【インタビュー】[激白]マグナムTOKYO×CIMA「18年目の真実」

2007年4月9日『限りなく引退に近い退団』という形でDRAGON GATEを去ったマグナムTOKYO。あれだけの功労者が退団したにも関わらず、誰もコメントを発することは無かった。ファンの中で憶測が飛び交ったのは皆が記憶するところ。それから18年、イケメン興行(2025年1.13後楽園ホール)で感動の再会を果たしたマグナムTOKYOとCIMA。その後二人の答え合わせが行われ、2026年2月28日トークライブ『2人のビッグショー』にて、楽しい思い出話で沸かせながらも、後半遂に本人から衝撃の真実が語られた。
マグナム「あの退団会見の日から俺達会ってなかったんです。去年イケメン興行で再会して、大会が終わってからショートメールでずっとやりとりしてたんだよね(笑)」
CIMA「そうです。ショートメールなんです」
マグナム「俺ガラケーだからね。で、メシ食おうかって会ったんだけど、開口一番「あの時は申し訳なかったね」って詫びたんですよ。すると「あの時なんで辞めたんですか?」なんて言うから「え?知らないの?」って」
CIMA「ファンの皆さんより近いところにいましたけど、全然事情は分かってなかったんです」
マグナム「退団はね、ズバリ当時の社長と専務(現社長)に裏切られて追放されたんです。1年半後に興行部長の畑山も同じように追放されたんです。これがもう真実です」
――場内ざわざわ――
CIMA「去年、畑山さんに15,6年ぶりに再会したときも「畑山さんなんで辞めたんですか?」って同じことを聞いたんです」
マグナム「会見する時は俺もいろんなことで本当にうんざりしてた。俺もうプロレスやらないですよって言ったら「じゃあ会社主導で会見するから」って。そしたら『限りなく引退に近い退団』だよ。その時は本当に身体も悪かったしふざけんなこの野郎!って思ってたんで、もうプロレスなんて全然やる気も全く無くなった」
――でもあの時点で他の団体に行こうと思えば引っ張りだこだったんでは?
マグナム「まあ行こうと思えば。ハッスルのオファーを受けた時も、天龍さんが「(もうプロレスやらないなんて)言ってもしょうがないから来いよ」って。当時ハッスル社長の山口さんと話したら「いやマグナムは業界の評判が色々悪いから、一旦フリーで他のリング出て欲しい。そのリングはこっちで用意するからそこを一回経由して、フリーで上がってからハッスルが取ったっていう形を取りたい」なんて言うから、「俺は自分でやってないことを認めるわけにいかないから出ない」天龍さんにも「申し訳ないけど、この話はなかったことにしてください」ってお詫びした。空手の世界でコロンビアに行く話(大道塾コロンビア支部指導員として赴任)が出てたから、そっちの方がよっぽど面白いなと思って。で、コロンビア行きを決めちゃった。山口さんには「俺がもし帰国してまだ気持ちがあるんだったらもう一回話を聞きます。なんでやってないことを認めなきゃいけないんですか」って(契約の話を)蹴っちゃったんですよ」
――じゃあそれで間が空いたんですね。CIMAさんにしてみたら突如いなくなった
CIMA「その時はやっぱり「この野郎!」って気持ちでした。去年再会したときに初めて知った事実、皆さんが今から知る事実ですけど、僕も当時若かったんで事実とは違う虚像を抱いてました。もう会うことは出来ないかなって感じでしたね。黒木さん本人にも言ったんですけど、好き嫌いのバロメーターがあるとしたら当時は「99:嫌い」で「1:好き」っていう想い。本当に不思議なもんで会えない期間が1年、2年、3年と経つと、どんどんバロメーターが動き出した。去年再会することが出来て、当時のことを聞いたり僕の悩み相談とかいろいろ話していくうちに、今はっきり言って「好き:99」「嫌い:1」ですよ、大逆転!嫌いはほぼ0!やっぱり18、19の時にいろいろ叩き込んでくれたってことはずっと思ってたし、それは家でも事あるごとに3、4ヶ月に一回とか「黒木さん何やってるやろな、会いたいな。もう全く何やってるかわからんわ」みたいな会話が常にあったし。だから去年イケメン興行で会って、家に帰った時のテンションとか表情とか、やばかったと思います(笑)ずーっと僕が話してるから嫁さん寝れなかった。『この人なんであんな嫌いって言ってたのに一回会っただけ何があったの?』みたいな。ほんで翌月焼肉行くことになって「黒木さんとメシ行ってくんねん!(嬉)」ってウキウキしてた(マグナムさん爆笑)」
――やっぱり「なんで今辞めるんだ!」って想いはあったんだ
CIMA「誰が抜けても俺がおるんやから絶対何とでもしたるわ!っていう想いもね、もちろんレスラーとしては持ってましたけど、心の奥底はやっぱり違いましたね」
――マグナムさんは、ハッスルはあったけども、本当にプロレス界と縁切っちゃったというか
マグナム「そうですね。ハッスルも後半はギャラも出なくなっちゃったし、スポンサーさんも降りちゃって、なんだかよく分かんないところで終わっちゃった。でも「こんなもんかな、俺は」っていう感じ。他探そうと思ってもやっぱり当時、新日本行った子もいるし、全日本にもいるし、ゼロワン出てる子もいるしってなると、自分の行先で商品価値下げちゃうといけないし、このまま出ない方が誰にも迷惑かからないし、マグナムTOKYOなんてこんなもんだろって思ったんで、パッと辞めました。自分の直感で生きてるんで。そういえば最初のハッスルの話では「こういう設定で、探偵なんです」ってね」
――初めはアラン黒木?
