【インタビュー】クレーン・ユウが9・25新宿FACEで還暦記念大会。全女の仲間が集結。ユウは、怖すぎたジャガーに「今度こそ勝つ!」と宣言!!

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 この10月で60歳を迎えるクレーン・ユウが【クレーン・ユウ 還暦記念大会】42回目の秋!60歳になっちゃった!を打つ。9月25日(日)正午、新宿FACEに、全日本女子プロレスで共に闘った、なつかしいメンバーが集結。ユウは2試合に出場し、メインではダンプ松本、ZAPと組み、ジャガー横田・井上京子・伊藤薫と対戦する。若手のときからジャガーにやられ続けて来たユウは、一念発起。自分の晴れの舞台で、ジャガーからフォールを奪うと、密かに闘志を燃やしていた。同興行はCOMBOが全面バックアップ。ユウのプロデュースでCOMBO流れをブチ壊すようなカードも実現する。ユウに、全女時代の話と、今大会への思いを聞いた。COMBOでのユウしか知らないファンにとっては、全女時代の話は“衝撃”かも知れない……。

【クレーン・ユウ 還暦記念大会】42回目の秋!60歳になっちゃった!
日時:2022年9月25日(日)
開場:11時15分/開始:12時00分
会場:新宿FACE

――前半はヒストリー的な話をしていただいて、後半は大会の見所を語っていただきます。でも、いきなりですが……、全女時代は輝かしいヒストリーというより、一度辞めて突然復帰して、そして辞めて。自分の意思に関係なく、2度覆面レスラーにさせられて。会社の思惑にほんろうされた現役生活だったようにも思えます
「私は昭和55年春に入門。高校1年で中退して入ったの。最初は中学の担任の先生に、「高校には行かない」って言ってたのよ、プロレスやりたいから。でも当時はまだ、ビューティ・ペアの人気がすごかったじゃん。中学の3者面談で先生に「女子プロレスのオーディションに落ちたらどうするの?」って聞かれて、答えられない自分がいたの。で、結局、そのときはオーディションに落ちちゃったんだけどね」

――入門の競争率は、すごい倍率でしたからね。
「高校は1校受けておきなさい」って言われていて、単願で私立の高校受けて。受かって、そこに行ってたの。当時、練習生で1カ月2000円かなあ。目黒の、まだ黄色い古いビルの1階の道場で、週3回、月水金に練習を教わってたね」

――それで1年間頑張って、なんとか入門できた。
「そう。でもプロテストには3回くらい落ちてる。私とか松本香(のちのダンプ松本)とか」

――あの年は、6月か7月あたりから興行を2コースに分けて、A班とB班として巡業することになったから、選手の補充が急務だったんですよね。結局、55年には13人の新人が入っています。長谷部エミ、新国純子が辞めていって、坂本和恵、奥村ひとみ、師玉美代子、高階由利子に萩原真理子。あとはクラッシュ・ギャルズになるライオネス飛鳥と長与千種、大森ゆかり。伊藤浩江(のちのワイルド香月、タランチェラ)、ダンプ松本に本庄ユカリさんです。(※順不動)結局ユウさんが、レフェリーに転向していたときも含めて、全女にいた期間は。
「10年間だね。最初の引退……、ダンプに「お前とはお別れだ!」って言われて辞めることになったのは、22歳だったと思う」

――昭和60年4月の第1回ジャパングランプリ公式戦でしたよね。茨城の鹿島町立体育館でした。
「クラッシュやダンプは、会社といっぱい話をしていたけれど、私はしたことがないし、自分から何かをやりたいって言ったこともないのよね。それがいいことなのか悪いことなのかは、わからないけど」

