佐山サトルが"初代タイガーマスクの生みの親”新間寿さんを追悼…「父親のような暖かい人だった」「亡くなる前に動画を撮って僕に残してくれた」

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 4月21日に90歳で肺炎で亡くなった“過激な仕掛け人”新間寿さんの通夜が、29日に実家である新宿区・感通寺にて営まれた。

 新間さんは日本プロレス時代の力道山さんから指導を受け、新日本プロレス入社後は『アントニオ猪木対モハメド・アリ』を実現させ、『初代タイガーマスク』を生み出し、アントニオ猪木さんのスポーツ平和党でも幹事長を務めた。
 晩年は初代タイガーマスク・佐山サトルとともに『ストロングスタイルプロレス』を年に数回開催しており、自分の足で後楽園ホールのリングに上がりしっかりとしたマイクを行っていた。

 通夜には初代タイガーマスク・佐山サトルや前田日明さん、永田裕志、藤波辰爾などが参列。そしてストロングスタイルプロレスコミッショナーの自民党・和田政宗参議院議員と、リアルジャパンプロレスコミッショナーであった国民民主党・榛葉賀津也参議院議員も参列した。
通夜を終えた佐山サトルは「新間さんの写真見てると、僕が入門した時から思い出してきて、全部が全部走馬灯のように流れてきましたね。よく支えてくれたなと思います。父親のような暖かい人だった。イメージは雷で、雷が落ちて、その稲光のように仕事やったりとか、いろんなものを決めたりするすごい能力がある人ですけど、僕らにとってはすごい味方であって、僕らをよく支えてくれたなという風に思ってます。僕が試合に出てる時に1人でニヤニヤニヤニヤしてるの。よっぽど嬉しいんだろうなと思って、それを見る僕がやる気になって、どんどん調子づいていったっていうのがありましたね。レスラーに、特にタイガーマスクに愛情をかけてくれて、すごい仕事してくれてね、すごい暖かさを感じる、愛を感じる人でしたね。亡くなる前に、平井さんに動画を撮ってもらって、最後に送れって言ったんでしょうね。『佐山頑張れ。タイガーマスクを生み出したのは俺の誇りだ』『佐山、一緒に上がるぞ。早く元気になろう。2人で元気になってリングに上がろう』という風なことを残して、僕にくれたんですよね。なんかそういうの見てると、すごい熱い人だなと思って、その愛を父親のように感じますね」と涙をこらえて語る。

 そして「亡くなったって聞いて、最初実感がわきませんでした。亡くなった翌日に会いに行ったんですけど、僕声が出なくなる症状が出てたんで、パーキンソンのオフという状態なんですけど、オフの状態になっちゃうと声が出なくなっちゃうんで、それが急に出るようになって。新間さんが亡くなった翌日から、夜の11時頃、息子とちょっと部屋で話してたんですけど、夜は特に声が出なくなるんですけど、あれ?俺声出てないって、いつの間にか声が出てるのが分かったんですね。翌日も声が出て、それからずっと声が出るようになって。新間さんが喋れって言ってるのかと思いますね」と自身の病状にも変化が訪れていた事を報告した。

 ストロングスタイルプロレスは、6月12日に後楽園ホール大会を予定。新間寿さんの追悼大会として開催される方向で調整がされており、初代タイガーマスク・佐山サトルが約束のリングに上がれる事を期待したい。

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