50周年を迎えた和田京平がジャイアント馬場さんとの思い出を述懐!「お前は世界一のレフェリーだと言ってくれた」
20日、東京都・後楽園ホールにて全日本プロレス『サマーアクションシリーズ2024』が開催。和田京平のレフェリーデビュー50周年記念試合が行なわれた。
和田京平はリング屋のアルバイトとして全日本プロレスに出入りしていたところを故・ジャイアント馬場さんに才能を見いだされ1974年にレフェリーとしてデビュー。
その後長らく全日本プロレスで試合を裁き続け、2011年にフリーとなってからは女子プロレス団体やインディー団体、さらには学生プロレスやキャットファイトでもそのレフェリングを披露。2013年に全日本プロレスの名誉レフェリーとして復帰してからは再び全日本の顔として君臨している。
2017年には試合中に拝み渡りを披露するも転落して骨折し3ヶ月欠場するというトラブルに見舞われたが、その後は元気に復帰。今年11月20日に70歳を迎えるとは思えない活躍ぶりを見せている。
そんな和田京平レフェリーのデビュー50周年記念試合として、諏訪魔&田村男児&大森隆男vs渕正信&斉藤ジュン&斉藤レイの6人タッグマッチが実施。
レフェリー名のコールから観衆が大きな「キョーヘー!」のレスポンスで応える中で試合開始。この試合では京平レフェリーと年度は違えど同じ1954年生まれの渕が躍動した。
渕は諏訪魔に華麗なドロップキックからバックドロップの体勢へ入るが、諏訪魔がこれを軽々振り払ってスリーパーホールドで捕らえると、会場は大・大・大ブーイング。すかさず京平レフェリーがチョーク攻撃とみなして反則カウントを取り始めると、場内は大・大・大・渕コールに一変する。
諏訪魔は執拗に渕へバックドロップを狙うが、斉藤兄弟が必死の救出。渕が諏訪魔を軽々とボディスラムで投げ捨てて見せるも、観衆からの「もう1回!」コールに応えて2発目。ふらふらになりながらも京平レフェリーの目を盗んで大森にヘッドロックパンチを見舞い「パー!」と軽快にアピール。
終盤戦では男児が敢えてレイにパワー勝負を挑んでジュニアの意地を見せつけていく。男児はラリアットを連打していくも、レイの張り手一発でたたらを踏む。渕が男児をバックドロップで叩きつけ、レイがボディプレスからチョークスラムを決めて3カウントを奪った。
試合後には京平レフェリーの50周年記念セレモニーが実施。
まずは神林大介レフェリー、大隅良雄氏、井上雅央、越中詩郎から花束が贈呈。
その後、マイクを取った渕が「50周年おめでとうございます!お互い50年、本当に早かったねえ。90年代の四天王プロレスってあるでしょう?そのときにレフェリーを全部やったのが和田京平です。僕は身近に見ててハッキリ言いますけど、和田京平なくして四天王プロレスはありません!この男のレフェリングがあってこそです!世界一のレフェリーだと思います!ご苦労さん……って言ったら引退みたいだな(笑)」と語りかけると、京平レフェリーは「まだ辞めないから(笑)」と即答。
その後、京平レフェリーは「こういう機会じゃないとみんなと写真撮れないから、今日だけは勘弁してください」とはにかみながら試合&セレモニーの参加者たちと記念撮影を行った。
バックステージに戻った京平レフェリーは「渕くんも50年、俺も50年。2人で100年だよ。50年よくやったよ。(今の選手たちは)みんな生まれてないんだもん(笑)もうちょいやらせてください。出来れば55年でも60年でもやりたいところだけど、体力が続くまで」と微笑みながらさらなる現役続行を熱望。
渕から“世界一のレフェリー”と呼ばれたことについては「ありがたいですね。そういうふうに言ってもらえたのは馬場さんと渕くんくらいなもんで。これは当時見てた人じゃないとわからない世界でね、馬場さんから『お前は日本一上手いなあ。日本一ってことは世界一だ』って言われたときは嬉しかったですねえ。こんな長くやると思わなかったし、馬場さんの年齢も超しちゃったしね。僕はレフェリーやるときにマシオ駒さんに『お前はこれからこれで暮らしていくんだ』って言われて、『えぇ~、こんなのやるわけないじゃん』って思ってたんだけどね、そう思ったのが50年前ですよ」と目を細める。
そして「ジョーさん(ジョー樋口)さんから後を継いで、和田京平になって。今は若い人に三冠を継がせてるけど、今日このあと三冠戦あるんで久しぶりに裁きたいなと。自分から『三冠戦を裁きたい』って言ったの久しぶりで。ウキウキしてますよ」と語って一旦控室へ。
メインイベントで行なわれた安齊勇馬vs本田竜輝の三冠王座戦には宣言通り京平レフェリーが登場。22分42秒に渡る長時間の死闘をしっかりと裁き切り、未だ世界最高峰の実力を見せつけた。