――でもWWWA世界タッグは獲りましたよね。
「1回だけね、クラッシュから。闇のスリーカウントみたいな。大田区体育館でさ」

――その年の2月の大田区体育館ですね。
「で、次は無効試合だったかな」

――タイトルはユウさんの引退で、返上という形ですね。80年代の全女の試合映像を見ると、あまりの緊迫度に鳥肌が立つというか、それほどヤバいと言う人がいます。確かにリングの上は、それぐらいの緊張感がありました。それが毎日続いていたわけじゃないですか。
「それが常だから、何とも思わなかったな。ただ新人時代は、練習がイヤだった。きついし。巡業先で選手バスが会場に着くのが午後2時過ぎだったら、試合前の練習はないんだよ。リング調整したり、リング掃除をしたり、控室を作ったりとか、しなくちゃならないから。だから2時過ぎますようにって、毎日祈ってた。バスの運転手さんに「明日、会場まで何時間かかる?」って聞くのが常だったよ」

――ユウさんは同期の中でも人一倍、体重があって大型だったから。同じ練習をやったら、きついのはわかります。
「3分間の受け身とか。一人で受け身だけ、取り続けるんだ。上の先輩は、そんなにやらない。先輩は1分とかで交代していって。私たちはずっと投げられて。その間に2回、30秒ずつぐらいかな、ロープワークして。最後の方なんかフラフラで、受け身なんか取れないじゃんねえ」

――“100発受け身”っていうやつですか?
「だからそれよ。まあやだ。もうやだ。それがやだ。イヤだっていうよりも怖いの。何をやられるんだろう今日は、みたいな。日によって違うから」

――指導するのはトップクラスの選手ですよね。
「そう。練習がイヤだから、巡業先で夜中に「明日バス掃除だから、バスの鍵貸して」って運転手さんに言って、夜中にかおちゃん(影かほる)と2人で、バスのどこか1カ所だけ電気つけて、バッテリーを上げたの。「どうする?」「バッテリー上げちゃえばいいんですよ」って話して」

――翌日、バスが動かなくなりますよね。
「最低でも1時間、2時間、動かない。そうすると、2時間で着く所が3、4時間かかるから、到着が2時を過ぎてくれる。だってさ、試合前の練習で疲れちゃってさ、試合が出来ないくらい疲れちゃうのよ。で、A班B班で興行が分かれているから選手数が少ないじゃん」

――必然的にひと大会での試合数が少なくなりますよね。だから、短時間で決着をつけるのはご法度だった。それは、特にまだ技量の無い1年目のユウさんたち新人選手にとっては、大変だったと思います。興行が北と南とか、2班に分かれて巡業して。
「テレビ撮りの会場になると合流していたね。A班は期待されている選手が集まっていたんだ」

――エースのジャッキー佐藤と横田利美(のちのジャガー横田)、ミミ萩原がA班。B班のリーダーはナンシー久美、ルーシー加山、池下ユミ。
「B班はどうでもいいようなグループだった。A班はできる外国人が参加して、B班はできないメキシコ人ひとりとか」

――ユウさんは……B班でしたよね。
「そうだよ。レンタカーのマイクロバスに揺られてさ」

――A班は夏は涼しい北海道を巡業して、B班は暑い西日本を巡業して。
「でも沖縄県には行けないんだよ」

――2班制は1年も続かなかったですけどね。全女の首脳陣は、単純に売り上げ倍増を目論んでいたようです。でも、薄くなった選手層をド新人で補おうとしても、無理がありました。B班でユウさんが、ナンシーさんと組んでメインに出ていたのを会場で見ましたよ。
「おかげさまで。でも本庄ユカリでデビューして、途中でマスクド・ユウになったんだけどね」

――昭和57年ですね。いきなり覆面レスラーになった時にはビックリしました。
「マスク代とか、全部自腹だったんだよ」

――なんで急に覆面をかぶることに?
「「性格が優しいから、ヒールなのに悪いことができないから、覆面かぶれ」って、会社の人に言われて。その意味がよくわからなかったんだけどね。覆面したって私は私じゃない? 喋っちゃダメとかも言われた」