マグナム「「え!探偵ですか?」って。アランっていうのもよく分からなかった。クーロンキーがどうのって言って、黒木とかけてるのかあんまり面白くねえなって思いながら出てたら、急に「マグナムTOKYOじゃないと」って話になって。俺もうコスチューム全部捨てちゃってたんで、何も無かったんですよ」
――あ、そうだったんですか
マグナム「そうなんです。全くもって余談なんですけど、闘導館の泉館長ってね、空手の後輩なんですよ。彼の子供を教えてたから、総本部で。「先輩、なんかマグナムTOKYOのグッズとかないですか?うちであれしますんで…」なんて言うから、後輩にそんなのできないじゃないですか。俺は商売になんなくていいって言ってすぐ捨てちゃいました。何も無いんですよ。割とそういう男です(笑)」
――最後はハッスルのエースかなんかになってましたよね?
マグナム「何だったのかね、やっぱ人材不足だったのかな(笑)ただ、ハッスルは今思うとちょっと早かったかもしれない。控室の雰囲気もすごく良いし、天龍さんに最初は「お前、ここはトップレスラーの墓場だぞ(笑)」なんて言われて、それもいいやと思ってた。本当にハッスルでトップ取るつもりで行ったし」
CIMA「もちろん黒木さんが上がってるのは分かってましたけど、ハッスルに限らず、他団体を全く見なかったんです。とにかくDRAGON GATEが良ければそれで良いっていう人生でしたね」
マグナム「あそこに上がったのはもう一つ理由があって、やっぱりDRAGON GATE後期は身体調子悪くて、やれないことがいっぱい出てきたんですね。もう一回身体作り直して、できなかった部分も全部やって、俺はできるんだぞって証明して終わりたかった。ちょうどもうAVスタープレスもやり終わって一通り全部やったんですよ。やり終わってどうしようかなと思ったら最後、長州さんにサソリ固めで2分ぐらいで負けるっていう。でも俺の終わり方としてちょうど良かった。身体に優しい終わり方(笑)」
――その後はプロレス界とは関わってませんけど、DRAGON GATEの動向とかは気にしてた?
マグナム「全然気にしてなかったです。プロレスも全く見なくて、辞め方がもう最悪だったんで、なんかもう関わりたくない、見たくもないし。最近再会した時にも話したんですけど、本当はやりたかったんですよ。やりたかったものをやれなくされたから、やっぱあの畑山もそうだけど「もう二度とプロレス界には関わりません」って念書まで取られたから(会場から「ええ~」)俺ももううんざりして。俺は俺の道で、自分で闘龍門を作ってきたって自負もあるし、DRAGON GATEを作ってきた自負もあるから。俺は別に何でもできるなって気持ちもあったんで、じゃあ今度は人を育ててみたいという気持ちになってね。当時やり残した空手も先生に帰って来いって言われたし。空手の先生に「こういうことがあったんですよ」って言ったら「そういう世界なんだから、お前こっち来てちゃんとやれ」って言われて。また空手やってたら、やっぱ目標を持たないとダメだなと思ったんで、じゃあ自分の道場を開こうと思って、道場やってたんですよ」
――そして今度はCIMA選手にも時が来るという
CIMA「僕自身、辞めるっていう選択肢は、命を落とす以外に無いって気持ちでDRAGON GATEに取り組んでました。それは去年退団したGLEATに対しても同じような気持ちでした。皆さんにどういう風に映るかわかんないですけど、とにかく僕が持っている全てを巻き込んで、全力で取り組むっていうスタンスでした。今noteを書いてるんですけど、フリーになってからは全部責任取るのは自分、会社に迷惑をかけることはないんで、当時のこととかを書き記していってるんです。それこそDRAGON GATEを抜ける・辞めるって決めた日のことも。当時はメキシコに遠征に行ってまして、そのメキシコに行く時、空港に送ってくれた人にも「ティファナでDRAGON GATEへの新しいルートを作ってきますから」って言って飛行機に乗った。その間に日本でいろいろあって、メキシコで寝てる時に電話がかかってきて「いつ帰ってきますか?」と。いついつ帰るよって言ったらその日に会いたいですと。帰国してその日に今後の話を聞いたらちょっと納得できるものではなかった。「もしそのやり方でやるんだったら、俺は近い将来離れることになると思う」って言って、離れた。それも全部黒木さんに再会した時に話をしたんですけど、黒木さんは僕から聞く何年も前に同じ話を既に聞いてたみたいで」
マグナム「口挟んじゃってアレなんですけど、結局みんな聞いてても多分核心が全く分からないから「うん、う~ん」で終わっちゃう。感情とかそういうことじゃなくて、淡々と時系列で追っていきますから、それで想像してもらいたいんですね。私のその発言、意図を汲んでもらいたいです」
――会場ざわざわ――
