【全文掲載】「チャンスを掴むために必死でマスクを破いた」「佐山さんと出会ってなかったら運送屋になってた」病魔と闘う初代タイガーマスクのために小林邦昭&山崎一夫が爆笑トークショー!

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 30日、東京都・新宿FACEにて『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスSPECIAL(Vol.26)【THE ONE AND ONLY SAYAMA TIGER】』が開催。小林邦昭と山崎一夫が初代タイガーマスクを語り尽くすトークショーを行った。

 今大会は、復帰を目指して病と闘う初代タイガーマスクこと佐山サトルを元気付けることをテーマに行われる大会。
 ダンプ松本、ZAP、高橋奈七永が初参戦する他、レジェンド王者の間下隼人と関根“シュレック”秀樹の前哨戦、初代タイガーのために藤波辰爾も駆けつけて船木誠勝と約8年ぶりに対戦することになるなど熱いカードが揃った。

 そんな中、今大会では小林邦昭と山崎一夫のトークショーが実施。
 小林は“虎ハンター”の異名を取った初代タイガーの最高のライバルにして盟友。山崎は初代タイガーの付き人として出会い、その後も40年プロレス人生をともにしている愛弟子。双方ともに多くを語るまでもない初代タイガーに深い縁ある2人だ。

 このトークショーでは、数々のプロレス著書を手掛ける流智美さんが司会進行を担当。オールドファンにはたまらない3人がリング上で軽快なトークを展開した。


――今日は佐山先生、初代タイガーマスクさんの最大のライバルでありました小林邦昭さんと最高の愛弟子・最高の付き人であられました青年将校・山崎一夫さんを迎えましてのトークショーです
山崎「よろしくお願いします。あのー、最初に1つだけいいですか?最高も最低も、初代タイガーマスクの付き人は僕1人なんで。“最高の”でも“最低の”でもどっちでも大丈夫です(笑)」

――山崎さんが付き人をやられてから40年近く経つんですね
山崎「もう40年ですか……。ジジイになりますね(笑)」

――小林さんがタイガーマスクの覆面を引きちぎってから41年ですから
小林「すっかりジジイになりました」

――あのときに引きちぎった覆面はもう300万円以上の値段がついていると言います
小林「400万近いでしょう?拾って取っときゃよかったよ(笑)」


――小林さんは盛んに「惜しいことをした」と言っておられましたね(笑)
山崎「僕もそうですよ。破られても、戻ってきたら必ず佐山さんにお返ししてたんですけど、そのままゴミ箱行ったのが何枚かあるはずなんで。今のこの状態がわかってれば、ちょっと闘道館行って、破いたのと佐山さんと一緒に写真撮って売っちゃえば良かったね(笑)」

――改めて、お二方は新日本プロレスの先輩・後輩という関係ですが、現役のときに交わったのでしょうか?
山崎「最初からお話しますと、僕がまだ中学3年生のときに、実は道場に見学に行ったことがあるんですけど、まだ関係者以外立入禁止という立て札がありまして、入れなかったんですよ。けど、そのとき恐らく寮長だった小林さんに会って。だから、実は僕が生まれて初めて会ったプロレスラーが小林さんなんですよ。その小林さんに、ちょっと面白がられたんですよ。『ベンチプレス上げてみるか?』って道場に上げてくれたんです。優しかったんで。そのベンチプレスが60kgのやつが3回くらいしか上がらなくて。『そんなんじゃダメだぁ~(笑)』って。『もっと鍛え直してこい』っていって。僕は高校で一生懸命身体を作って、卒業と同時に入門テスト、山本小鉄さんにやっていただいて入門したんです。とにかく最初に会ったのが小林さんっていうのはすごく強烈な印象だったんです