――ユウさんはファンの人に話しかけられると、笑顔で応対しちゃっていましたからね。松本香だって、なかなかヒールになり切れなかったけれど、ダンプ松本に改名して、ある時期から人が変わったように、リングで悪いことをやりだしました。
「あんなに切り替えはできない、私は。私自身はもう、じゅうぶん切り替えて、ヒールをやっていたと思うよ」

――ダンプは異常に振り切れていたんですよね、クラッシュ・ギャルズという相手を得て。
「普段のダンプは優しいよ。だから切り替えが上手いんだろうね、きっと。私にはそれが出来なかったのよね」

――松永社長(のちの会長)は例えば、クラッシュ・ギャルズに「おまえらは相手に悪役がいないと何もできないって、極悪同盟の連中が言ってたぞ」ってささやいて、ダンプには「クラッシュの2人は、私たちの実力だけで全女は人気が出ているって言ってたぞ」ってささやいて、両軍の対抗心をあおっていました。それを選手たちは現役をやめてから、お互いに話し合って、知ることになるんです。
「そう。だから仲悪くなるんだよね。ダンプと組んでクラッシュと試合をしていて、この人たち何かあったの?って思うときもありましたよ」

――選手たちの感情が逆立(さかだ)っていれば、見ている側に伝わりますからね。異様なほど殺伐としていましたよ。敵同士であっても元々は同期で、気心は知れている。だからナアナアの試合には絶対させないという、会社側の意図があったのかもしれません。でも結果的には大成功で、興行人気に火がつきました。
「私にもクラッシュの2人の態度が、急に感じ悪くなったこともあったよ。何があったんだろうって思ったよ。でも何があったのか探って、それで余計にカタくなるのもイヤでしょ。でも私は会社に、何か吹き込まれることはなかったんだよね。まあ、全女は特殊な会社だから。だって中学卒業したばかりの女の子でもね。プロレスっていう仕事かもしれないけどさ。深夜12時、1時まで新人として拘束しているわけじゃん。関東の大会は全部、日帰りで目黒の事務所に戻るから、試合が終わって、その時点で9時じゃん。それからリングをかたずけて、バスに乗って群馬から帰ってきたら、2、3時間かかるわけだからさ。目黒に着いたらもう、夜中だよ」

――当時は新人の仕事として、それが当たり前でしたけれどね。
「新日本さんとかは、ちゃんと合宿所があって、食事もできるでしょ。私たちなんて寮にいる新人の1年間は、お米しか会社に買ってもらえないんだよ。黄色い古いビルの屋上に、プレハブの小屋が建っていて、そこが寮だった。3部屋に二段ベッドがひとつずつあるだけ」

――入りきれない新人は、近所のアパートに住んでいました。
「昔の建物だから、洗濯機を回すとお風呂のお湯がたまらなくて。洗濯機、何台かあったけど、洗濯には何時間もかかったね。うちらの代が出て何年かあとには、中だけリフォームしてキレイになったんだけどね」

――当時はおカネがなくて、大変だった。
「業務用の紅ショウガを、みんなでおカネ集めて買って。お店に安くしてもらって、紅ショウガでご飯を食べていた。だって初任給5万円だよ。そこから寮費5千円引かれて、何が食える? だから給料が出たときは、ケンタッキーと吉野家、はしごしたよ。夜中に目黒に帰ってくると、当時は駅前に、そのお店しかやってなかったからね。普段は本当にお米しかないんだから。相撲部屋なんて、後援者の方から肉とか野菜とか贈ってくれるって聞くけど……。ない。私たちには何にも」

――この環境から脱出したかったら、客を呼べる選手になれ!ということなんですかね。でも、体格を維持するのも大変でしょう。まあ、そういう会社だったとしか言いようがないですけど、新人選手の体づくりとか、どう考えていたんでしょう。
「わからない。聞いたこともないからね。だから新人は一瞬、やせるんだよ。食べないし、いつも小走りだし、神経も使うじゃない? 食べたいときにも食べられないわけじゃん」

