒して起きて、倒して起きての試合だったんですけど、覚えていますか?
「全然覚えてないです(笑)。疲れたなあっていうのは覚えてます」
――あの時はリングで5分1Rと延長、今度は金網で5分3Rです。どんな試合になるのでしょうか。
「キャリア的には自分の方が上ですし、猛者と凌ぎを削ってきた自負はあるんで、ちょっと違うよっていうのは見せます。あの時は(佐々木が)勝ったけどね、みたいな。今は違うからねってことですよね。最後勝てば、オールオッケーですよ」
――闘ってきた相手、潜ってきた修羅場の数が違うから。
「違いますから、はい」
――どんな勝ち方になるんでしょうか。
「KOじゃないですか。多分KOだと思います、フフフ。一本でもいいですけど。サブミッションでもいいですけど、一本かKOで」
――あの金色のベルト(長く防衛した王者に与えられる金色のベルト)まで巻いたんですからね。いい勝ち方でさよならを言いたいですね。
「そうですね。ありがたいですね、本当に」
――改めまして、清水清隆パンクラス・ラストマッチ。どんな姿を見せてくれるでしょう。
「来てくださるお客さまが一番望んでいるエンディングになると思うんで、それまでもうちょっとお付き合いいただいて。当日はしっかり良い姿を見せて、皆さんと喜びを共有したいと思ってますんで、よろしくお願いします」
2008年にデビューした清水。小さな身体で相手をすくい上げ、倒す姿を思い出すオールドファンも多いだろう。パンクラスの頂点へ駆け上がる姿は、間違いなくパンクラスを盛り上げてくれた。
パンクラスのベルトを巻き、長く防衛して順調に見えたが、一方では他団体での試合に勝つことができず、悩んだ日々もあった。王者としての資質を問われ、査定試合を組まれ、敗れて王座を返上することにもなった。しかし、そんな挫折、そして彼を支える人々が清水を強くした。
インタビューに答える清水は、少し寂しげな様子も垣間見えたが、自分の格闘人生に納得しているようだった。パンクラスでの最後の試合、しっかりと目に焼き付けたい。
(聞き手・撮影/吉田了至、構成/佐佐木 澪)