マグナム「2025年1月の再会があって2月に焼肉食べに行った。そこまではすごい楽しかった。デートしてるみたいな(笑)そしたら3月に入って「岡村さんに会ってきました」っていうメールが来た。俺も具合悪いのは他から聞いてたから「どうやら余命宣告が出てて結構キツイです。黒木さんどうしますか?会われますか?」と。俺ちょっとそこで待ったんですよね。2日ぐらい経ってCIMAに「いや俺はね、やっぱり大島と辞めた経緯が全然違うし、俺を追放したヤツにね、おいそれと会いに行くわけにいかない。俺もそれなりに18年凄い苦労もしたし耐えてきた。俺が今ここで簡単に会いに行くわけにはいかない。会ってもらえないこともね、本人に考えさせた方がいいから、俺は行かない。ただ、俺と再会したことを伝えてくれたのは本当に嬉しかった。多分きっと岡村さんは分かってると思うから」という言葉を返した。そしたら「実は岡村さんから手紙を預かってるんです」って。俺、ちょっと大人げなかったんですけど大島に当たっちゃったんですよ。「そんなものを、俺がその手紙をね、今更読んで何になるんだ!俺の18年は返ってこないし、何が書いてあるか分かんないけども、結局どうせ死ぬんでしょ。そんなもん読んだってしょうがないよ、そんなもんいいよ!」って言って。今度会った時のついででいいからってそこは終わったんです、それが3月。で、4月に亡くなりましたって連絡が来て、俺はそんなのもう遠くから手を合わせることしかできないからと思った時に、なんかね、楽しかった思い出ばっかり出てくる。お世話になった思い出とか。不思議なんだけど、ちょっと分かりにくいかもしれないですけど、51対49でお世話になったって気持ちが勝ったんだよね。その反面、木戸に対しては何も浮かばなかった。なんかそこがすごく不思議だったんですよね。しばらく様子を見てたら、やっぱり岡村さんが亡くなったことに対しては、団体と選手は何のコメントも無いし発表も無いし、俺まだこんなことやってんのかよって思った。しばらくして5月11日にまたメールが来て、大島からね。「黒木さん、ショートメールだからポスター画像送れなくてあれなんですけど、大阪で28周年やるんです」って言うから、「そうなんだ、頑張ってね」「いや、あれからもう28年ですよ。アレナ・ナウカルパンから」それまでもう5月11日なんて飛んでるから「あー、そんなんだ!あれから28年か!」って」
CIMA「8月に大会をやるんですけどその発表を5月11日に設定してたんで、先に報告しておこうと思って。昔から、報告・連絡・相談、ホウレンソウを口すっぱく教えてもらってましたんで(笑)」
マグナム「大人になりましたね(笑)まあ、病気療養はあったけれども、円満退団で社長交代ってやっててまたこれやってんの?っておかしいんじゃない?って言ったのを覚えてて。月末にメシ食う約束してたし、デートの第三弾。いつ東京来るの?みたいな。そしたら東京に来る直前に「黒木さん、昨日畑山さんに会ったんですよ」って始まるわけですよ」
CIMA「GLEATの神戸大会があって、プロモーターさんと元興行部長の畑山さんが仲が良かったんで呼んでくれてたんです。それでもう16,7年ぶりに再会」
マグナム「正直凄い驚いた。僕が出された時から彼は1年半ぐらいタダ働きさせられて辞めて「今度は僕の番でした」って言ってきた。鬱になってんじゃねえかってぐらい弱々しい声で「こんなことになってもう本当に誰とも関わりたくない」って言ってたから、俺が「大変なものに巻き込んじゃって悪かったな。元気でやれよ」って言ったのが最後なの。だから17年ぐらい音沙汰無し。で、CIMAとメシ食べた時に「黒木さん、これ(岡村さんからの)手紙です」ってもらって、俺どうでもいいから「ああ」つってポイっとカバンに置いて。それより畑山の連絡先を教えてくれってそこで電話したんですよ。留守電だったんですけど、翌日電話かかってきて「留守電聞いてすぐ分かりました、畑山です」と。「いやもう本当に色々話したいことが山ほどあって、謝りたいこともあって。あの時こうでこうで~」って言うから。「そんなのさ、俺はお前のことなんて一度もね、悪いと思ったことない。むしろ変なこと巻き込んですまなかったって気持ちが強かったから。『二度とプロレスに関わりたくない』って言ったのも覚えてる。本当にずっと心配してたから。もういいじゃないか」と。あの、発表になってないんですけど、当時僕らと一緒にやってた営業の子が亡くなってるんですよ。その彼からの文書が届いてて、持ってるって言うんですよ。その話があるから一回会って見てほしいって言われて。「え?」ってなるじゃないですか。そこでまあ電話は終わったんだけど。『そうだ、(岡村さんの)手紙もらってたな』と思って、その手紙を入れたカバンも放り投げてたんで、まずカバンを探して「あー、これだこれだ」って取り出して読んだ。今風に一言で言うならエプスタイン文書ですよ。こんなの今知りたくなかったよ、こういうことだったのか、とかね、いろんなものが凄いあった。ああ、なるほど、どうして岡村さんが亡くなった後に発表もコメントもないのかってこともよく分かったし、結局は当時の社長と専務の、要は仲間割れっていうか。結局銭ゲバ対銭ゲバの戦いに巻き込まれたんだなっていう。これは大島にも見せてないんですよ。見せらんないし、読ませらんないし。