――でも地方巡業で泊まるときには、夜遅くなるけれど食事が出るんですよね。
「地方の旅館に泊まると大広間に、何時間も前から並んでいた食事を出されることがあってね」

――それはまあ、仕方ないかなあ。
「会社の人たちも上の選手も、食べるものは同じ。でも新人は「お疲れ様でした!」って言ってご飯よそって、味噌汁よそって、お茶、お水。旅館の人に頼みに行って「すいません、大きなヤカンに氷水ください!」みたいな。新人なんか荷物置く暇もないくらいなんだから。それに宴会場だからさ、必然的にビールグラスも並んでいて。私たちは飲まないけれど、社長たちは飲むわけですよ。いいなあと思いながらね。新人はみんな、水だよ」

――普段の目黒での生活が、米だけから脱出するのは、いつぐらい?
「1年たてば合宿所から出されるからね。給料は10万とか12万、13万とか。自炊ができるようにはなった。私は最初は6畳一間の風呂なし、共同トイレの、家賃2万円だったかなあ。部屋に台所はついていた。寮に行って、シャワーだけ借りてね。そんな生活」

――マッハ文朱や、ビューティ・ペア、クラッシュ・ギャルズは、確かにすごい人気でした。ブル中野とアジャ・コングの対立で、お客さんが入った時期もあります。でも女子プロ団体対抗戦のブーム以降しか知らない人は、全女は下火になるまでずっと、会場は満員だったと思っている人がいますが、実態はとんでもない。ブームのとき以外はほぼ、体育館がガラガラなんですよ。あとは屋外の特設リングで、夏は照明に虫が群がる中での開催。小雨が降って、リングが滑っても試合をしていた。ユウさんもダンプさんも、ビューティ・ペアのジャッキー佐藤に憧れて、ジャッキー佐藤のようになりたくて全女に入門したんですけれど、入門したときにはビューティ・ペアのブームは完全に終焉していました。
「私が入ったときは、ビューティ・ペアのマキ上田さんが前年2月に引退していて、ジャッキー佐藤さんが1人で歌っていた頃で、ナンシー久美さんも歌っていたけれどね」

――フジテレビが中継しても、会場が空席だらけのときもありました。そういうド底辺を新人時代に経験してるから、何があってもビクともしないわけですよ、当時の全女の選手は。
「そう」

――でも、そんな中から這い上がって、13人の同期が5人残っている中で、ユウさんは素顔に戻ってクレーン・ユウとなって、WWWA世界タッグ王座にも就くのですが、着いてすぐ、5人の中では早々に辞めることになります。残っていた5人というのはクラッシュのライオネス飛鳥&長与千種と大森ゆかり、極悪同盟のダンプ松本とさんユウでしたが、昭和60年の第1回ジャパングランプリ公式戦。この極悪同士の対決、対ダンプ戦が、いったんは現役最後の試合になりました。
「それは会社の意向なんじゃないの? 辞めるって知らなかったもん、私。ダンプと喧嘩別れする形になって、明日からはベビーフェイスに転向……じゃなかったんだよね。植田(信治)代表が会場のテレビ解説席で、番組の最後に「クレーン・ユウは引退します!」って言っちゃったの。そこがカットできないから、引退になっちゃったの。私、血だらけになって、血が出過ぎて気絶しそうになってさ。控室に帰ったらゴンゴン(小倉由美)だったかが「大丈夫ですか? 結構パックリいってますよ」とか言って。私は「しょうがないよ」って言って応急処置はしたけれど、控室で血だらけでひっくり返って、床に寝っころがったの」

