【インタビュー】「僕が足で稼いだ昭和の良さをお見せします!」『極悪女王』の時代を生きた“興行師”の遺伝子・オッキー沖田がマリーゴールド3大会をプロモートする意気込みを語る
マリーゴールド11.23宇都宮、12.8田原、12.21山形の三大会をプロモートするオッキー沖田氏、昭和の女子プロレスからスタートした同氏のキャリアを考えるとやっぱりお話を聞きたくなり、隙を狙って行ってまいりました!(聞き手:スレンダー川口)
――お久しぶりです。いつも忙しく駆け回ってる印象の沖田さんが今度はプロモート業とのこと、キッカケは?
「あの、長くなっちゃっても大丈夫ですか(笑)」
――はい、想定しております(笑)
「僕、少し前にNetflixの『極悪女王』をお手伝いさせていただいたんです」
――スタッフロールで見つけてニヤリとしておりました(笑)
「長与さんとかダンプさんはリング上のことはもちろんご存知なんですけど、リング外の細かいことになると、例えば事務所の机のレイアウトがどうだ、伝票や封筒がどうだった、『前売り券あります』の紙だったり、もう僕と小川さん(ロッシー小川)ぐらいしか話せないんですよ。皆さん亡くなったり業界を離れてたりお歳だったりで。例えばチケット伝票とかも、元の納品書があって販売店さんに渡す納品書があって、請求書、最後に計算書と4枚ものなんです。他にも今でも使えるものばっかりだったんですよね。そう考えると実はあの時代では非常に先端を行ってたんですよね」
――フォーマットはあの頃に構築されたと。
「阿部四郎さんはほんとに興行師で、どこそこのあの歌手のコンサートは阿部さんしかできない、とか(笑)。で、その阿部さんの車の中に入ってたものって、今の自分の車の中のものとおんなじだったんですよ。当時、僕はもう入ったばっかりで『ダンプにばっかり肩入れしやがって』みたいに思ってましたから『この野郎に怒られんのなんて絶対嫌だ』ってスゴイ頑張ってたんですよ。その阿部さんは僕のことを『坊!』って呼ぶんです。『オキタ』なんて覚えてくれないから『ボウ』って」
――昭和の下っ端なんて「おい!」か「坊!」ですもんね。
「ある時、一段落して少し時間できたら『なんだお前、飯食っちまえよ!』ってウナギ弁当くれるわけですよ。『いやバスが来たらすぐ動かないと…』って言ったら『馬鹿野郎!俺が言ってんだからいいんだよ!食っちまえ!』って怒鳴るんですよ。『この野郎、ウナギなんかで騙されねえぞ』って食べ始めたら『お前まだ食えんだろうが!』ってどんどんくれるんですよ。結局僕10個食べたんですよ(笑)」
――元気のかたまり!
「『お前そんだけ食ったんだからこの後もっとガンバレんだろ!』って言うんですよ。やっぱり元気になったから頑張るじゃないですか。で、その日終わったら『おい坊!お前今日頑張ったからほら!』って1万円くれたんですよ。こっちはもう『なんだこの野郎!すげえ良い人じゃねえか!』って(笑)」
――ああ~、染みる。
「晩年までとにかく可愛がってもらって、最後の方はなんか身寄りがなくなっちゃって亡くなった時は、当時僕の居たZERO-ONEからリリース出したんですよね。他にも僕は昭和の興行師さんたちをたくさん見てました。その後時代が昭和から平成になり、広告代理店さんが出てきて大きく変わっていったんですよね」
――興行師からイベンターへ。
「ひとりで何でもやってたのが業務ごと複数人編成になり、チケットの売れ行きもコンピュータで分かるようになり。昔は紙の図面を蛍光ペンで塗ってましたから。でも、やっぱり今でも『この地域で大会がある』ってなると近隣の飲食店、時には隣接する他府県までも優待券をチラシ代わりに設置して、その紙もバラバラにならないように台座とかケースも用意したりとか、きめ細かくやってらっしゃる団体さんもあります。僕、実はフジロックが苗場に移動して二年目ぐらいの時に一回だけお手伝いさせてもらったことあるんですよ」
――おお!現場ではどんなことを?
