故ダイナマイト・キッドさんの甥であるデイビーボーイ・スミスJr.が天に捧げるダイビング・ヘッドバッド!「最期に病院で会ったのは僕だった」

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 15日、東京都・後楽園ホールにてリアルジャパンプロレス『初代タイガーマスク 佐山サトル ストロングスタイルプロレス~“爆弾小僧”ダイナマイト・キッド追悼興行~』が行われ、キッドさんの親族であるデイビーボーイ・スミスJr.がダイビング・ヘッドバッドで勝利を挙げた。

 故ダイナマイト・キッドさんと故デイビーボーイ・スミスさんは従兄弟タッグとして新日本プロレス、全日本プロレスで活躍。後にWWFに活動の場を移し世界中でその名を轟かせた。
 そのスミスさんの息子であるスミスJr.は父の影響で幼い頃より日本のプロレスに慣れ親しみ、アメリカでは1994年にデビューしWWEなどで活躍。2005年からは新日本プロレスに参戦しており、現在は鈴木軍の一員として新日本マットでヒールレスラーとして暴れ回っている。

 この日、メインイベントのダイナマイト・キッド追悼試合ではスーパー・タイガー&デイビーボーイ・スミスJr.vs船木誠勝&KENSOのタッグマッチが行われた。
 スミスJr.は新日本マットで見せる荒々しいファイトとは打って変わったような堅実かつ流麗なグラウンドレスリングで船木と対等以上に渡り合い、腰紐を使ったラフファイトを行うKENSOにはラリアットなどのパワーファイトで応戦。スーパー・タイガーとの息の合った連携技も決めていき正統派としての実力を惜しみなく見せつける。。
 そして終盤、高速ブレーンバスター、バックドロップ、ツームストンパイルドライバーと畳み掛け、最後は伝家の宝刀であるダイビング・ヘッドバッドでKENSOを沈めた。

 試合後、マイクを取ったスミスJr.は「皆さんご存知の通りダイナマイト・キッドと僕は親戚で近い仲でした。実はキッドと最期に病院で会ったのも僕だった。その時に『トミー、イギリスから出るとしたらどこに行きたい?』と聞いたら『日本に戻りたい』と言っていました。ダイナマイト・キッドはもういないかもしれませんけど、ここ後楽園ホールで彼の気配を感じます。今このリングにいると思います。ダイナマイト・キッドはいつでも僕の心の中に生きています。それを証明したい。良い対戦相手をぶつけてください。船木選手のような選手を。これからダイナマイト・キッドのスピリッツをお見せします。ドウモアリガトウゴザイマス!サンキューベリーマッチ!」と挨拶すると観衆は大歓声を贈った。

 バックステージに戻ったスミスは、「人間というものは、どうしても歳をとるものだ。それは仕方のないことだが、歳とともにどんどん強くなっていくものもあるんだ。船木選手も今年50歳だが、彼は素晴らしいお手本だ。自分もダイナマイト・キッドの魂とともに歳を重ねてどんどん強くなっていく選手でありたいと思っている。ファンもそういうものを望んでいると思うんだ。しっかりとしたバックボーンのあるストロングスタイルの試合が見たいんじゃないか。コメディのようなふざけた試合ではなく、本当の試合を見たいと思うんだ。そういう面白おかしい試合はDDTとか、よそでやればいいじゃないか」と熱い想いを語る。

 そして、フィニッシュのダイビング・ヘッドバッドについて聞かれると「狙っていたわけではないけど、チャンスが有れば使おうと思っていたんだ。そしてそのチャンスが訪れたということは、今日キッドが自分と一緒に居たからだと思っているよ。向こうのことわざで、『素晴らしいものは永遠に続いていく』という意味のものがあるんだけど、ダイナマイト・キッドと初代タイガーマスクがやった試合というのは、何年、何十年経っても皆が語っている試合だ。自分もそういう試合をやっていきたいと思う」と穏やかな笑みを浮かべながら語った。

 そして、最後にキッドさんと会ったときのことを聞かれると、「去年の5月頃になるかな。ただ、その頃には普通の病棟じゃなくてホスピスにいたんだ。最後に会ったとき、『これが最後になるんだ』という直感があってとても悲しい気持ちになった。そのときに彼と一緒に写真を撮ったんだけど、それはまだ誰にも見せていない。これは自分だけのためだけに取っておきたいんだ」とさみしげに語り会場を後にした。

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