【会見】3・29リアルジャパン『原点回帰』にドスカラス親子が参戦!新生UWA設立を宣言した新間会長が「今のIWGPには価値がない。考案者の私に返せ」と慨嘆!
- 2018-2-7
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7日、都内某所にて3月29日(木)に行われるリアルジャパンプロレス『原点回帰プロレス』についての記者会見が行われた。
この会見では、同大会でのメインイベントにドス・カラスと、その次男であるドス・カラスJr(※同名で活動したこともあるアルベルト・ロドリゲスは長男)が参戦する旨が発表され、その他、“初代タイガーマスク”佐山サトルが3月大会での復帰の可能性を示唆し、新間寿が新生UWAの設立を宣言した。
記者会見に出席したのは、“初代タイガーマスク”佐山サトル、リアルジャパン会長の“過激な仕掛け人”新間寿、参議院議員でリアルジャパンコミッショナーの榛葉賀津也氏、リアルジャパンプロレス代表の平井丈雅の四名。
最初に 新間寿が記者会見開会の挨拶を行った。
新間「今日はありがとうございます。”原点回帰”ということで、私もその後、新日本プロレスのビデオを色々見ましたけども、あの時代こそが私はプロレスだったと。力道山、そして私がいた新日本プロレスが本当のプロレスだったなというのを痛感する次第でございます。今回、タイガーマスク後援会という社団法人を作りまして、私とタイガーが顧問をやっている会社の社長に理事長になっていただきました『新間先生、昔のプロレスをするということであれば、私は全面的にバックアップ致します』ということで、去年の暮から第一にメキシコの方に連絡を取りましたところ、セニョール・ティグレ……ティグレというのはタイガーマスクですけども、『セニョール・ティグレとセニョール・シンマが昔のプロレスに戻すんだということであれば我々は全面的にバックアップします』ということで、旧UWAを今一度立ち上げようということで、新しいUWAを立ち上げることに致しました。
3月の試合については、約4名のメキシカンが、ドスカラス親子を中心に来日することが決定致しました。私としましては、これを機会にカナダからも、そしてアメリカからも、そしてヨーロッパからもいろいろな人を通じて、『タイガーマスクがプロレスにカムバックをして、昔の新日本プロレスのような試合をするなら私も協力したい』という申し入れがあるものですから、シリーズを今年の後半から回数を増やして、メキシコ、カナダ、ヨーロッパから外国の選手を中心に呼んで、そしてその合間に私どもをバックアップしてくれるタイガーマスク後援会会長の最も好きなスタン・ハンセンとタイガー・ジェット・シンを今年中に名誉ゲストとして呼びたいと考えております。
6月からは、タイガーマスクと相談いたしまして、タイガーマスク認定の世界マスクチャンピオンシリーズを開催したく思っております。これは全員がマスクを被って、トーナメント制において6月、9月、12月と。その間もう一試合増やして12月にトーナメントの決勝戦を終了するか、9月に終了するかは平井社長と相談して行きたく思っております。
しかし私が言いたいのは、『タイガーマスクが、セニョール・ティグレがもう一度リングに立つんだ』という声だけで多くの人たちが、『自分たちもそこに参加させてくれ』と声を上げてくれる、そして昔のように金曜の8時に子供から老人までみんながリングに夢を託すような試合を挙行していきたい。ということで、コミッショナーにも多大なご足労を懸けると思いますけども。皆さんご承知のように、タイガーマスクは飛行機に乗りたがりません。 そしてまた乗れないので、カナダからもヨーロッパからもメキシコからも、『一度ティグレを我々のリングへ』と言う声が多々あるんですけど、飛行機に乗って事故を二度ほど経験している本人にとっては、中々その気にならないというというのが実情でございます。
今日はそういうことを含めて、タイガーマスクのカムバックと、3月29日にはドスカラス親子とその他のメキシコの選手たちが参加してくれて、“プレ・世界マスクドチャンピオンシリーズ”の前哨戦として開催したいと思います」
新間会長の言葉を受け、3月29日大会のメインイベントとして下記のカードが発表された。
▼6人タッグマッチ ルチャ・リブレ~リアルジャパンスタイル~ 45分3本勝負
ドス・カラス/ドス・カラスJr/X
vs
レイ・アンヘル/エル・ペロ・デル・アキータ/X
次いで佐山サトルが挨拶。
