14年振りにPANCRASEに参戦するミノワマンが公開練習!自らの変化とPANCRASEへの想いを語る!

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 都内新宿区のパンクラス事務所にて、ミノワマン(フリー)が公開練習をおこなった。
 ミノワマンは「PANCRASE 288」(7月2日、ディファ有明)で近藤有己(パンクラスイズム横浜)と対戦する。
 「地球上どこでも練習場所です」という言葉そのままに、パンクラスの入っているビルの廊下や階段を使い、スクワットや腕立て伏せ、階段昇降などを見せた。

 ミノワマンは、1996年にパンクラス入門テストを受けるも不合格。別のジムから1997年パンクラスに参戦、プロデビューした。その後パンクラスに移籍、1999年ネオブラッド・トーナメントを全て1本勝ちで優勝を果たす。
 しかし、2003年にパンクラスを退団。PRIDE、DREAM、ROAD FC、IGFなどで活躍している。
 パンクラスには14年ぶりの参戦。しかも、相手はかつての先輩である近藤有己だ。近藤とは1997年8月に一度だけ対戦しており、その時は近藤がアンクルホールドで勝っている。なんと20年ぶりの再戦は、どんな試合になるのか。

——今はどこでどんな練習をされていますか。
「今の自分の練習場所は、地球上全部です。練習は何でもやります。今日はスクワットや腕立て伏せなど基本的なものをお見せしましたけど、立っているだけでもトレーニングなんです。姿勢だったり、心だったり。移動時間も練習になります。今は起きてから寝るまで24時間トレーニングをしているという感覚になっています」

——そういった感覚になって、どんな変化がありましたか?
「以前は、たとえば「今日は1時間“しか”練習できなかった」とか、「試合まで1週間“しか”ない」とか、「あと数回“しか”ない」という風に感じていました。でも、今は「“まだ”5日間もある」と思えるようになりました」

——ポジティブにものごとを捉えられるようになったんですね。
「そうです。何百時間と練習していると思っています。寝るときも、脳の中の整理を寝る直前にしっかり意識して睡眠に入ることが大切です。「練習が終わった! 寝るぞ!」じゃなくて、寝る姿勢も整えてから寝るわけです。興奮していない状態で寝ます。
 さらに、起きたら、立つ動作や起きる姿勢を意識しています。人間は毎日寝ますから、1年で365回起きる動作をしますよね。これは、グラウンドになった時に立つという動作を1年間に365回トレーニングできるということなんです。サッカーボールキックを蹴られないように意識したり。もちろん、歩く動作も変えました。全て「ワンツー、ワンツー」とジャブの動きにしたんです。歩いている時も、全て格闘技のための動作にしています」

——先ほどの公開練習では、手をついて階段昇降をされていました。
「危険な姿勢になった時のためのトレーニングですね」

——まさに1日全てが練習なんですね。このように発想を転換した理由は?
「トレーニングって、実は格闘技とつながる部分とそうでない部分があることに気付いたんです。たまには重いものを挙げるのもいいですけど、それが試合に出るとは限りません。試合ではベンチプレスの角度ばかりじゃないですよね。
 今までは、パワーさえあれば押さえられると思っていましたけど、実際、振り返ってみると、力が出ていなかったり、結果が出ていなかったりすることに気付いたんです。それで、効率のいいトレーニングを変えました」

——なるほど。
「実は、新しく家族ができまして、1年前から仕事を始めたんです。建築・リフォーム関係の仕事で、塗装とかクリーニング、解体なんかをやっています。ここでやっている動きが、すごく実践的なんです。
 仕事というのは、達成させなくてはいけませんよね。だから、無駄な動きをしていられない。そういうところから、ラクで、なおかつ力がきちんと入る動きに変わってきたんです。
 相手のタックルを押さえつけても、自分が動けなくてはダメ。無駄な動きをすればケガをしますし、効率のいい動きや、身体の使い方の大切さを感じるようになりました。今の仕事は、本当に勉強になります。
 たとえば塗装で、効率的に塗るには、こういう姿勢(壁に向かい塗る姿勢)です。これって、打撃の距離なんですよ。まっすぐ見る、まっすぐ蹴る、まっすぐ打ち抜く。こういう感じ(壁に身体が向いていない姿勢)ではちゃんと力が入らず、無駄な動きになりますし、相手に通じません。塗る姿勢=(パンチが)当たる姿勢なんです」

——まさに全てが格闘技なんですね。
「はい。地球上全てが格闘技に通じていることに気がついたんです。5年くらい前から少しずつ気がつき始めて、少しずつ変えて、試合に練り込んでいっています。今回は、それが、より出せる試合になるんじゃないかと思います。
僕は、試合だけでやって行ける贅沢な時代を過ごさせていただきましたが、今は、(別の)仕事をしながらでも試合は出来るんだなと思っています」

——さて、14年ぶりのパンクラス参戦、近藤選手とは20年ぶりの再戦になります。オファーが来たときはどんなお気持ちでしたか。
「(パンクラスを退団したあと)この先、もうパンクラスに出ることはないのかなと思っていました。オファーをいただいたときは、何とも言えない気持ちになりました。そういうタイミングが来たんだなと思いましたね。最初は相手を聞いていませんでしたが、それでもすぐに出たいと思いました」

