4代目タイガーマスクが初代タイガーとの“奇跡”のロックアップで21年のプロレス人生に幕!「プロレスラーになれる人はいっぱいいるけど、タイガーマスクになれる人は一人しかいない」

7月7日、東京・後楽園ホールで新日本プロレスが『タイガーマスク引退記念試合』を開催。4代目タイガーマスクが師匠である初代タイガーマスク(佐山聡)とのロックアップで、21年のプロレス人生に幕を下ろした。
初代に憧れたタイガーは佐山に師事し、シューティングで鍛錬を積んだ。初代の勧めで4代目タイガーとなることを決意し、1995年7月15日、後楽園で行なわれた『格闘技の祭典』でのザ・グレート・サスケ戦でデビューし、みちのくプロレスに入団。同団体でプロレスのベースをつくった後、新日本に移籍。IWGPジュニアヘビー級王座を6度戴冠するなど、ジュニア戦線で輝かしい実績を残してきた。
引退試合は2試合(各5分1本勝負)組まれ、1戦目はダイナマイト・キッドの甥でAEWに所属するトム・ビリントンと時間切れドロー。2戦目は宿敵だったブラック・タイガーⅣ(ロッキー・ロメロ)を延長戦の末、タイガースープレックス・ホールドで仕留めて、現役最後の試合で白星を飾った。

試合後、引退セレモニーが実施され、Unbound CO.、TMDK、本隊の面々、棚橋弘至社長が登場し、ねぎらいの花束贈呈。その後、元AKB48の武藤十夢と妹でAKB48の武藤小麟、ロックバンドLOVE PSYCHEDELICOのNAOKI、元格闘家で7代目タイガーマスクの武尊も花束を渡した。

そして、出身団体のみちのくプロレスのサスケ、新崎人生、シューティング時代の先輩・山崎一夫、獣神サンダー・ライガー、新日本入団時の社長だった藤波辰爾、プロ野球・横浜DeNAベイスターズの三浦大輔前監督、読売巨人軍の原辰徳元監督がタイガーの労をねぎらった。原元監督は「今日は隣(東京ドーム)で試合もやってますが、私にとって大事なのは今日のこの試合です。タイガーマスク殿、幸せだね。長きにわたって本当にご苦労様でした。東京ドームの野球ファンも素晴らしいなと思いますが、今日改めてプロレスファンの素晴らしさを私も感じました。そんな中で31年、長きにわたって戦ったリング上の姿、勇気であったり、強さであったり、そしてタイガーのやさしさであったり、それはファンの心の中に永遠に残ると思います」と愛あるメッセージを送った。

ここからがクライマックスだった。現在、難病と戦っている師・初代タイガーがスーパー・タイガーに付き添われてリングイン。4代目タイガーは「佐山先生、ありがとうございます!今日は佐山先生に一つお願いがあります。やはり、僕は佐山先生に作っていただいて、育てていただいて、最後はどうしても、佐山先生とロックアップがしたいです。それでタイガーマスク、終わりたいと思います。どうかよろしくお願いいたします!」と懇願し、Tシャツを脱いだ。
すると、この日の引退試合の特別リングアナを務めた田中ケロが2人をコールし、ゴングが鳴らされる粋な計らい。初代タイガーはよもやのタイガーステップを踏んで、タイガーとガッチリロックアップし、終了のゴングが鳴らされた。

