FMW-E旗揚げ第2戦、大仁田厚が師匠の魂が憑依したミスター・ポーゴにイス爆破で屈辱のフォール負け!“2代目ミスター・ポーゴ” 保坂秀樹さんを偲ぶ献花台も設置

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 FMW-E旗揚げ第2戦「BURN OUT」が8月15日、大阪・花博記念公園鶴見緑地特設会場で開催され、大仁田厚が師匠の魂が乗り移ったミスター・ポーゴにイス爆破で、屈辱のフォール負けを喫した。

 1991年5月、同じ大阪の地で、史上初の地雷爆破デスマッチが行われ、大仁田が宿敵のミスター・ポーゴさん(先代=故人)を破った。あれから30年の月日を経て、ポーゴさんの愛弟子だったシャドウWXに師匠の魂が降臨。WXはFMW-E旗揚げ戦(7月4日、鶴見爆破アリーナ=鶴見青果市場)で、メインイベント終了後に乱入し、ビッグファイアーを大仁田に見舞って宣戦布告した。

 怒りの大仁田は8・15大阪でWXとの対戦を決め、岡田剛史、HASEGAWAとトリオを結成。WXはこの試合から、師のリングネームであるミスター・ポーゴを名乗り、青柳政司、木高イサミ(withデビル・マジシャン)と組み、「有刺鉄線電流爆破&電流爆破バット&電流爆破テーブル&バリケードマット地雷爆破ボード火薬3倍~地獄のデスマッチin大阪」で激突。さらに大会当日、大仁田の希望で、電流爆破イスがアイテムとして追加された。

 試合開始からの5分間は大仁田とポーゴのシングルマッチという変則ルールで開戦。ポーゴは早々に火炎噴射を見舞ったが、大仁田がイスを使ってなんとか回避。ポーゴがヘッドロックにいくと、そのまま有刺鉄線が張られたロープに両者がなだれ込む形で大仁田が被爆。これに触発され、両軍のほかの4選手が入って、5分を待たずして6人タッグ戦に突入。

 大仁田は木高を爆破テーブル上でパイルドライバーを決め大爆発。その後、次々に爆破が続いた。大仁田とポーゴはエプロンでやり合うと、ほぼ同時に地雷に転落し、けたたましい爆音とともに、すさまじい大爆破が起きた。両者がなんとかリングに生還すると、木高が爆破バットで大仁田を一撃するも、大仁田はカウント2で返した。続けて、木高は大仁田を有刺鉄線に振って立て続けに被爆するが、大仁田はそれでもフォールを許さず。だが、大ダメージを負った大仁田を木高が羽交い締めにして、ポーゴが爆破イスで脳天を叩くと、さすがの大仁田も返すことができず、屈辱の3カウントを聞いた(13分6秒、体固め)。

 まさかの敗北を喫した大仁田は「僕も人間です。最後に言わせてください。俺たちは一生懸命やってます。一生懸命生きてます。俺はFMW-Eを絶対に潰さん!」と絶叫。

 バックステージに戻った大仁田は「3カウント取られたんだから惨敗だよ。ポーゴが憑依した感じで。ポーゴの遺志を継いだシャドウが、ポーゴからエネルギーをもらった感じだった」と唇を噛んだ。

 ポーゴは「ミスター・ポーゴを名乗って、今日30年前の師匠のリベンジを果たせたなと思います」と満足げに語った。


 また、大仁田厚の愛弟子で8月2日にがんのため逝去した“2代目ミスター・ポーゴ”保坂秀樹さんを偲ぶために、8月15日の大阪大会では献花台が設置され、多くのファンが花などを手向けていた。

 また、同大会の第3試合終了後、大仁田と元FMWのRIE(中村理恵)さんがリングに上がり、出場全選手がリングサイドに集まって追悼セレモニーが行われ、保坂さんに10カウントゴングが捧げられた。

 大仁田は「保坂は弟のような存在でした。最後までついてきてくれた男です。FMWを離れるとき、保坂とマンモス佐々木は泣いてくれて、『一緒についていきます』と言ってくれました。だけど、彼らの人生が開かれるように、僕は一人で新日本に殴り込みました。巡り合わせはふしぎなもので、運命は僕と保坂をくっつけてくれました。保坂がいてくれたから、僕は今もこのリングに立ってるんだと思います。保坂ありがとう。そして、ここに集まってくれた皆さんに御礼申し上げます。ありがとうございます」とあいさつした。

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