全女から始まりスターダムへ。女子プロレス敗者髪切り列伝

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(文/フリーライター安西伸一)

スターダムのひな祭り決戦、3月3日の日本武道館大会が終わった。

メインの敗者髪切りマッチでは、中野たむがジュリアを下し、ジュリアがリング上で断髪の儀式。ここに至るまで、両者のカベジェラ・コントラ・カベジェラ(髪VS.髪)には、必ずしもファンから期待する声ばかりあがっていたわけではなかったが、当日の武道館の客入りには勢いがあった。

平日の午後5時開始という特殊な条件下。それでも開始の時刻には、用意されていたソーシャルディスタンスが考慮された客席は、かなりの数の観客で埋まっていた。ファンのイベントへの期待度を感じた瞬間だ。

武道館に向かう会場手前でのこと。一人の男性が「やっぱり女性がリングで髪を切るっていうのはね、特別な事でしょ」と連れの男性に話しかけながら、足早に坂道を登っていった。否定の声もある中で、それでもやはり会場で見届けなくては! という特別な思いにかられる人がいるのもまた、女子の髪の毛マッチならではだ。

女子プロレスで初めて髪切りマッチが行なわれたのは1982年(昭和57年)5月7日の全日本女子プロレス、神奈川・川崎市体育館大会。ビューティー・ペアが去り、熱狂的な少女ファンが去った会場で、ジャガー横田がWWWA世界シングル王座を懸け、メキシコのラ・ギャラクティカと対戦した試合だ。

ジャッキー佐藤から奪った赤いベルトを懸けることに加えて、ジャガーが負けたら髪を切り、ギャラクティカが負けたら覆面を脱いで髪を切る条件。時間無制限1本勝負。場外カウント20をオーバーした場合は選手をリング内に戻し、反則カウントファイブを超えた場合は両者を分けて再開、反則による決着はつけない特別ルールだった。

試合途中の場外乱闘では、ギャラクティカとセコンドについたモンスター・リッパーが、ハサミでジャガーの髪を切る暴挙。反撃に転じたジャガーはハサミを奪い、ギャラクティカのマスクを切り裂きにかかった。でも最終的にはギャラクティカとリッパーの波状攻撃を受け、押さえ込まれたのはジャガー。

男性客で埋まった満員の観衆は、リッパーが再三にわたって介入しての結末に騒然。納得いかないジャガーだったが、いさぎよくリング中央に置かれた椅子に座ると、ギャラクティカにハサミでバサバサとショートカットに髪を切られた。その後、ジャガーは控室で丸刈りにし、記者会見に臨んでいる。

でも、それからひと月後の6月1日。埼玉・大宮スケートセンターでリターンマッチが行なわれ、ジャガーはジャーマンで王座奪回。2年後の84年9月17日には東京・大田区体育館で、ギャラクティカの持つUWA世界女子王座に挑戦し、初公開のジャガー式スープレックス・ホールドで王座奪取。WWWA世界シングルとの2冠に輝いている。

ジャガーは坊主頭になったことで注目される存在となり、その後のビッグマッチでは機敏な動きで実力者ぶりを発揮。不動の王者の地位へ駆け上がって行った。

女子の髪の毛マッチは、敗れた方にこそチャンスが訪れ、失った髪がチャンスをものにしていく原動力になる。その黄金パターンはこの時から、ひな形が作られていたと言えるのかもしれない。

しかし必ずしも、どちらかを業界のトップ選手に押し上げるためだけに、髪切りマッチがあるわけではない。1992年(平成4年)の全日本女子プロレス、8月15日の後楽園大会。豊田真奈美と山田敏代の髪切りマッチは、同期によるベビーフェイス同士の潰し合いになった。

山田が敗れ、髪切りの儀式が始まる前、異様な空気になった会場から「やめろ!」の声が響いた。誰もが山田の断髪を望んでいなかったのだ。お互い、精一杯の好勝負をしたじゃないか! と涙ぐむファンもいた。観客も熱い時代だった。