「A地点からB地点まで、ひたすら原付で氷を運ぶって言う仕事なんですけどね(笑)。他にも『骸骨祭り』とかにも携わらせてもらったんですけど、こっちエリアは音楽チーム、反対側エリアでプロレスやらせてもらって。とにかくみんな楽しんでるのを見ました。で、令和になったところで小川さんが『来年は昭和100年、昭和は終わりません』って掲げたので、なんかこういくつもの時代をミックスできないかな~って思ったんですよね」
――改めて昭和100年って聞くと来年は重みのある時代になりますね。
「こないだ徳島に行ったんですよね(マリーゴールド 8/3徳島 北島北公園総合体育館)。そこにチケットのミシン目があとひとつっていうちぎれそうなチケット持ってきたちびっ子がいたんですよ。「どうしたのこれ」って聞いたら、『もう毎日楽しみでずっとチケット見てて』って言うんですよ。もうくっしゃくしゃなんですよ。おんなじことを僕もちっちゃい頃経験してんですよ。あ、おんなじ話を週プロでもしたんですけど(笑)、駅前のミズノスポーツで全女のチケット買って、テレビ見ててもCMになったら封筒からチケット出して確かめて、盗るわけないんですけど『姉貴が盗ってたらどうしよう。破ってたらどうしよう』って何度も確かめてたんですよ。チケット眺めながら『急にタイトルマッチやらないかな~』とか、紙一枚でわくわくしてたんですよ」
――その気持ち、めちゃくちゃ分かります!
「その子がね、『ジュリアさんケガで試合無いと思ってたんですけど試合出れるってホントに嬉しい!』って。そんなのこっちも『うわあ、もうウッレシイ~!』ですよ。こういう感動、今だからこそ出来ること無いのかなって思って。僕は本業は学生(作新学院大学の大学院生)なんですよね、今。会場でアンケート取ったり、興行を分析したいなって思ったんです。これは学生としてちゃんとやりたいなと。でも自分でリスク追わないのに、そんなのってズルいなって思ったのがプロモートしようと思ったキッカケなんですよね」
――ここでやっと答えですね(笑)
「長くなっちゃってすみません(笑)。三カ所とも異なる地域ですから会場で手書きのアンケートに答えていただこうと思ってるんですよ。答えていただいた方にはお礼に特典をお渡しするとか考えてます。選手のオフショットの『生写真』とか」
――「生写真」「ブロマイド」ですね。それも昭和的で素晴らしいです。
「それにはサインもらえないけど、今日だけの生写真だよ、今日だけの特典だよって。グッズもそうなんですよ。通販で買った方が重い荷物にならなくて済む、でも今日ここで買う意味ってあると思うんですよ。帰りの電車でちょっとパンフを開いて読んでみたり、そうすると向かいの席に大会Tシャツ来てる『仲間』がいるじゃん、で、二人めっちゃ盛り上がっちゃうとか」
――「無人島に来てみたら仲間がいた!」って叫んじゃいますよ!
「そんなコミュニケーションって無いじゃないですか。昔はね、僕が全女の宣伝カーで回ってる時にお金が無くて会社の仮払いも無くて、その地域は家と家の間が3kmとか離れてるような場所なのにガソリンが切れて、ほんとに100円しか持ってなかったんですよ。見つけた商店で100円納豆買おうと思ったら110円に値上がりしてたんですよ!でも『俺は東京から来て宣伝してるんだ』っていうおかしなプライドあるし恥ずかしいしで、更にレジのおねえさんが可愛かったからメロンパンナちゃんのハミガキ粉を買って。あ、ハミガキするとね、10分ぐらい空腹がまぎれるんですよ」
――何ですかその豆知識!