――このエピソードを小林さんは覚えていますか?
小林「よく覚えてますよ」

――小林さんは昭和55年からメキシコ遠征へ。山崎さんが昭和56年に新日本プロレスに入門です。お2人の初遭遇は、小林さんが帰国した昭和57年のマスク破り事件からです。そのときに山崎さん初代タイガーの付き人だったんですね
山崎「僕が入門したときに小林さんはメキシコにいて、すれ違いだったんですね。帰ってきて僕が佐山さんのセコンドに付いてたら、(小林さんが)逆のコーナーにいまして。なにをするのかなと思ったら、マスクを破いて……。僕は、マスクをまさか破られると思ってないんで、予備を持ってないです」

――それは、普通は持ってるものなんですか?
山崎「持ってないですよぉ。それで、控室に飛んで帰って、マスクを取りに行って。『山ちゃん早く!山ちゃん早く!』ってお客さんの声があったり。破られて、大変今思うと申し訳なかったのが、汗をかいたTシャツを佐山さんに被せたっていう……。ちょっと臭うんじゃないかなって(笑)今思うと大変申し訳無いことをしたと」

――でも、やむを得ないですよね。顔を隠さないといけないですから
山崎「とにかく最初は正体不明で日本語を喋らなかったので。当時は大変でした。宿泊するホテルも、他の付き人にはないことをしなくちゃいけなくて。まず起きたらホテルのロビーに行って、カメラを持った小僧がいないかどうか確認して。いるんですよ、必ず2~3人。早朝から張り込んでる子供がいるんですね。それで僕が佐山さんの部屋に行くと、気分良くヘアセットをしてるわけですよ。『すみません、今日もカメラ持ってる子供がいるので、マスクを被ってバスに乗っていただけないでしょうか』って。そう言うと佐山さんも『しょうがないね』って被って」

――素顔でホテルの外に出るということは当時は無かったんですね
山崎「無かったですね。当時は」

――小林さんはそんな大事な覆面を千切ってしまったという(笑)それでも、佐山さんと小林さんは同じ時期にメキシコ遠征に行っていたんですよね
小林「56~7年くらいかな?」

――メキシコ巡業も一緒の盟友だった佐山サトルを相手に一発勝負かけようという心意気でしたよね
小林「あの頃の自分自身は必死だったからね。『これはチャンスを掴まないともうダメだな』と。だから、大阪で覆面を手にかけて破こうと必死だったんです」

――あの覆面剥ぎからワールドプロレスリングの視聴率が連続25%という記録がありました
山崎「プロレスっていうのは1人で出来ることじゃないので。やっぱり、ライバルがいていい試合になるわけですよね」

――この頃は、藤波さんと長州さんがやり合っていた時期で、「藤波長州」「小林タイガー」という2本柱で黄金期を迎えていました
小林「そうですね。色んなことが重なって逆に視聴率も取れてよかったですよね」

――タイガーマスクの3大ライバルと言われたダイナマイト・キッドさん、ブラックタイガーさんは残念ながら亡くなってしまいましたので、小林いつまでも伝説を語り継いで欲しいですね
小林「祈るしか無いね(笑)」

――山崎さんはタイガーマスクの引退後も佐山さんと途切れなく関係があったんですよね
山崎「実は佐山さんが先に新日本プロレスを辞められて、僕は全然違う理由で勝手に夜逃げのようにいなくなっちゃったんです。ただ、住んでるところが近かったので、佐山さんと道端でバッタリ会って(笑)本当に運命と言うかご縁というか。『山ちゃん元気~?』って話しかけてもらって」

――それはどこでお会いしたんですか?
山崎「用賀です。用賀に住んでたんで。家を出てすぐのとこですね。『実は新日本プロレスを辞めようと思ってまして』って。新日本プロレスがゴチャゴチャしてたんですよ。『このままやっててもな』と思って辞めちゃって。『もしよかったらタイガージム来ない?』って声をかけていただいたので、佐山さんのそばにいることが出来て。それで、佐山さんが『UWF無限大記念日』という、旧UWFの試合で呼ばれて、僕もおまけで付いていったような感じで。佐山さんの側にいなかったら、その後のプロレスラー・山崎一夫はいないんです。佐山さんの側にいたからまたリングに上がることが出来た。あの出会いがなかったら、もう、僕は多分運送屋さんかなんかになってた。すごいご縁だなあと思いますね」