椅子に座った山田の髪を切らせないよう、豊田は抵抗したが、山田は電動バリカンを頭の上にも入れられ、無残にも虎刈りのようにされた末、丸刈りにされた。

その3カ月後の11月26日、川崎市体育館で女子プロレスの団体対抗戦の火ぶたが切られる。WWWA世界タッグ戦、豊田&山田にJWPのダイナマイト関西&尾崎魔弓が挑戦した試合がそれだが、この試合はその年の全女の年間最高試合賞を獲得している。

このタイトルマッチでの豊田のエゲツない攻撃は、尾崎を限界に追い込むほど苦しめ、記憶に残るハードな試合になったが、精神的に苦しい髪の毛マッチを乗り越えた豊田と山田にとっては、JWP勢に気後れするところは全くなかっただろう。そして時代は、女子プロレス対抗戦時代に突入していった。

70年代はビューティー・ペア人気。80年代はクラッシュ・ギャルズ旋風。90年代は対抗戦ブーム。人気の波はありながらも20世紀後半で熱い時代を経験した女子プロレス。振り返れば当時の髪切りマッチは、シングルマッチでもタッグマッチでも、とにかく場内はただならぬ雰囲気で、騒然としていたように思う。

1985年(昭和60年)8月28日、大阪城ホールのダンプ松本と長与千種の一戦は、ダンプが反則暴走、千種KO負け、千種が髪切り!! という、ファンが最も望まない結末に。会場を満員に埋めた千種推しの女子たちは血相を変えて絶叫していた。

千種は極悪同盟によってリング中央に引きずり出され、椅子に座らせられ押さえつけられ、メキシコ人レフェリーも千種を押さえつけて、ダンプが電気バリカンを入れていく。止めに入るライオネス飛鳥らと極悪同盟がもみ合い、落ち武者のようなザンバラ髪になった千種は、仲間の元に走るとタオルを頭からかぶせられた。

若手の選手たちも泣きだし、館内は“阿鼻叫喚”の世界。それは令和の今では、再現が許されないだろう、まさに“狂乱絵巻”だ。あのインパクトだけは、男のプロレスでは絶対に真似できない。

女性ファン憧れの大人気選手、長与千種が女性の“命”とも言われる“髪”を、理不尽な形で切り刻まれるという、空前絶後の事態を受け、週刊プロレスではこの試合の髪切りのシーンを表紙にした。それは女子プロレスが初めて、週刊プロレスの表紙を飾った号になった。それほどプロレス業界を震撼させた出来事だった。

でも敗れた千種は5厘刈りで髪を整え、翌日からは笑顔を見せて、負けを引きずるような姿は決して見せなかった。これがファンには救いになったのではないか。でも、フジテレビと共にこの試合を中継していた関西テレビは、あまりに内容が残酷だと、以降の放映を打ち切ってしまった。

翌86年11月7日には同会場で髪の毛マッチの再戦が行なわれ、ここで千種はダンプを丸め込み、勝利。敗れたダンプは、1年前に負けた時の千種とは違い、堂々と腕組みをして椅子に座り、リング上で丸刈りにされた。

その夜、ホテル南海に泊まったダンプは、千種の頭が5厘刈りだったのを思い出し、自室に極悪同盟の若手たちを集めると、カミソリで頭を剃らせた。うまく剃れず、頭から血が出たが、かまわずツルツル坊主にした。

ツルツルになって翌日、取材陣の前に姿を見せたダンプ。髪の刈り方でも千種に負けまいとしていた。2人のライバル意識は、こんなところにも垣間見えたものだ。

1991年(平成3年)1月11日、川崎市体育館。ブル中野&井上京子に敗れたのはアジャ・コング&バイソン木村。バリカンを入れられ、涙ぐむパートナーに、アジャがかけた「泣くな! バイソン」という言葉は、日本の女子プロの歴史に残る名ゼリフだ。

勝者のブルたちは、リング上で顔面蒼白と言っていいぐらい神妙な面持ちになり、敗者の儀式を見つめていたのが印象深い。ブルの人の良さが出てしまっていたが、それも女性ならではの優しさ。