――そのときはまだ、自分が引退するとは知らなかった。仕掛けられたようなものですよね。
「ダンプは知ってたのかな。で、会社に「おまえは明日からレフェリーだ」みたいな。私は「エ~~~~!」みたいに言ったけど、言ったところでね。なんかイヤだなあと思ってはいたけれど。ダンプからも何も言われてないし、聞いてない。そのときは誰かに聞こうとか、そういうところまで頭が回らなかったね。何でだろうとは思ったけれど、まあいいかって」

――当時は、「引退のテンカウントゴングだけは聞きたい」って言っていました。
「何年かあと、ダイナマイト・ジャックとして復活して、最後はジャックのコスチュームのまま、素顔の本庄ゆかりとして引退式はやったよ」

――昭和63年に突然、獄門党の覆面トリオ、ザ・ダイナマイトの一員として、3年ぶりにカムバックするんですよね。しかもジャックの中身を引き継いでの緊急登用でした。
「だから私は結構ね、馬車馬の如く、いいように使われていたんだと思う。ジャックになったときは、ダンプも大森も千種も引退していない。私はレフェリーとして残っていて、売店にもいるじゃん。そうしたら「1人足りねえな。1人足りねえな」みたいな話になって。「あ。いた!」って言われて、「なに?なに?」って言ったら「おまえ、ちょっと試合やれ」って言われて。「早く!早く! 今日のメインに出て」って言われたの。「なに? レフェリーで?」って聞いたら「違うよ、試合だよ」って言われて。「エーーーーッ」って言って。控室でコスチューム着て、そこから復帰しちゃったの。で、テレビマッチで立野記代だったかに覆面はぎ取られて。「これからはレフェリーに戻って」って言われたけれど、「私もうイヤだ。もう辞める」って言ったの。高石市の大阪府立臨海スポーツセンター。テレビ撮りはなかったけれど、ライオネス飛鳥と5分間の引退試合をして、引退式をやって、その日に東京に帰ってきた、「じゃあね」って。飛鳥がなにかの取材で東京に帰らなきゃいけなかったから、2人で帰ってきたの」

――COMBOのファンの人には衝撃的な内容ばかりだったかもしれませんね。では逆に、いい思い出は?
「えーっ? いい思い出とかはないな。私、若手時代の途中から認められた部分はあるじゃん。飛鳥と全日本選手権懸けて、何回か試合してるし。でも、タイトル戦はすごくイヤだったな」

――ユウさんは相手を押さえ込むことには、長けていましたからね。新人王トーナメントでも3位でしたし。若手同士のタイトル戦に抜擢されてもおかしくはない。若手の頃は重宝されていたというか、そういうところで使われていましたよね。
「そうだね」

――で、クラッシュと極悪が抗争していた頃になると、ダンプが弱いところを見せると、抗争が成り立たないわけですよ。だから受け身がうまくて人のいいユウさんが、クラッシュの攻撃を一身に受けて、試合を成立させていた部分はありましたよね。攻撃を吸収していくスポンジ役みたいな感じ。そういうことができる選手だったから、カード編成するときに、使い勝手のいいヒールだったんですよ。
「ね。(ベビーフェイスの技をキッチリと)受けられたからだよね」

――ドロップキックとか、いっぱい受けて、後ろに受け身取っていましたよね。
「なんでもイヤだって言ったことがなかったのよ。でもね、なにを隠そう、ジャガー横田さんのWWWAの世界シングルに、同期の中で一番最初に挑戦したのは私なんだよ。マスクド・ユウとしてね。外国人選手が挑戦するはずだったんだけど、その選手があまりにも出来なすぎて、急きょ私にね。当時じゃ全然、ジャガーさんには歯が立たなかったけどさ」

――記憶に残る、いい試合というのは、当時ありましたか?
「ないねえ。ほかの全女の選手は、あるのかな?」

――少しは全女時代の、いい話をしましょうよ。
「世界タッグを獲ったときは嬉しかったって言えばいいか(笑)。やっと獲れたって。でも、それだって、ベルトを巻いて帰ってきて、次に巻いて(防衛戦に)出て行って、それで終わりだからね。クラッシュとは何回、対戦したことか。クラッシュとやる前、ジャンボ堀と大森ゆかりのダイナマイト・ギャルズがチャンピオンのときも、クレーン・ユウとダンプで挑戦してるんだよね」