まあ何が書いてあったの?っていうと、そういう事実とか真相が何個か書いてあったのと、あとはまあ本人の悔恨っていうんですかね。なんか反省みたいなこととかこうして欲しいみたいな。俺はそういうのって、正直もう本当に吐き気がするというか、『今更何なんだよ、都合いいな』って思っちゃった。結局これはもう一回畑山と会わなきゃダメかなって。じゃあCIMAと吉野(吉野正人)と畑山と俺と四人で会おうかって、8月に大阪に行きました。大阪で畑山が俺のホテルを取ってくれてたんで、先に会ったんですよ。当然やっぱうるっとくるものがあったけど、「まずとにかくこれを読んでください」って渡された営業の子の文書を読んだ。もう本当に衝撃というか、無念だったんだなというのは感じましたよ。でもすぐに集合時間だからって移動して、当然そこでわあって盛り上がるじゃない。じゃあ乾杯!ってやるんだけど、懐かしい話が入るんだけど、沈黙。誰から切り出すって話になって、もうシビアな話になって結構重たかったです。昼間11時ぐらいに店入ったんだけどあっという間に時間過ぎてランチタイム終わっちゃって、どこか昼間から呑めるとこないかって探したらありましたよ」
CIMA「すぐそこに磯丸水産(笑)」
マグナム「24時間営業さまさまです(笑)場所が変わって空気も変わって、なんでしょうね、こうアルコールに負けてくるんですよね(笑)なんだろう、なんか体が柔らかくなってくるっていうか。俺もうめんどくせえから「木戸呼ぶかここに!」って言ったら周りに即止められた(笑)じゃあ、片っ端から大阪に住んでるドラゲーのやつ呼ぶか!つって「今磯丸水産なんだ、来い!」って(笑)いろんな人が集まって、やっぱ懐かしの対面になるじゃない。で、もう本当にめちゃくちゃ面白くて。じゃあミラノに電話しようってやったら「なんで今日電話したんですか!僕、今日誕生日ですよ!」って言うから、うっそー、みんなで歌おうぜ!って」
CIMA「磯丸で歌いましたね(笑)」
マグナム「隣の人たち『なんじゃこの集団…(汗)』だったよね。よし、この流れで近藤にもLINEしようって、めっちゃくちゃ盛り上がって、気づいたらもう14時間ぐらい。ベロベロなんですよね。最後に「みんなで集合写真撮ろうぜ」って撮ったら、結局ドラゲーのやつらが、この写真を載せんのやめてくれませんかって。何で?って言ったら「いや会社に~」なんて言うんですよ。お前ら40、50過ぎてて何が会社なの?バカなのって。ご存知かもしれませんが俺SNSやってないからあんまり関係ねえどうでもいい。まあそれで解散したんだけど、めっちゃくちゃ面白かった。その写真はある!でも今日はない!ええー(マスオさん風に)ま、いいや。本当に盛り上がって帰ってね。俺もなんかミラノに電話だけじゃあれだから会おうぜって言って。彼が2005年かなんかに辞めて新日本に行った時、それ以来なんですよ。辞める時も「黒木さん、相談があって」って呼ばれて「このままドラゲーにいても、もう黒木さんも大島さんも抜くのは難しい。外でチャレンジしてみたい」と。「良いじゃねえか。もう腹決まってんだろ?そこで頑張れよ」ってそれ以来だったんですよ。あいつね、あのマスクなんか持ってきちゃって、まだ持ってんの?俺1枚も無いんだけど!なんて言って。それで盛り上がって、じゃあ2軒目行こうぜって行って「(顔指されませんかね)大丈夫ですかね?」「俺たちなんか誰も分かんねえよ」つって鳥貴族入ったら「あれ!ミラノさんとマグナムさん!?」だって。「すげえなあ!こっちゃだいぶ劣化してるのに(笑)」って笑ってね。そんでまためっちゃ盛り上がったの。じゃあ今度みんなで会おうかって、大島と吉野も入れて10月にね。その写真が翌日に大変なことになっちゃって(笑)」
CIMA「4人で会ったその翌日がGLEAT後楽園ホール大会(2025年10.9)。結構熱く語ってたんですけど、その前日は」
マグナム「本当にね、まずねCIMAがGLEATに対する愛とか感謝とか、鈴木社長にすごくお世話になったってことを話した。自分のやりたいことがあるけども、身体のこともあって時間もないとか、まず若手を何とか育ててこうしたいっていうのがある。ほら、皆さんご存知のとおり(CIMAは)なんでもやりたい人だから、いっぺんには出来ないけど、いっぺんにやりたい人だから(笑)まさかの翌日、試合終わってすぐLINEが来て「いやもう僕ダメです。多分後でニュースになると思うのでそれ見てください」と。俺もうヤバいと思ってすぐ吉野に「俺と前の日に呑んでたことが問題視された?会社に黙って呑んだから?」って連絡したの。何でそう思ったかっていう理由があるんですよ。俺たちが呑んでる時にCIMAの携帯に鈴木社長から連絡が入ってたんですよ。吉野にも電話が入ってたんですよ。でもみんな喋ってたから気づかなくて出なかったの。その上であの呑んだ写真出てるじゃないですか。『あいつら社長の電話無視して呑んでやがった!しかもそれがYahoo!ニュースにもなってる!』俺、それで怒られたのかなと思った(笑)」