佐山「皆さん、あけましておはようございます。3月29日、新間がプロデュースしたらもうこの通りです。これだけではなく、今年は更に深い世界で更に活躍し大きくなっていく要素が含まれる色々な大会が行われていきます。今年一年、新間プロデュース、飛躍する年でありますので、皆さんビックリする“仕掛け人”の醍醐味を味わっていただきたい。”原点回帰”はそのために行う企画であります。”原点回帰”があってこそこの大会ができるという大会です。もし”原点回帰”なくこの大会を行ったのであれば、我々はただのルチャ・リブレをやっただけ。今行われているただのプロレスをやるだけ。我々はそうじゃありません。もっと深みのあるものを考えているのがこの新間寿です。このことをよーくお分かりになって、なぜ“原点回帰”が必要で行われていくのか、そしてこの大会が行われていくのか。6月、9月12月はもっと大きな大会になっていきます。なぜこれを行っていくのかよく分かっていただけるよう、皆さんご配慮をお願い致します」
続いて、榛葉賀津也氏が挨拶。
榛葉「お忙しい中会見にお越しいただきましてありがとうございます。”原点回帰”第二弾ということで、私にとってプロレスは、『佐山の前に佐山無し、タイガーマスクの後にタイガーマスク無し』であります。佐山さんが私のプロレスのすべてですが、三本勝負という懐かしい昭和の原点に戻ったこの大会に6月、9月、12月とどんどん楽しみが増えていく大会となり、新たな原点になるのではないかなと。1プロレスファンとしても、コミッショナーとしても大変楽しみにしております。私に取りまして、三本勝負の原点はサミー・リーが 少し日本より小さなマットで竹刀を持ってリングを縦横無尽に飛び跳ねて三本勝負をしているのを見た記憶がございました。改めてルチャで三本勝負ということで、我々リアルジャパンの選手も刺激を受けて、中身の濃い試合をしてもらえるものを確信しています。ぜひご支援賜りますよう、どうぞ宜しくお願いします」
――佐山選手、新間会長の方からも復帰の話が出ましたが、復帰の時期については
佐山「なるべく3月29日に間に合いますように、すごいハードトレーニングをしまして、ちょっと今足を痛めて、足の運動をやりすぎた。現役時代と同じ運動をして現役時代を同じ数をやろうとしたものですから、足から腰にかけてをちょっと痛めてしまった形なので、それがいつ回復するかも楽しみの一つです。治りましたらハードトレーニングに戻ります。その出来によって(復帰の時期は)変わってくる。僕は変な試合できないんで。僕タイガーマスクなんで。ちゃんとした動きをしなくてはならないというプレッシャーがあります。それが出来なければ止めます。3月26日はやらないかもしれない。ちゃんと動きができる自信がついたときにやる。こういうことですね。馬場さんみたいに……あっ、言っちゃった(笑)馬場さんみたいなって言っちゃアレだけど、スローみたいなアレではイメージが無いので、宿命というか背負ったものがありますので、そこだけはファンの皆様の夢を潰さないように頑張らなくちゃいけないなと思います」
――現状、3月29日に復帰できる可能性は何%くらいでしょうか
佐山「全く見えないです。今日も医者に行ってきたんですけど、かなりすごい練習しましたので、今足はパンパンです。ズボンが合わなくなってくるくらいやってます。それが支障をきたして、今は怪我している状態、怪我というか痛んでいる状態ですので、それを調整してやっていきます。決してゴルフではありません(笑)ゴルフはもう全くやっていません。3月29日にかけてますので。もし今日治るようであれば、山に行ってお寺でトレーニングしようと思っていました。食事も気をつけて昨日は肉をいっぱい食べました。今日の朝はシリアルです。あとどら焼き……この間どら焼き持ってきてくれた人がいたけど、それを目の前に置いといても全く食べませんでした」
新間「私の新日本プロレス時代には、控室というのは選手・レフリーのみの控室であって、社員または観客の控室ではない。これが基本でした。私は最初リアルジャパンに行ってビックリしたのは、ファンの人達がドンドン控室に入ってくる。佐山さんにどやらきを持ってったり、ケーキを差し入れたり、『どうぞこれ食べて下さい』っておまんじゅうをパクついて いたり、ケーキを持ってきた人のケーキを一口つまんでみたり……こういう厚意がタイガーマスクの気持ちをどんどん萎えさせていくんじゃないかと。昨年とうとう我慢できなくなって、控室は選手以外入出禁止。今までフリーパスで入ってきた人は、私が入り口に立って敢えて平井を怒鳴りつけて見せしめにして、ファン・後援者と称する人たちを控え室に入れませんでした。そういうことがあってから彼は甘いものを少しずつ減らしていって、この間北京で食事をしたときも、最後に肉まんとあんまんを出すと、最後は肉まんとあんまんを食べて出ていっておりました。しかし、去年の秋くらいからあんまん食べなくなったね」