――昭和59年ですね。大型の4人による世界タッグ選手権でした。新人の頃は、同期の中で上位にいたユウさんだけど、結局、トップ選手として輝かしい活躍をしていたのは、極悪同盟での約1年間。タイトルという大きな実績勲章は、クラッシュから獲った1度しか残せませんでした。だから、あの試合は名勝負だったとか、ユウと言えばあの大一番、っていう試合はないんですよね。
「ない。全女にいて良かったのは、巡業で日本全国、行けたことぐらいだね。バスに乗れば、どこにでも連れて行ってもらえる」

――自分では決められない巡業先へ、ですけれどね。まあ、それでも勲章と言えば、ダンプのパートナーとして極悪同盟でクラッシュと対峙していたことですか。極悪同盟の一員として、今でも名前を憶えてくれている人がいて、極悪の名前で、いまだに興行があったりもするわけですから。
「そうだね。ありがたいですよ」

――来たる9月25日の還暦記念大会ではユウさんはメイン(第6試合)で、セコンドにブル中野をつけてダンプ松本・ZAPと組んで、6人タッグマッチでジャガー横田・井上京子・伊藤薫と対戦します。
「本当は2年前の令和2年(2020年)が、昭和55年(1980年)に入門してデビューして、ちょうど40年たっていたわけ。でもコロナとかで大会は無理だった。本当は私の中では、40周年記念興行をやって、還暦を迎える42周年の今年、「はい。私は今日でおしまいです!」にしたかったの。「60歳だから、皆さんのご迷惑になるのもどうかと思うので、そろそろね」って。だけどFACEって1年前しか予約が取れないから、去年の9月に電話を入れたら「あいてますよ」って言われて、「じゃあ、お願いします!」っていうところから始まったの」

――ではまだ、「今日でお別れ」……っていう感じじゃないんですね?
「もうちょっと頑張ります」

――ユウさんは先輩のジャガー横田に、一度も勝ったことがありませんよね。
「あるわけないじゃない!」

――ならば今度、60歳目前にして勝つ!と宣言しちゃいましょう。61歳のジャガーさんだってさすがに、いまは絶対王者の立場じゃない。メインのカードは、ダンプというパートナー得たユウさんにとって、相手にジャガーさんがいることが、今回は重大ですね。
「ジャガー横田を倒してやろうと思って。1回ぐらいギャフンと言わせてやろうかなと。ギャフンと言わされるのは私だと思ってるんだろ」

――いわばジャガーさんは対戦相手として、この大会のメインへの“招待選手”なわけですからね。ここでジャガーさんに勝ってこそ、ユウさんにとっては意味が深くなるというものです。
「私、昔さ、新人の頃とかさ、だいたいジャガーさんとかミミ萩原さんとかには、回転エビ固めで負けていたの。当時は大会の中盤以降の後半戦は、デイリースポーツに必ず試合結果が乗っていたんだけど、ジャガーさんやミミさんと当たるときは後半戦だったから、ウチの父親から「おまえ、相手がジャガー横田やミミ萩原のときは、いつも回転エビ固めで負けてるな」って言われたんだよね。だから今回は、回転エビ固めでは負けない。4月の両国『押忍PREMIUM』でも、タッグマッチでジャガーさんに、回転エビ固めでやられたんだよ」

――ならば逆に、回転エビ固めで仕留める気迫で。『出るか!?クレーン・ユウの回転エビ固め!?』みたいな。
「もう回転エビ固めじゃあ負けないよ! 毎日ブリッジしてるんだ、今」