CIMA「ちょうど鈴木社長も近くにいたんでご挨拶でもっていう連絡だったんですよ。僕は黒木さんといる時は基本的にスマホはあんまり見ないようにカバンにしまっておくんです」
マグナム「その後楽園の記事出るじゃないですか。翌日だったかな。あ、顔がもうガチだわ、マジだ。若い時から本人の性格よくわかってるから、この顔は相当だなと思ってすぐ電話して。したらもう全然ダメだと思って心配になっちゃって、大阪に行って話聞いてガス抜きしてなだめないとダメだな、変なことするなと思って行くって決めたんです。でもその時にやっぱり自分の中であったモヤモヤってあるんですよね、神戸に対して。もう二度と行くもんかと思ってたもん。日本の中で一番嫌いな都市(笑)どうせ行くんだったらと思って畑山に電話して「平日で悪いんだけど、ちょっと大阪行って一緒に神戸行けないか」って言ったら、「僕も(営業スタッフだった)南部に手を合わせたい。やっぱりこのままでは僕も終われません」って言うから、じゃあ行くか!つって。それでまあ吉野とかみんな来て、とにかく“大島さんをなだめる会”ですよ(笑)どうどうどうって」
CIMA「うぉうぉうぉ~って吠えてましたから(笑)」
マグナム「また大変になるから写真は出ない方がいいよって言ってね(笑)だけど、さっきプロジェクターにサンクチュアリビル前の俺と大島のツーショットが出てましたけど、その時はそういう状況だったから、出さない方がいいよって。それで、岡村道場の岡村さんサイドの関係者を呼んでもらって、空気はね、もうめちゃくちゃ重かったですよ。とにかくまずは筋として、お世話になったって言って仏壇に手を合わさせていただいて、線香あげて、南部くんのもやって。それで「どういうことで来たんですか」と聞かれてね、もう空気重いわけですよ。俺はもうこの性格だから「おたくの先生かもしれないけど、俺はもうはっきり言います。めちゃくちゃ許せないし、今でも恨んでるし、ふざけんじゃねえってずっと思ってますよ。ただ!やっぱりお世話になったっていう気持ちは不思議と湧いてきて、やっぱり自分が、目で見て確かめないといけないと思ったから、そのためには嫌でも神戸に来ないとこれ終わらないなと思って、来させてもらいました」と。「いろいろ聞き出す前に、まずは岡村さんに手を合わせてからと思ったんで、そこだけはご理解ください」っていうところから始まったんですね。そしたらまあいろんなことが出てくるわけですよ。やっぱりなるほどと。簡単に言えば、この人たちも物凄い苦しんだんだなと。だいぶ被害者なんだなっていうことも分かったし、俺みたいなことをされている人もいたんです、実際。ただ、そこでやっぱり一番びっくりしたのは、その現社長に、もう一生背負っていかなきゃいけないケガを負わされている者がいるわけですよ。失明させられてるんですよ。俺、数年ぐらい前かな、暴力を振るわれて失明しているって聞いてたんです。その本人にも会って、これはちょっとひどいなってすぐ思ったんだよね。正直それを内部で知っている人間がいるのに、結局恐怖政治なのか、そういう慣行を敷いてるのか分からないけど。岡村道場側の話だと、実は会社には内緒で線香上げに来ている選手・スタッフもいるんですって。そうなんだ、よっぽど何かあるんだなって俺は思ったんですよ。でもその怪我ってやっぱり普通じゃないから、正直怒りが沸点に達して殺意がわいてきましたよ。
普通じゃねえ、許せない。もう本当に怒髪天って言うんですかね、そういう風に自分がこうワーッってなっていくのも自分自身で怖かったぐらいだし。お互い話をして、うん、うんってまあ挨拶して帰ってきたんですよね。そこで今までの真実が全てめくれて、こういうことだったんだって全部分かって。それで畑山の話もあるんですよ。後で話しますけど。とりあえず帰って、重苦しい雰囲気でみんなで昼メシ食ったけど、ほとんど大阪まで無言でっていう感じで帰ってきたんです。その後、ちょっとはしょりますけど、岸和田さんとも、Gammaちゃんともね、会ったんですね」
CIMA「僕が手術する前日ぐらいですかね、激励会で」
マグナム「でね、俺、この楽しい再会とかが無くなるの嫌だなと思った。こんな過去を振り返ってみてもしょうがないし、もういいや!つって、もう最後のお店で「俺はもうそういう怒りは捨てた。もう何も言わねえ。またみんなでみんなでワチャワチャやろうぜ」って言って終わったんですよ。それでCIMAにも頑張ってなって別れた。しばらくして退院したら「今東京に来ててイベント会場を探してるんです。黒木さんよかったらトークイベントやりませんか?」って言うから。いいよって言ってまさに今日ここですね。ちょっとはしょっちゃった部分、まず一点は8年前に遡るんですけど、CIMAがやめた時どういう状況だったかというと、当時の社長と専務(現社長)がいろんなことを揉めてて、当時の経理を抱き込んで弁護士も入れながら、いろんなことを内容証明(資料を)集めたんですよね。で、中の若手の人間を固めて、岡村さんを排除するっていう流れを作ったんですね。言ってみればクーデターの首謀者なんです。