当時味わった、女子プロレスラーによる髪切りマッチの、尋常ではない結末の重圧感。それは現場や映像で共有した者にしかわからないかもしれないが……。鉛のように重たい感情の固まりが、立ち会った者たちの心に落とされていた。


そしてスターダム。10周年記念興行の武道館。初対決ではなかったジュリアと中野たむのタイトルマッチに、敗者髪切りという付加価値がつき、チケット販売に勢いがついたことは想像に難くない。

でも相対する両者の間には、顔のはたき合いに象徴されるような殺伐とした感情だけではなく、どこかにサワヤカな風が吹いているようにも感じた。根っこの部分では信頼と感謝がある2人なのだ。全身全霊を懸けたクリーンファイトは、緊張感やギスギスした情念だけではなく、それを超えたものを見せてくれたような気がしてならない。

そして敗者のジュリアがリング上の美容師に「カッコ良くやって」と言ったことが影響したのか、美容師は電動バリカンをエリもと、首のあたりから上に刈るようにキレイに当てていき、虎刈りにもモヒカン刈りにもならず、妙にカッコ良く、頭頂部には髪が残った。

たむが咄嗟にマイクで「ずるいよ。オシャレじゃん」と言い、客席からは温かな笑い声も聞こえたほどだ。

その後の控室でジュリアは、オシャレ坊主のままにせず、さらに刈って丸坊主にし、次回大会には第1試合に出て、出直す意思を表明した。断髪しただけで良しとしなかったジュリアの心意気には、感心した。

また、勝者より敗者に注目が集まりがちの髪の毛マッチで、勝者のたむも、試合後に自分の感情やこれから目指す姿をアピールし、白いベルトを奪ったことを印象づけていた。選手としての発信力、魅力を感じ取ることができた。

この日のスターダム武道館大会は、セコンドの介入もなく、好試合の連続だった。OGも参加したバトルロイヤル。スターダム初の敗者髪切りマッチ。林下詩美の赤いベルトの防衛戦。見事な10周年記念大会だったと言えよう。

……そういえば、あと1試合、昭和に髪切りマッチの“珍試合”があった。それはジャパン女子プロレスでのこと。ジャパン女子は1986年(昭和61年)に旗揚げされた団体だが、後楽園ホールで負け残り式の敗者髪切りバトルロイヤルがおこなわれた。

まだ新人だったダーティー大和が負け残り、髪を切るはずだったのだが、剣舞子らヒール軍団が仲間の大和の髪を切らせるかと、試合後に大和を控室に連れ戻してしまう。観客は大和が髪を切らずに帰ったことに怒り出していた。

不穏な空気を察したリングアナウンサーのヤマモこと山本雅俊さんによると、このあとあわててバックステージに行った山本さんは「このままじゃあ収まらないですよ!!」と上層部に懸命に直訴したと言う。

結局、待機していた美容師が控室で大和の頭にバリカンを入れ、5厘刈りにした。すると坊主頭の黒い髪の中に、染めていた赤と緑の部分が頭の半分に鮮やかに残り、何ともファッショナブルなヘアスタイルになってしまったそうだ。

場内に戻るとマイクで咄嗟に「ダーティー大和が『ぜひお客さんに髪を切った姿を見せたい』と言っております!」とアナウンス。大和は帽子をかぶり、サングラスをしてリングに上がったが、観客は観客で、今さらもういいよ! 怒りは収まったのに…何だその対応は! と、投げやりな雰囲気。

でも大和が吹っ切れたように、いさぎよくパッと帽子を取ると、そのキレイな頭を見て客席はオオッ!!とどよめいたそうだ。そして大和はサッと帽子をかぶり、スタスタとリングを下りて行ったのが、またカッコ良かったとのこと。

このときの大和には、悲壮感は全くなかったという。よほどのマニアでも忘れかけている、女子プロレス史の片隅に残る出来事だった。

オシャレ坊主で観客を手玉にとったダーティー大和。覚悟を決めた女は髪型ひとつで、場の空気を変えられる、ということか。男には及ばない“女の世界”が、そこにはあった。

※日本で行なわれた全ての女子の髪の毛マッチを、ここではフォローしていません。悪しからずご了承下さい。

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