――ほかのカードもユウさんがプラニングした?
「そう。第1試合ではね、今のCOMBOには、クレーン・ユウのほかにベビーフェイスのクリーン・ユウっていうのがいてね。クレーン・ユウの手下のサンダーG&怪人エル ・ポーデ・ヌーと、クリーン・ユウの仲間のマッハ井原&蔦神ピヨ太郎が対戦することになった。クレーン・ユウの手下どもがね、ダメなんだこれが。肝心なところでミスの連発。あきれてるんだよ。だから私はヒールのボスだったのに、ベビーフェイス側に肩入れするようになったんだ」

――オープニングマッチの対戦カードの意味は、わかりました。闘うクリーン・ユウのミニスカート姿はYouTubeにも出ていますから、ぜひご覧ください(^◇^) 第2試合では旧姓・広田さくらと、ユウさんが対戦しますよね。広田は絶対、ユウさんのコスプレをしてくるだろうなあ。クレーン・ユウで来るか、ダイナマイト・ジャックで来るか。
「広田とは付き合いはないんだけど、ボンズ(レフェリーのトミー)から推薦を受けて、所属のWAVEに連絡して、参加が決まったんだ」

――この第2試合は興行全体から見たら、かなり毛色の違う、観客に笑顔が絶えないような試合になるでしょう。こういう役割を務められる広田は、本当に貴重な人材ですよ。しかも根っこの部分には、しっかりした技術がありますからね。必ず相手の選手も光らせることができる。バカバカしいことを真剣にやる広田に、ぜひ注目したいですね。
「ほんろうされないようにするよ(苦笑)」

――第3試合はディアナが提供してくれる対戦カードですね。
「そう。Himiko対デボラK」

――セミファイナル(第4試合)はユウさんが考え抜いた6人タッグマッチ。山本SANが折原昌夫、佐藤将太と組み、浦野裕太・長井満也・竹田光珠と対戦します。これは不穏なカードですねえ。
「普段は山本SANと折原選手は敵対しているのに、組ませたの。私の推薦だから、このカードが実現するんだよね。COMBOでは組めないカードを、私の解釈で「面白いだろ。組んでやったから、やってみな」って感じ」

――山本SANは「まさか、こんな奴と組むとは。試合は成り立つのか!」って、SNSでは発信しています。普段のCOMBOの大会では見られない、イレギュラーなカード。イレギュラーな展開になるのは、間違いなさそうですね。ヤバいところをつくなあ、ユウさんは。
「山本SANと佐藤と浦野が正規軍。その浦野が、長井満也選手をリーダーとしたスポンサーズと組むのも、ありえないこと。普通のCOMBOならね。666の竹田光珠もスポンザーズの一員で、私は竹田光珠のお尻が大好きなの。キュッとして小さいの。たるんとしてなくて、大きくないの。プリッとして小っちゃいの」

――COMBOの流れが変わるキッカケになるかもしれないですね。第3試合のあとには、お楽しみの『トークショー~ここでしか聞けない○○○~』があります。
「同期の大森ゆかりと3年後輩のブル中野が、ゲストで決まっている。ほかにも誰か、来てくれるかなあ」

――大森さんとブルさんが来ればもう、話は尽きないでしょう。色々ユウさんのこと、バラすんだろうなあ(笑)。あのなつかしい氏家清春リングアナも来場しますね。
「メインのコールをお願いしてある。私は第1試合でレフェリーもやるし、第2試合に出て、トークショーに出て、メインにも出るんだ。体がもつかな、メインまで」

――大変じゃないですか! ユウさんづくしの大会になりますね。
「トークで色々言われて、メインのときには頭おかしくなっているかもしれないね。暴れてやるかな」

――いわば『クレーン・ユウ祭り』じゃないですか。60歳目前にして“狂い咲き”ですよ!
「咲かせましょうよ。キレイな桜を咲かせましょう、ウバ桜じゃなくて(笑)」

――では、あの頃の全女を見ていた人、COMBOのファンの人に、メッセージを。
「eプラスでチケットを買って、私がジャガー横田からフォールを取るところを見てください!」