俺は別に内容証明を書いたり、そういう緻密な用意をするっていうのは別に悪いとは思わないです。書かれる方も悪いと思うし、それは物事のやり方の一つだから。例えば俺にはそういう緻密さはないしタイプとして全然違うからまあ別にしょうがない。ただ、それを大島がメキシコから帰国した時に呼び出して、選手とスタッフ7人で詰めて「明日、内容証明が岡村さんに届くんですけど、どうしますか?僕らとやっていきますか?」って話をした。これちょっと大島には悪いけど、俺は言うよ。結局、大島は帰ってきたばかりで「今までお世話になったし、いきなり後ろから突き落とすようなことはできない」って答えたんです。そしたら、そのうち一人の未熟なやつが「じゃあ敵対関係ですね」みたいな話をしたんですよ。あの木戸から焚き付けられてそうなったのか、そいつが判断したのか、そこは俺はわからない。ただ、当時ペーペーのやつにそんな言い方されたら、やっぱり大島の気持ちが硬くなるのも俺にはわかるんですよね。俺はそこにいた奴らに「お前たちさ、あいつが大島にそういう発言をした時に怒れなかったお前たちも悪いんだぞ。言っていいことと悪いことってあるんだぞ」って。でも俺が一番腑に落ちないのは、内容証明を作った人間が大島の帰国後にそこに現れて「実は事態はこうなってるんだけどどうする?」って言ってたらわかるんだけど、自分は動かないで若いのを使ってやったのが俺は好きじゃないんですよ。大島がそういう返事をしたのは人間的に真っ当だと思う。もし俺がその立場にいて「じゃあ黒木さん、敵対ですか?」聞かれたら「敵対だよ、ふざけんなよ」って言う。俺はそういう考え方です」
――静かに聞き入る会場――
マグナム「9月にミラノと会った時に、その例の平田くんの一件で高木三四郎さんと会うことになったんですよ。僕すごい怒ってたんで(笑)もうぶっ飛ばしてやろうぐらいに思ってたんですけど、きちっと話をしたらその趣旨を理解してくれてね。TOKYOGOのダンスは俺のものであって俺のものじゃないんですよって説明をしたんです。これは俺が考えて、当時同級生とか仲間がね、ダンスレッスンとか振付もやってくれたり、その時間を取ってくれたり。例えばですけど、演出上対戦相手が待ってくれたり、フルタイム踊らせてくれたり、お客さんもみんなこう手拍子してくれる。そうやってって、いわば闘龍門の名物っていうブランディングがあるじゃないですか。そこにやっぱり歴史があって、それをPRしていくのであったりね、対外的にもいろんな人がアプローチをかけて、やっぱりコストかかってるわけですよ。それをじゃあ当人が使ってないからいいやでサッと使うっていうのは、俺はそこ違うんじゃないですかと。高木さんは日本プロレスリング連盟の理事長をされてるけれども、ヒューマンライツっていうものを掲げたり、社会的信用を得るっていう点ではどうお考えなんですかと。それは俺はなんかちょっと違う気がするんですって話をして。高木さんにいろいろ僕の考えを理解してもらって、一応和解して。じゃあ僕はこれから全力で平田君を応援しますからっていう話になった。その時いっしょに話したんです。僕はこの1月リング上がってからいろんな人に会えた喜びがある。でもやっぱり聞きたくない話も入ってくるんですと。
例えば、今DRAGON GATEで若い選手が辞めたいのをやめさせてもらえないとか。あとは辞めた人間が仕事の妨害されたり、昔から辞めてった人間が悪者にされる風潮が俺は解せなくて。いつまでやってんの?っていう気持ちなんですよ。俺が何のためにあの時泥をかぶって膿を飲み込んで18年黙ってたか分かるかって気持ちがやっぱあるわけですよ。分かりづらい例えだったら申し訳ないんですけど、高校とか大学の部活で常勝軍団があり歴代の先輩たちもみんな有名選手、みたいな。でも10年か20年ぐらい経ったら地区予選すら勝てなくなってるとか合宿で何やってんだってそういう気持ちですよ。あの、サルの問題もあったし覚醒剤で捕まったやつもいたし(笑)、みんな色々失敗はするんですよ。人間は失敗して学ぶんです。若いうちはそれでいいの。でもそれがもう40、50の歳になって、だいぶ月日が経ってもまだ繰り返されている。若い子がチャンスだと思ってこうやってても、抑えつけていく風潮っていうのはなんか違うんじゃないかなって感じがして。三四郎さんに日本プロレスリング連盟の理事長をやってるんだったら、辞めたいっていう子が辞めれないってことを、やっぱり救済できるような窓口があってほしいって言ったし、それを調査して間に入ってあげるとか、そういうのも大切なことだと思うし。団体の社長が人にケガを負わせてるとか、みんな知ってて黙ってるんですよ。一般的にも知ってて黙ってるってことは、容認してるってことなんですよ。本来止めるべきである立場の者が見て見ぬふりをする。例えば、暴力動画が出てきて顕在化して初めて問題視して動くみたいな、遅いんですよ。それをやっぱり自浄作用として中から改善していくってことがないから、恐怖政治になっちゃうんですよね。辞めていくやつが「うちを辞めたらお前もう業界で試合出れなくなるぞ」って言われたら、今残ってる子たちって絶望しかないんですよ。