アントニオ猪木さんと北朝鮮やイラクで『平和の祭典』を仕掛けた元新日本プロレス取締役・永島勝司が追悼のメッセージ「『5つの顔』を持った猪木の凄さは生半可なものではなかった」

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かつて新日本プロレスの取締役としてアントニオ猪木さんとともに様々な仕掛けを行ったバトル・ニュースの永島勝司編集長が、1日に心不全で亡くなったアントニオ猪木さんへ追悼のメッセージを送った。

『人生の師であり元上司、そして最大の友人であるアントニオ・猪木が死去した。
 病気の報道以来、ある程度の覚悟はしていたものの、こんなに早く逝ってしまうとは残念でならない。「俺より前に死ぬなよ」という私との約束を破った。う~ん悔しい。
 東京スポーツでプロレス担当になった時、新日プロでの記者会見で、私は同席する先輩記者たちを尻目に「プロレスの在り方」について反発したことがあった。それはシリーズ開幕戦と7日後に行われる試合で同一レスラーが選手権をやるというものだったが、私は「それは全くおかしい。誤解を招くことだ」と発言したのだ。先輩記者も「バカ野郎、何を言うんだ」とえらく怒られた。
 その時だった。会見場の隣の部屋の社長室の猪木から私に呼び込みが来た。どうやら隣室で記者会見の模様を聞いていたらしい。社長室に招き入れられた私に猪木が言った言葉は、私のプロレスに対する考え方を根本から変えた。
 「永島さん、それでいいんです。その考えをずっと持ち続けて下さい。あなたは間違っていない」
 人気絶頂だった猪木は、私にそう言うと帰りのエレベーターまで送ってくれたのだ。それが私が猪木という人間を信じた瞬間だった。いってみれば、このひと言が私の人生を決めたのだからね。


 アマレス選手をプロに転向させて開いたソ連、人質解放につながったイラク・バクダット、力道山を偲びながら国交開始の先行となり、48万人の大観衆を集めた北朝鮮。それぞれ開催した「平和の祭典」は猪木と私の二人三脚で成し得たものだったが、猪木の外交力は偉いものだった。
 山あり谷ありのジェットコースター人生を過した猪木。選手、コーチ、マッチメーカー、プロデューサー、社長と「5つの顔」を持った猪木の凄さは生半可なものではなかった。
 とにかく今は、うまいワインを飲みながら何も考えないでゆっくりと休んでくれよ。アントン、俺の中ではずっと生きているからね。
 合掌』

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