佐山「私はもうあんまんは食べません!新間さんの前では!(笑)……でも、バレンタインが心配です。とにかく”原点回帰”ですけども、新間が全部やってくれました!『おかしいなあ、プロレスってこんなになっちゃったんだろう』という状況を、すべて復活させてくれました!さっきも説明したように、出場するレスラーたちにも『ストロングスタイルで飛んでくれ』と。飛ぶのも全てOKです。ただし、ストロングスタイルで飛んで欲しい、ストロングスタイルの試合をやってほしいと。全部叶う選手たちを日本に呼んでくれて今回の選手が決まりました。普通のルチャ・リブレの選手を呼んだつもりは全くありません。6月以降になってもそれが続きます。色んな選手が来るでしょうけども、それは昔の新日本プロレスみたいなストロングスタイルを出来る選手が我々のリングに上ってくれる予定です。新間が行ったことは、すべてを変えてくれました。これは本当に感謝すべきです。我々だけじゃなく、ファンの方も感謝してもらいたいくらいです。私もあんまんを食べるのを辞めました。これも感謝です。チョコレートも……どら焼きも……です……」
新間「平井が今まで甘すぎたんだよ大体」
この後、平井社長が2月12日に結婚式を挙げることについての歓談が行われ、平井社長の過去の恋愛遍歴などが語られた。
新間「とにかく、リアルジャパンはこれから生まれ変わります。そして、“原点回帰”で我々が夢を膨らませたタイガーマスクを、アントニオ猪木を、藤波辰爾を、長州力を、皆が望んでいる昔の新日本プロレスをお見せします。」
昔の新日本プロレスの道場は世界一でした。日体大のレスリング部の連中が音を上げて帰りました。その後も、自衛隊の連中が新日本プロレスの道場に来ました。自衛隊のレスリング部の連中も『新日本プロレスのトレーニングは世界一のトレーニングだ』と舌を巻いておりました。『私どもは新日本プロレスの道場を尊敬します』という言葉を残して練習に励んで帰っていったのを私は今でも覚えております。
新日本プロレスの道場というのは、それほどすごい練習量があり、それほど素晴らしい緊張感を持った道場でした。この道場の件を佐山ちゃんと話しますけど、あの頃は2時間でも3時間でもお互い極めっこして汗塗れになっていた。時間を見たら3時間経ってた、4時間経ってたという、そういう練習をしておりました。時々選手同士で諍いがあってケンカもあったそうです。佐山ちゃんがある選手に『この野郎!かかってこい!』と言われて、『ホントにいいんですか』と左のキック一発で倒してしまったことがありました。その選手の名前は言いませんけども。新日本プロレスっていうのは、常住坐臥、すべてが真剣勝負!それを6m40cmのリングでもって観客の前で表現していたその選手たちに私は未だに誇りを持っております。こういう人たちと過ごした青春というのは、未だに自分の肉体及び精神に残っております。タイガーの進める”原点回帰”を、3月、6月、9月、12月と行い、来年は大きな会場でやりたいと思っております。
あとね、納谷幸男。大鵬の孫!あれの弟が相撲界に行くときに、多くのスポーツ記者が彼にインタビューしに集まる。そして話題にし、新聞社賞を飾りました。プロレスに入った大鵬の孫は、デビューするときに何社の人が取材に来てくれただろうか。同じ大鵬の孫でありながら、相撲界に行くときにはこれだけニュースなり、プロレス界でデビュー戦をするとなっても取り上げてもらえない。こういうプロレスの現状を憂いております。今のプロレス界を、今のプロレスを昔の新日本プロレス時代に戻そうじゃないか。そういう願いを込めて、我々は皆様方のお力をお借りしながら 昔の新日本プロレスの時代に戻していきたいと思っております。
相撲に入った大鵬の孫が、序の口の前の前相撲で勝利したことがニュースになるのに、プロレスに入った大鵬の孫がものすごいバックドロップで2分足らずで勝利しても全くニュースで取り上げてもらえないという寂しさ、辛さというものを私は痛感しました」
――新UWAを立ち上げるというお話がありましたが、設立者のフローレス氏はもうお亡くなりになられていますよね?
新間「フローレスさんの娘さんが居るんです。UWAを、今一度組織を新しく立ち上げます。そして、年何回かUWA主催の大きな大会をやろうと思ってます。
IWGPなんてのは自分も楽しかったけど、スゴイことが出来たなぁと思ってね。今のIWGPなんてのはね、目的と違ってただのタイトルマッチですよ。そんなもんじゃないんですアレは。だから返してもらいたい。あれを作り上げたのは新間寿。あれを目的と違うような使い方をして、IWGPを一介のタイトルマッチにしてしまった新日本プロレス。今は他のタイトルがあるんだったら他のタイトルでやりなさいよ。IWGPのタイトルは私が考えたんだから、私に返してくれと。目的と全く違った形になってしまった。そういう思いでいっぱいであります」