このイベント決まる前からいろいろ聞いてて、俺も戦おうと思ったけども、俺にはもう関係ねえっていうか、やったとこで18年だよと思って、もういいやと思った。だけどいざこのイベント出るってなった時に、そういう子たちの声、中からなんですよ、中から人を介して声が来るんですよ。なんとかなりませんか?ってね。正直ね、俺も疲れてるんですよ。聞きたくねえなっていうのもいっぱいあるし。だけどやっぱりみんな怖くて言えないんだなって。実はこの前もDRAGON GATEの中のやつと「お前さ、俺に愚痴るんだったら自分で行動しろよ。辞めるんなら辞めりゃいいじゃねえか」「いや、でも~」「なんなんだよそれ!」って。そんなの何回もあるんですよ。これはやっぱり誰かが言わないといけない。ただみんなね、怖いのもわかるんですよ。なぜかっていったらその世界で仕事してるからですよ。俺なんかやりたくてももうやれないからね。やれなくなって外の世界でメシ食ってるじゃないですか。どんなにお金がなくても、俺はプロレスの試合に出て金稼いで食いつなごうなんて思ったこと一回もないし、それはやっぱり俺の意地もあるんですよ。だけどこれはプロレス界で生きてる人間が何か言い出すきっかけ、行動を起こすきっかけを与えないと、ずっとこの悪しき慣習が続いて、やがてファンの人たちの気持ちを萎えさせて、業界の地盤沈下につながるんじゃないかって俺は思うから。
暴露とかなんでもないですよ。俺の社会から見た目なんですよ。やっぱね、若い子たちからしたら、先輩に相談しても相談に乗ってもらえないとか、上司に言っても全然力になってくれない、誰も頼りにならないってやっぱり絶望じゃないですか。だからそんなとこで働きたくないと思っちゃうんですよね。先輩とかが、若い子たちに親身になってあげられないっていうのは、俺はそういうやつらもさ、お前ら駄目だよって俺は思ってる。プロレスは得意でね、試合はこなせるかもしれないけど、それ社会人からしたらアウトだよって。普通に考えてね、職業選択の自由ってあるんですよ。これはもう憲法で決まってるんですよ。職業選択の自由っていうのとあと独禁法ですよね。例えば、選手がどっかの団体にチャレンジしたいって時、やっぱり自分を高く売りたいじゃないですか。それは野球でもサッカーでもそうだし、そこを理解して開けた市場にならないといけないのに、なんかおかしいなと思ってる。芸能事務所でも過去のことを掘り起こされて、有名なとこだとジャニーズなんかああなるわけですよ。やっぱり人に暴力を振るって、一生治らないかもしれない怪我を負わせている人間がそこで代表をやって恐怖政治をやってる。
だってよく考えてください。闘龍門のときにいない人間なんですよ。DRAGON GATEになって俺が動いてから岡村さんが連れてきたわけです。これは何でかっていうと、最近畑山から聞いたんですけど、俺が結構ガンガン仕事をやっている時に、俺に乗っ取られると思ったらしいんですね、会社を。一時期岡村さんが結構ひどかったんですよ。それで私がちょっと文句を言ったんですね。「そういうのやめてくれないですか、ちょっとやりすぎです。来るなら来る、来ないなら来ない。来なくてもちゃんと俺がお金運びますから」って言ったんだけど、多分それが生意気に映ったのか、勘に障ったのかわからないけど、そこから何でもなかった人が急に専務待遇で入ってきて、そこから1年2年でハードが出来上がって本当に完璧になった時に、もうバーンですよ。「全部渡せ、よこせ」って。畑山もそれと同じようなことがあった。俺たちがまあ勉強不足だった。そんな悪い人がいると思ってないから、俺たちもまあガードが甘かったなと。脇が甘かったなって言って。それはもう自分たちの反省にもなったし。最初は苦しかったです。こんなこと言えなかったから。でもそん時俺がバーってなんかやったら、やっぱりやってるやつみんな吹っ飛んじゃうし、団体そのものもダメんなっちゃうと思ったから、もう我慢するしかなかった。あの時ね、泥被って膿飲み込んで黙ってて、その間20年近くみんなプロレス出来たわけじゃない。それなのに時が経ってどうして若い子たちの力になってあげないの?って。悩んでて相談行くけど、そこに社長が来ると急に先輩の対応変わって、何なんだよ、男らしくねえなって。
俺ね、SUWAが辞めた時もそうだし、ミラノが辞めた時もそうだし、いろんな奴が辞めてったけど、別に邪魔なんかしなかったですよ。圧力なんかかけなかったし、全然。近藤達が色々あって辞めたけど、あれだって、あいつらは悪冠一色(アーガンイーソー)ってヒールをやってるけど、俺はリングを降りたらヒールじゃダメなんだよっていうことを教えたかったんですよ。だけど彼らは分かんなかったから。当時はフジテレビの冒険王をきっかけで、やっぱり上場企業とお付き合いしてた。フジテレビもそうだし、バンプレストもそうだし、僕が本当にお世話になったレンタルビデオのゲオっていう会社、僕はコンテンツビジネスやりたいんです、こうなんですけどうってやってる中で、なんて言うのかな、みんな若いし社会経験ないからなかなか理解ができなかった。岡村氏が行けるところまで攻めてくれって言うから、俺がガンガン行ってバックミラー見てみたら誰もいなかった、振り返った時は誰もいなかったっていうのが現実だったんですね。とにかくそういう社会性のないことをいつまで続けてるんだってことに警鐘を鳴らしたい。誰かが言い出して表に出ないことには、やっぱ高木さんも動きづらい。
