10万人に3人の病に冒された新根室プロレスのサムソン宮本が最初で最後の東京大会で別居5年の妻と和解!「病気に打ち勝ってまた必ず帰ってきます!」

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 13日、東京都・新木場1stRINGにて『新根室プロレス 東京公演』が行われた。

 新根室プロレスとは、北海道根室市で活動する日本最東端のプロレス団体。
 社会人プロレスである当団体ではメンバーは様々な本業を持ち、地元のお祭りなどのイベントで無料興行を行うことを活動の中心としており、「無理しない、怪我しない、明日も仕事」をスローガンに各自が出来ることを最大限に発揮した試合を展開。プロレスを見たことが無いという人や、子どもたちにも楽しめるプロレスを提供している。

 その新根室プロレスの知名度を全国区レベルまで高めたのは、アンドレザ・ジャイアントパンダという選手の存在だ。
 アンドレザ・ジャイアントパンダとは、中国出身のパンダプロレスラー。一般的なパンダに比べて異常に大きく育ってしまう奇病を発症したことで両親に捨てられ、さらに周りのパンダたちからイジメに遭ったことで対熊猫恐怖症となってしまっていたが、2017年に来日してプロレスラーデビューすると瞬く間にスター選手に。その3mの巨体を活かした豪快なファイトスタイルは大きな話題を呼び、現在も各種メディアに引っ張りだこで忙しい日々を送っている。
 新根室プロレスの代表であり、アンドレザのマネージャーも務めていたサムソン宮本は約2年の間アンドレザとともに数多のメディア出演や全国のプロレス会場へ帯同していたが、2017年に5年生存率33%、10年生存率0%の10万人に3人と言われる希少がん、悪性腫瘍(平滑筋肉腫)に冒されており、その後も悪化の一途をたどったことから同団体の年内解散を発表。この日は、悲願であった最初で最後の東京大会に臨んだ。

 この日のメインイベントでは、『生か死か サムソン宮本13番勝負』と銘打たれ、サムソンがシングルマッチ13人がけを実施。
 台風19号の影響で飛行機が欠便となり会場にたどり着けなかった選手もいたものの、グリーンジャンボ鶴田、小鉢建太、週末サンデーライガー、ズラン・ハンセン、佐々木ダンス系、織田武藤、カーネルサンバ、タナハッシー、セクロム、ねね様、ハルク豊満といった新根室プロレスの歴史を彩る様々なキャラクターたちが登場。
 サムソンが最後の1人である豊満との対戦でアックスボンバーを受けてしまい大の字になると、会場が暗転してサムソンの半生を振り返る回想ムービーが流れ始める。

 昭和40年8月25日に根室市で生まれ、柏陵中学校で「昼休みプロレス」を発足・地元・根室高校を卒業後に家業の玩具店を継ぎ、のちの妻となる明美さんと出会う。1986年にサムソンが21歳、明美さんが17歳のときに結婚し、2人の子供に恵まれ家族4人で幸せに暮らしていた。そして2006年、ヤフオクで100万円(+想定外の輸送料20万円)でリングを落札し、2006年9月10日に新根室プロレスを旗揚げ。年に2回ほどの試合で無理せず活動を続けてきたが、サムソンがプロレスにのめり込みすぎた結果、2014年から明美さんと別居し5年が経過。
 アンドレザのデビュー後にはマネージャーとして全国を回り始めたものの、平滑筋肉腫は肺にまで転移し肺の1/3を取る大手術まで行ったという状況を受け、サムソンが「無理しない、怪我しない、明日も仕事」という新根室プロレスのモットーに対し、「今の自分は無理をしているし、病気をしているし、仕事も休まざるを得なくなっている」というジレンマに苦しんでいた内面が語られる。
 そして、この日は夢のまた夢であった東京公演に臨むにあたり、長女の舞さん、次女のりかさん、孫の馳斗ちゃんから応援のメッセージが流され、「サムソン IS NOT DEAD」の文字が映し出される。

 映像が終わると会場からは涙声でのサムソンへの熱い熱い大声援が飛び、サムソンはふらつきながらも自力で立ち上がる。
 豊満がナックルを連打していくが、サムソンは地獄突きで応戦。豊満はハルクアップしてさらにナックルを放っていくが、サムソンも上半身の網タイツを引き裂いてサムソンアップ。「YOU!!」と人差し指を突きつけ、地獄突きの連打からサムソンドライバー。これを豊満がキックアウトするとサムソンはコーナートップに上がり、決死のダイビングクロスボディで3カウント奪った。

 試合を終えたサムソンがマイクを取ると、「今日、やりたいこと全部やりました。本当にありがとうございます。本当にもう次はないです」と晴れやかな笑顔。
 しかし、リングアナのM.C.マーシーが「本当に全部やりました?もっと大切なものを忘れてないですか? ……『つぐない』」と語りかけると、テレサ・テンの『つぐない』が流れ、サムソンの妻である明美さんが登場。花道に立ち、リング内のサムソンとロープという名の壁を隔てて向かい合う。

 サムソンは面食らいながらも「明美、台風の中来てくれたんだね、ありがとう。今まで好きなことばっかり、プロレスとかそんなことばっかやっていろんな迷惑かけて、最後はこんな病気になって申し訳ない。だけど俺は明美のことを忘れたこともなかったし、今でも明美のことが好きだ。俺からこんなことを言うのはホントにできないけどさ」とうつむいてしまう。
 しかし明美さんは「あなた、お疲れ様。かっこよかったよ。また一緒に暮らそう?」と微笑みながら涙声で語りかけ、壁を超えてリングに上がりサムソンと抱擁。


 最後にサムソンは「人は歩みを止めたとき、そして挑戦を諦めたときに老いていくんだと思います。人生一度きり、やりたいことをやれ。カッコ悪くたっていい、バカにされたっていい、いつかきっとみんなわかってくれる。Don't give up、Do your best! 13年間、ホントにありがとうございました!みなさん、いつかこの病気に勝って、ここ新木場に帰ってきます。必ず病気に勝って、必ず戻ってきます! それまでみんな、待ってて下さい!人生生きてりゃ、辛いこと、悲しいこと、いっぱいあるけど、みんな新根室プロレス、アンドレザ・ジャイアントパンダ、そして今日新木場にきた思い出をみんな忘れずに、頑張っていくぞー!無理しない!ケガしない!明日は仕事ーッ!13年間本当にありがとうございました!」と超満員札止めとなった会場で叫んだ。

 試合後、サムソンは「僕たちは受け身もプロレスもそんなに上手じゃないんですけど、僕たちのやるプロレスは、コレしか無いんですよね。こういうことでしか表現できないっていう。それが僕たち、僕のやってるプロレスであり、ホントに自分の生きざまを見せるプロレスが、新根室プロレス。やりたいことを見せる。それを実現させるっていうのが僕たち新根室プロレスの原点なので」と語り、「新根室プロレスっていうのはなくなっちゃうんで、新根室プロレスとしての活動は無いですね。皆さんそれぞれ、ね……残る方もいるかも知れないけど、皆さん普通の仕事にみんな戻ると思います」と寂しそうにコメント。

 そして、隣に寄り添っていた相棒のアンドレザへ「アンドレザは、僕はホントに絶望の中から希望を与えてくれました。アンドレザと全国を回っているときには病気のことを忘れさせてくれました。本当にアンドレザは偉大だと思います」と微笑みながら語りかけた。

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