——相手が決まったときの心境は?
「その方しかいない、と思いました。すごく嬉しいです。近藤さんしか多分できないだろうな、そういう立場、距離感の方です」

——現在の近藤選手をどう思っていますか?
「また何か深いところを考えているんじゃないかと思います。探りながら試合をされている感じがします。近藤さんも、もう23年やってらっしゃいますよね。勝とうが負けようが、100戦以上やって来られても、なお自分を追求し、高めよう、強くなろうとしているところは変わらないと思います」

——さて、今回の試合のテーマは何でしょうか。
「「歴史」です。近藤さんとは20年ぶりの試合。パンクラスの歴史、格闘技界の歴史、自分の歴史、近藤さんの歴史、そして見てくださる人たちの歴史。すべての人の心の一角に残るような試合、何度でも動画を再生したくなるような試合をしたいです」

——キャリアを重ねてきた美濃輪選手ですが、今後ファイターとしての目標は?
「言葉ではうまく出てこないですけど、今、最高の歴史的試合、奇跡的な試合をしたいです。心が晴れ、動かされ、何かが変わるような試合です。
 UFCだったり、いろんな舞台がありますけど、今は、動画や映像が世界じゅうに広がって、スマホやパソコンで見られますよね。つまり、この試合も、世界が注目できる可能性があります。なので、一瞬も目を離さないでほしいです。
 舞台の大小ではなく、世界じゅうから、また、世界じゅうで試合が見られる時代です。皆さんがどこまで目を向けてくれるか。会場に来てくれた人は、会場で生の試合を見て、またあとで再生したくなるような、人生の一角に残る、心に刻まれるような試合がしたいです。たとえば猪木・アリ戦のように、何十年たっても再生回数が増え続けるような、何回も見たくなるような、見てしまうような試合がしたいです」

――今のパンクラスはケージでユニファイドルールですが、リングで、掌底ルールでやりたかったという気持ちはありますか?
「いえ、何でもいいです。というか、今回はこれでいいと思います。というのは、今の時代に合った、今のルールでやりたいからです。僕たちは今の時代に生きているので、時代に沿ってやっていきたいですね。
 もちろん過去は素晴らしいものですが、過去に憧れたり、過去を目指すことは後ろを向くことだと思うんです。前を向くには、今の時代に沿って闘いたいです。特に、近藤さんという素晴らしい相手だから、そう思います」

——今のパンクラスについてどう思っていますか?
「今のパンクラスは昔のパンクラスではないと思います。でも、それは仕方ないことだと思いますし、ずっとあのままではいられないでしょう。けれど、昔のようなパンクラスに戻ろうとすれば、それは後ろを向きながら進もうとすることです。
 バブル時代を振り返って、あの頃はよかった、と言ったところで、もうそんな時代は来ないでしょう。プロレスでも、「金曜8時」の時代にこだわったところで、そんな時代はもう来ません。“あの頃のように”と言っても、新しい世代には解らないことじゃないですか。歩きづらくなるだけです。僕は、10代、20代の希望を持ってやっている人たちとやっていきたい。だから、闘うなら今のルールがいいと思います」

——この試合は、初期のパンクラスを見ていたオールドファンにも注されています。
「はい。ありがたいです。過去があるから今があります。“今”の近藤有己と美濃輪育久をぜひ見ていただきたいと思います」

 パンクラスを退団したあと、特異なキャラクターや一風変わったトレーニングで注目された美濃輪。40代に入っても、格闘技や練習に対するひたむきな姿勢は全く変わっていなかった。「地球上どこでも練習場」と語るその目は、髪を赤く染め、がむしゃらに闘っていた頃と同じようにキラキラ輝いていた。

 年月を重ね、それだけ荒波にも揉まれてきた。いい時代も、そうでない時代も乗り越えてきた「歴史」が、美濃輪の顔には刻まれている。
 しかし、どれだけ年月が過ぎても、美濃輪を作り、支えてきたのはパンクラスの魂だ。先輩の身のまわりの世話をしながら怒鳴られ、理不尽さも全て呑み込み、同じ釜の飯を食って培われてきた絆——“道場論”が、美濃輪の中には今も生きている。はっきりそう言葉にはしなくても、同じ時間を共有してきた近藤への信頼が強く感じられた。恐らく、近藤も同じ気持ちなのではないだろうか。
 “道場論”は、もう現代には見られないし、必要とされていないものなのかも知れない。しかし、「道場論」があった時代に青春を過ごしたことは、なにものにも代え難い幸運だったに違いない。

 それぞれの歴史を積み重ね、格闘技界に一時代を築いてきた2人が、20年を経て再び交わる。懐かしい対戦、レジェンド同士の対戦ではあるが、そこにあるのはノスタルジーではない。「いま」を生きる格闘家2人の魂のぶつかり合いを、見逃すわけにはいかない!

(写真・文/佐佐木 澪)

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