「でもね、結局10分なんで。もう意を決して知らないお宅をピンポンして。「どなた~?」ってお母さんが出てきてくれたら、そこにはもういろいろ説明しようとしてたのにガン泣きした僕が「ううう、ご飯だべさしてください~(泣)」って棒立ちで。でね、たまたまイノシシが獲れた日だったらしく、もう腹いっぱい食べさしてくれたんですよ。で、満腹になってご馳走様でしたって時に『ところであなただあれ?』って聞かれました(笑)」
――そこでやっと(笑)
「『もう毎日来ていいから』って言ってくれて、僕が19の時ですから32年前ですよ。でも、それから近くに行くたんびに寄ってますから、おうちの冷蔵庫のどこに何があって何が足りないかとか、僕だけが先に家に居てテレビ見ながら帰りを待って『おかえり~』って言ったり、嫁姑問題を解決したり。一番は、その時赤ちゃんだった女の子が大人になって結婚するってなった時に『あの~、オッキーに司会をお願いしたいんだけど』って。『お前な、俺意外に誰が出来るんだよ』って即答ですよ。で、結婚式当日はその司会がはじめっから終わりまで号泣しっぱなしっていうトラブルが(笑)」
――司会にあるまじき気持ちの入りっぷりですよ!(笑)
「ZERO-ONE時代に営業もいろいろあったんですけど、例えば『橋本真也の団体?ちょっとチケット預かるよ』って大量に売ってきてくださった方がいて。お世話になった会社が応援してる団体だから協力するよ、と。ほんとに感謝しました。ある地域では大谷晋二郎が大病の子を元気づけるために訪問して、とても喜ばれたことがあったんです。後日その地域で大会やろうとした時に開催許可がなかなか降りなかったんですよ。でもたまたまその子にスポーツ指導してる方が責任者だったことで、『あの時の大谷か。じゃあ信用できる』ってボンと許可してくださったり。他にも数々、ほんと人のつながりで助けられたことがすごく多かったんですよ。分業して選手が試合だけに集中できる環境を整えることもとても大事なんですけど、人とのつながり、感動っていう昭和の良さを今の人たちに伝えられるような事が出来たらな~って思ってます」
――むちゃくちゃなところもありましたけど、昭和の良さってありますもの。
「しっかりした組織でイベントとして成立したスタイリッシュな興行も素晴らしいんですけど、自分たちで営業してチケット売ってイチから作り上げるのも、いろんな人との繋がりも出来てお客さんにも喜んでもらって、素晴らしい感動を味わえるんです。さっきの営業が大変だって時も『沖田、6,000円のチケット1枚売るのと2,000円のチケット3枚売るのはどっちが楽だ?』って中村(祥之)さんに言われたんですよ。『そりゃ2,000円の方です』って言ったら『じゃあそれでいいから売って来いよ。お前なら出来るよ。お前には何物にも替え難いその『足』があるんだから』って言ってくれたんですよね。確かに成果・人脈は昔から諦めずにこの足で稼いだっていう自負があります」
――「とにかく一度来てみてください、体験してください」って歩き周った日々・・・
「あ、そうだ。全女ってなんで空き地で大会やってたか知ってます?『〇〇石油ガソリンスタンド100m先特設リング』ってやつ。空き地の場合は『囲い屋さん』って言って、杭をガンガン打ってカーテンレールみたいに鉄線を張って、ビシーっとブルーシートで囲いを作って会場を設営してくれてたんです。全くたるみの無い囲いができて、それはもう正しくプロの仕事なんです。そういった設営会社さんたちとも共存共栄、しっかり地域のお仕事にも貢献してたんですよね。だからみんな協力してくれた」
――会場費というコスト面だけでなく、野外特設リングは地域貢献だったんですね。
「それに飲んで食べて大声出してっていうプロレス会場の非日常、とても素晴らしい大衆娯楽じゃないですか。全女のあの松永会長の焼きそばなんて、麺1パックに対して粉ソース3つ使ってんじゃねえかぐらいの味の濃さでしたから。でも、ついでにガンガン冷やしてあるどこの国のか分からない"シーオーケーイー”って書かれた飲み物がどんどん売れて行くんですよ。焼きそばの味が濃すぎるから冷たい飲み物もどんどん売れるという相乗効果(笑)」
――見事なパッケージ販売です(笑)
「なんか特別なことをやるわけじゃないんですけど、僕なりに選手のみんなには仕事として人として得られるこの充実感を伝えて行きたいと思います!皆さま、ぜひ11.23宇都宮、12.8田原、12.21山形、マリ―ゴールドにお越しください!我々の一生懸命、お見せします!」
『MARIGOLD Wonderful Fight 2024』
日程:2024年11月23日(土・祝)
開始:13:00
会場:栃木県総合文化センター
<チケット>
https://www.ticketpay.jp/booking/?event_id=53380
『MARIGOLD Wonderful Fight 2024』
日程:2024年12月8日(日)
開始:17:00
会場:田原市総合体育館
<チケット>
https://www.ticketpay.jp/booking/?event_id=53385
『MARIGOLD Wonderful Fight 2024』
日程:2024年12月21日(土)
開始:13:00
会場:山形ビッグウィング
<チケット>
https://www.ticketpay.jp/booking/?event_id=53526