昨日の夜中に高木さんにLINEして今朝も電話したんですよ。こういう話をするからと。もう腹決めた。これまでのことは別に何かをってのはないですけど、元々自分のものじゃないわけですよ。まして自分をね、連れてきてもらった人と揉めて、それが棚ぼたで落ちてきた。だったら今から希望あるやつにそれを置いてって、あとはもう自分でね、自分の出処進退っていうのかな、自分で決めればいいんじゃないかっていうのが俺の想いです。やっぱり若い奴には夢を持ってやってもらいたいし、若い奴もそれに負けてもらっちゃ困るんですよ。そんなもんね、恐れるに足らず、大したこともない。自分の信念貫いて、俺はこうしたいんですってやって、揉めていいからやるんですよ。それぐらいのパワーがなかったら、いくらプロレスができても、人に気持ちとか情熱は伝わらない。ただプロレスができるだけのやつ、誰もそんな人間は応援しないです。何も変えられない。それは俺に言わせると向いてない。長くやれなくても、どんなに短い期間でも真剣にやってれば名前を残せるし、そこまで行くし。それだけ若い奴が希望を持ってやってる時に、喜んでやれない先輩たちがいるって事が俺は嫌なんです」
CIMA「本当にこのことを言語化できる人っていうのは、僕含め今までいなかったんです。まあどこまでいくのかなっていうのがありましたけど(笑)黒木さんがやっぱりプロレス続けたかったって言ってたのと一緒で、僕もDRAGON GATEを辞めるなんて想像もしてなかったですし。やっぱり選手、スタッフっていうのはみんな未だに好きですし、未だにちょこちょこ連絡取る人はいますんで、やっぱりずっと戦友だと思ってます。メキシコから帰ってきて、その日に会った7名っていうのも、僕は何の恨みつらみも無いですね。彼らはそうしないといけない事情があったと思いますし、僕は直ぐにそこを選択できない事情もありましたんで。まあその話を受けたことで、僕はもう完全に硬くなって、完全に貝になって誰とも話さなくなってしまったんです。そういう点ではすごく反省している面もあります。やっぱり体が動く間に1試合でもDRAGON GATEでやりたいなっていう気持ちは持ってます。今はフリーで誰に迷惑をかけるわけでもなく、責任取るのは自分自身だと思ってますし。2026年から本当にプロレス人生初のフリーランスとなって裸一貫でスタートしたら、去年18年ぶりに再会出来たデビュー戦の相手がこうして横にいてサポートしてくれる。黒木さんしか、CIMAのことをここまで深く観察して、厳しい言葉もひっくるめて言ってくれる人っていないと思うんです。それを胸にやっぱり29年目のプロレス人生を歩んでいきたいなと思いますね。黒木さん、5月11日、我々のデビュー29周年記念日に新宿FACEで大会やるんで、力貸してください!」
マグナム「本当にこんな感じのあれだけど、再会してね、楽しくカラッといきたいのよ。そのためにはやっぱりCIMAにとっては、フリーになって大切な序盤でしょ。そういう時に邪魔されたり妨害されたりって嫌なんですよ。そのためにはやっぱりね、これからのことを思って、楽しく行くために、やっぱり何かを犠牲にしてでも俺言わなきゃいけないと思って言ったんでね。こんな俺でもCIMAの横にいてもいいですか?」
――場内大拍手――
CIMA「今のお話、これが僕のオープニングの涙の理由です。皆さん5月11日新宿FACE大会、お待ちしております!」
<大会概要>
『CIMAデビュー29周年大会 2つの太陽』
日程:2026年5月11日(月)
開始:19:00
場所:東京・新宿FACE
チケット:https://x.gd/wFRJW
席数は(立ち見含む)開催日と同じ511席仕様!!
ストーリーとヒストリー!
<プロフィール>
CIMA(シーマ)
本名:大島伸彦 1977年11月15日 大阪府堺市出身。173cm/83kg。闘龍門1期生として1997年5月11日 メキシコ・アレナ・ナウカルパン vs黒木克昌戦でデビュー。得意技はメテオラ、シュバイン、マッド・スプラッシュ。現在は身体のメンテナンスを経てフリーとなり、CIMAの理想を現実化するためのプロジェクト「PROJECT-C」を立ち上げ、精力的に活動中。来たる2026年5月11日に東京・新宿FACEにて29周年興行を開催!
公式X:https://x.com/supercima1115
公式通販:https://projectcima.base.shop/
なお、2月28日『2人のビッグショー』の動画は、マグナムTOKYO『まぐちゃんねる』にて公開中!
『まぐちゃんねる』
https://x.gd/MwSLo
