――小林さんはタイガーマスクの引退後にはお会いになっていたんですか?
小林「何年か会わなかったね。それで、佐山選手がUを離れた後にちょっと会ったくらいですね。」

――そうですよね。駒沢のシューティングで試合をするという
小林「気楽な考えでね。ストレートでやられちゃってね、キックで。失神しちゃいましたよ(笑)」

――小林さんは佐山さんの3年先輩で、45年くらい前には道場で毎日一緒に練習をされていました。印象に残っている佐山さんの練習のエピソードはありますか?
小林「道場から『小林さん、ちょっと走ってきます』つって、246(国道)通って渋谷の駅をターンして道場に帰ってきた。恐らく往復20kmくらい。それをしょっちゅうですね。それくらい走ってた。すごいですよ。僕には出来ないことだ」

――佐山さんは道場ではどういう練習をされていたんでしょうか
小林「ロープのぼりね、10回くらい平気ですよね。足を使わないで。登って降りて、登って降りて」
山崎「多分、4~5メートルあると思います」

――山崎さんは出来たんですか?
山崎「やりましたけど、そんなに一気に回数は出来ないです」
小林「せいぜい3回」

――とにかく運動神経では他の選手の追随を許さなかったと
小林「(何度もうなずく)」

――私、数えてきたんですけど、小林さんと佐山さんは新日本プロレスの前座時代に67回闘ってるんですね。同じ若手同士がこの回数闘っているというのはダントツ日本一の記録だと思います。小林さんの方が先輩だから勝ち越しているんですけども、新日本プロレスの東スポ賞っていう懸賞金はいつも小林さんと佐山さんがいただいていた記憶がございます
小林「(うなずく)」

――お時間も迫っておりますので、最後に極めつけの佐山さんのいい話をお願いします
山崎「サイン会も巡業中にやって、一日置きくらいにあってすごく多かったんです。僕はたまたま坂口さん(坂口征二)に『お前タイガーの付き人つけぇ~』(※激ウマなモノマネで)って(笑)それで付いてから、僕とケロちゃん(田中ケロ)と佐山さんの3人でよくサイン会に行って、300枚とか500枚とか書かれるわけですよね。それで、『今日もありがとう』って、僕とケロちゃんは必ずサイン会のあと1万円ですよ。『山ちゃん、これでシャンプー買っといて』って1万円。『これ洗濯しといて』で1万円。僕は1万円以外佐山さんから受け取ったこと無いです。それで『シャンプー買ったんで』って必ずお釣りを持っていくんですけど、『いいよいいよ』って。受け取ったこと無い」

――受け取る先輩もいるんですか?
山崎「あのー……僕が聞いた話ですけど、坂口さんと、橋本真也選手(苦笑)タクシーに乗って会場に着きました。で、1,970円くらい。坂口さんが2,000円出して、橋本に『払っとけ』と。で、30円のお釣り。『30円だから世界の荒鷲は受け取らないだろぉ~』って控室行ったら、『おい30円どうしたぁ~?』(※激ウマなモノマネで)って(笑)キッチリされてる副社長!(笑)」

(※ここで時間切れを告げるゴングが鳴る)

山崎「あっ、ちょっと長かったですね、すみません(笑)」

――最後に小林さん、メッセージをお願いします
小林「まあこれからもプロレス界をバックアップして頑張っていくので、みなさんもお願い致します」


 トークショーは大盛りあがりの内に終わり、2人はその後に初代タイガーに花束を贈呈。
 初代タイガーは「今日2人は変なこと喋ってなかったでしょうね?小林さん、今からトークショーやる?(笑)」と軽快なタイガージョークで会場の笑いを誘った。

 リングを降りてから2人との対面について問われた初代タイガーは、小林との対面については「ものすごい思い入れが深いですね。走馬灯のように思い出します」としみじみ。
 山崎に対しては「唯一の付き人でした。すごく才能のある子でしたね。最高のお土産を持ってきてくれて、本当にありがとうございます」と柔和な笑みを見せた。

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