――言い切るんですか!? ……心残りがひとつ、ずっとあったんですね。
「もしかしたら勝てるかもしれない。それぐらいの意気込み。目の上のタンコブだったって、でかい口叩いとくよ。で、大会当日、ジャガーさんに怒られるんだよ。「あんた、何言ってるのよ!」って」

――ジャガーさんは中卒で入門しているから昭和52年デビューなので、ユウさんより3年先輩。年齢的には、学年がジャガーさんがひとつ上ですね。昭和55年組にとっては、いつもジャガーさんという高い壁があった。
「怖かったですよ…」

――あの頃のジャガーさんは、いつも目がキリキリしていましたもんね。
「いい人なんだよ。ただ55年組は体格がいい選手がいたから。たぶんイヤだったんじゃないかな?すごく」

――でも“私は負けない”っていうオーラは、すごかったですよね。
「すごいよね。全身からにじみ出てるじゃん」

――56年2月にジャガー横田は、横浜文化体育館でジャッキー佐藤のWWWA世界選手権に挑戦して、勝ちました。もがくジャッキーさんを、上からガッチリ押さえ込んで、スリーカウントを奪ったんですよね。その3カ月後にジャッキー佐藤は引退しました。そんな激動の時代を生きたユウさん。頑張ってジャガーさんにリベンジして下さい。
「目指せ!回転エビ固め返し! だね」

聞き手:安西伸一(フリーライター)

<クレーン・ユウ プロフィール>
昭和62年10月31日、東京都北区出身。本名は本庄ゆかり。173センチ、100キロ(全女時代)。昭和55年春、高校を1年で中退し、全日本女子プロレスに入門。本庄ユカリでデビュー。同年の新人王トーナメントでは3位。マスクド・ユウとして同期の中では一番最初に、ジャガー横田の持つWWWA世界シングル選手権に挑戦した。昭和60年2月、極悪メイクのクレーン・ユウとして大田区体育館で、クラッシュ・ギャルズからダンプ松本とWWWA世界タッグ王座獲得。次が無効試合。4月に引退。その後、会社都合で覆面トリオの一員、ダイナマイト・ジャックとして復帰。昭和64年4月、大阪で、コスチュームはダイナマイト・ジャックのまま、素顔でライオネス飛鳥と引退試合をおこなった。現在はCOMBOに、正統派のクリーン・ユウとしてレギュラー参戦。

【対戦カード・出演者】
▼メインイベント《全日本女子プロレスリング極悪同盟LEGENDマッチ》6メンタッグマッチ60分1本勝負
クレーン・ユウ&ダンプ松本&ZAP with ブル中野
vs
ジャガー横田&井上京子&伊藤薫

▼セミファイナル《クレーン・ユウ推薦COMBO提供試合》6メンタッグマッチ 42分1本勝負
山本SAN&折原昌夫&佐藤将太
VS
浦野裕太&長井満也&竹田光珠

▼トークショウ 《ここでしきゃ聞けない◯◯◯》
大森ゆかり、ブル中野、その他

▼第三試合《ディアナ提供マッチ》30分1本勝負
Himiko
vs
デボラK

▼第二試合《大先輩指名試合》30分1本勝負
クレーン・ユウ
vs
旧姓・広田さくら

▼第一試合《クレーンユウ&クリーンユウ手下達の対決!》30分1本勝負
[AGGREGATION]マッハ井原&蔦神ぴよ太郎
vs
[極黒惨]サンダーG&怪人エル ・ポーデ・ヌー

■全日本女子プロレス :氏家清春リングアナウンサー
■全日本女子プロレス :レフリー トミー
■全日本女子プロレス :レフリー 本庄ゆかり
■リングアナウンサー :Deva Yucky
■レフリー :Wooo岩井
■特別リングコール :寺尾新
■実況解説:ARAKAWA GM

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