その後、タイガーはマイクを持ってファンに最後のあいさつ。「本日は私の引退記念試合にご来場いただきまして、誠にありがとうございます!最初は野球選手になりたくて、野球に明け暮れていました。その後にテレビで佐山先生のタイガーマスクを見て、プロレス一筋になり、タイガーマスク一色になってしまいました。
そして、佐山先生のところに弟子入りして、31年前の7月15日、この後楽園ホールでデビューしました。その後は、みちのくプロレスで試合を通じてプロレスを教えていただき、憧れたこの新日本プロレスのリングに上がることになり、タイガーマスクとして試合をすることになりました。毎日毎日、佐山先生の顔に泥を塗らないようにと、自分なりに毎日毎日勉強し、研究し、少しでも佐山先生に近づこうと頑張っていました。佐山先生はいつも言いました。『俺のマネをするな。お前は俺じゃない。お前のタイガーマスクをやれ』。その言葉ですっきりして、自分なりのタイガーマスクを表現してきました。
見て分かる通り、私はこれだけ身体が小さく、プロレスラーになりたいと言ったときも、両親は『お前みたいな奴はイチコロでのされる。プロレスラーになれるわけない』。しかし、夢は実現すると、自分は自分の身体をもって、皆さんに伝えたいと思います。ぜひ皆さんも夢をあきらめないで、夢に向かって突っ走ってほしいと思います。
そして、この引退の日が来なければいいと毎日毎日思っていました。ふだんは選手とは、『え?俺引退するの?』と、ふざけては言ってましたけども、本当にこの日が来ないでほしいと思っていました。しかし、私の身体がもう限界でした。これ以上やればタイガーマスクを汚してしまうんじゃないかと。そして、佐山先生と作ったタイガーマスクは今はもう自分にはできないと、自分なりに思いました。それでも家に帰れば、私の妻、子どもはいつも励ましてくれて、『そんなことない。大丈夫だ』と、いつも言ってくれました。そして、ここにいる仲間もいつも励ましてくれました。
引退するときに何が一番寂しいかというのは、プロレスができないこともそうですが、この新日本プロレスの最高の仲間たちと巡業に行くことができないのが一番寂しいです。先ほど原辰徳さんも言っていた通り、私は本当に人に恵まれました。佐山先生に出会い、プロレスラーになりたい。ただ、それだけだったのが、タイガーマスクになれた。プロレスラーになれる人はいっぱいいるけど、タイガーマスクになれる人は一人しかいない。そう言われ、本当に自分は人に恵まれたなと思っております。
そして、ここに今日集まっているファンの方々、この間はメキシコに行ってたんですけども、世界中のファンの方々が応援してくれました。本当に感謝しきれません。そして、私は引退しますが、これからこの新日本プロレスはまだまだ続いていきます。ここにいる選手は今日よりも、もっともっと熱い試合をしていくと思います。どうかこの先も、新日本プロレスを応援してください。よろしくお願いいたします!そして、31年間、だらしないとか思ったときもあると思いますが、それでも熱く熱く、いつも応援していただいたことに大変感謝します。31年間、本当にありがとうございました!」と話した。
そして、引退の10カウントゴングが鳴らされると、ケロが「173cm、83kg、タイガーマスク!」とラストコール。タイガーはリングで座礼すると、本隊の面々から胴上げされリングを降りた。

バックステージでタイガーは「緊張ももちろんあったんですけど、技の失敗もたくさんあったんですけど、トータル的に考えて限界かなと。やはりこれがもう自分の限界かなと。これ以上、そういうのを隠し隠し試合するのは僕にとっては無理ということで。やはりそこは佐山さんと練習してきて、本当に自分の中ではもう限界ですし、全く悔いはないです、31年やってきて。一つ悔いが残るとすれば、今日もうちょっと、5分は短いなって焦ってしまった部分もあったし。トム・ビリントン、素晴らしい選手だと思います。この先、新日本のシリーズに出てほしいなと思います。ジュニアの選手とやれば素晴らしい試合になると思うし、彼もまた成長するだろうし。若いっていいなと思いました」と試合を振り返った。
初代とのロックアップについては「最後は本当は佐山先生と試合をしたかったんです。でも佐山先生はまだ体の調子は良くない。ただ先生にこの今日の話をした時に、先生は『絶対に行ってロックアップしてやる』って言ってくれたんですね。まさか今日タイガーステップをするとは、これ僕も全く思ってなくて。感激というか感動というか。今日の日を目標にしてたらしいです。病気って、絶対にここまで治さなければいけないって思えば、絶対に治るんだなと僕は思ってます。やっぱり先生は復活すると思ってます。佐山先生は『お前、よくやった。最高だよ』って言ってくれて、やはり涙が止まらなかったですね」と感慨深く語った。
タイガーは引退後、新日本に籍を残し、芸能関係で“タイガーマスク”として活動を続けていくという。
タイガーマスクは初代(佐山サトル)、2代目(三沢光晴)、3代目(金本浩二)、4代目、5代目(美濃輪育久/ミノワマン)、6代目(タイガーマスクW(飯伏幸太)or劇場版タイガーマスク(ウエンツ瑛士)or藤原敏男=あえて明確に確定させてないとのこと)、7代目タイガーマスク(武尊)と継承されている。プロレスラーとして試合ができる8代目タイガーマスクが継承される日が待たれる。
















