【インタビュー】日高郁人&青木いつ希が激白!ショーンキャプチャー11.15川崎大会直前インタビュー!
11月15日にショーンキャプチャーが「ご縁の国しまねツアー2020 in CLUB CITTA'」を開催する。今までは島根県で開催されてきたこの「しまねツアー」だが、今回は史上初の関東近郊大会。大会に向けて代表の日高郁人に全カードの見所を聞くとともに、ショーンキャプチャー設立の経緯、及び今後の展望を語っている。同席した青木いつ希はこれが所属として初めてのショーンキャプチャー大会に出場となるだけに、気合いも十分。主役取りを宣言した。
(取材協力:イープラス、eplus LIVING ROOM CAFE&DINING)
――11月15日に「ご縁の国しまねツアー2020 in CLUB CITTA'」が神奈川のCLUB CITTA'で開催される事になりました。
日高「元々、同じ日に島根県の益田市民体育館での大会を予定をしていたんです。まだ春の時点で島根県はコロナの感染者もいなかったので、様子を見てたんですけど、こうやって何十人って選手が東京から行って大会をする、そこに何百人のお客さんが集まるというのは現時点で厳しいかなと。そこでもし感染者が出たりするとね、お客様に何かあってからでは遅いので、せっかく島根県にも益田市にも後援してもらってる大会でそうなると不祥事になってしまうので、今年は自粛させていただくことになりました」
――出場選手に関しては?
日高「幸いその益田大会に出て貰おうとしていた選手達のスケジュールは押さえていたので、同じ日に関東できないかなと思って会場を探してたんです。そこで益田市と川崎市が友好都市ということで、川崎市であたったんですね。最近はあまりプロレスをやってなかったんですけど、クラブチッタさんでどうせやるなら、島根県に縁のあるIKUOさんを始め、ミュージシャンの方々にも出て貰ってプロレスと音楽のコラボが出来ないかなと。それでクラブチッタさんを友人にお紹介してもらって、実際に足を運んで話を聞いて、開催の運びとなりました」
――今大会のコンセプトというのは?
日高「いつもは島根でやっているので、島根県出身のプロレスラーを中心に、かつ異ジャンルで活躍されている島根県出身の人に来てもらっていたんですが、今回に関しては豊田真奈美最高顧問が今年は島根でやるのは厳しいなら関東で島根をPRする大会にしようと言ってくださったんですね。それで全員っていう訳にはいかなかったんですけど、島根県出身で活躍されてる方達と一緒に関東から島根県をPRする大会になればいいなと。あと、開催地である川崎市さんの方にもお話を持っていきまして、福祉の観点から、後援が決まりました。昨年の益田大会でも障碍者の方の就労体験っていうのをやったんですけど、それもあっていう今回は障碍者手帳をお持ちの方は無料招待します」
――今大会の対戦カードは全4試合。日高選手はTAJIRI選手とシングルマッチになりました。
日高「そうですね。ボクが9月に全日本プロレスさんに参戦してたんですけど、そこで世界ジュニア王座に挑戦したんです。そこで僕がベルトを獲って、その日行われていた挑戦者決定戦でTAJIRIさんが勝っていたら日高vsTAJIRIというカードも実現していたかなと、結局、2人とも勝てなかったので実現しなかったのですが。よく考えたらずっと試合で絡む事が無かったんですね。ただ、1999年に初めての海外遠征でECWに遠征した時にTAJIRIさんの所にお世話になっていた事がありまして。その時に組んだ事はあっても試合した事がなかったんですけど、その遠征はプロレス観をひっくり返すような遠征で、本当にキャリアのベースになるような、凄く勉強させてもらった遠征なんですね。その前を思えば1998年3月に大日本プロレスで当時の団体のジュニアヘビー級王者だったTAJIRIさんに僕が挑戦しているので、それ以来の対戦になりますね。ちょっと前だったらTAJIRIさんみたいなタイプは嫌だなと思ってたんです。それが今回、と言うか今、独立もして、そういう今の立場からすると逆に対戦したいなと思って、それでオファーしました」
――どんな戦いになりそうですか?
日高「トータルというか、プロレスのサイコロジーに則った試合ではTAJIRIさんの方が全然上。経験値も違うし。でもイマジネーションという意味では全然負けてないなと思うんで、僕にしかないイマジネーションを広く使って、ピンフォールを取りたいと思います」
――青木選手はアイスリボンのつくし選手と組んでSEAdLINNNGの世志琥選手、2AWの笹村あやめ選手とのタッグマッチです。
日高「つくし選手は豊田最高顧問の推薦です。元々はつくし選手と青木のシングルをやる予定だったんですけど、関東なんで豪華にタッグでやりたいという本人の希望で。プロモーター的で言えば、SEAdLINNNGも川崎が本拠地なので、SEAdLINNNGで世志琥組というユニットを組んでいる世志琥、笹村組との対戦になりました」
――青木選手の意気込みの程は?
青木「4月にショーンキャプチャーの所属になったんですけど、ショーンキャプチャーとしての初の興行が9月にあって、それも自分がコロナに感染して試合にも出れなければ会場にも行けなかったので、その時に溜まったフラストレーションをぶつけたいと思っています。やっぱり所属としての初の興行に出られなかったのが悔しかったので。本当にショーンキャプチャー所属としての初めてのショーンキャプチャーの興行なので。今まではジャパンプロレス2000にいる状態で島根県出身だからという理由で「しまねツアー」に呼んでいただいて、3回シングルしてきたんですけど、それからもまた期間も空いているので成長した姿を見せたいですし、ショーンキャプチャーの所属の青木としてこれからショーンキャプチャーも何回も続いていくので、情けない姿を見せたくない。全力で暴れたいと思います」
――対戦相手に関してはいかがですか?
青木「SEAdLINNNGさんに参戦させてもらっている中で、自分はマックスボルテージ(高橋奈七永、水波綾、高瀬みゆきとのユニット)で世志琥組とは敵対しているんですね。その中で今、世志琥さんはシングルのベルトを持っていて、世志琥組には勢いがあると思うので、マックスボルテージの青木としても負けたくないですし、隣には小さいけれど最強のつくしさんがいるので、それも含めて絶対に勝ちたいと思います。つくしさんとはお互いに親友、仲良しって言ってるんです(笑)。1、2年前くらいから仲良しって話をしているんですけど、その時に約束した写真1000枚撮ろうねって約束が果たせてないんです」
――どれぐらい撮ったんですか?
青木「まだ3枚(笑)。でも仲良しなのでそのうち簡単に1000枚いくと思います」
――岩﨑永遠&宮本裕向vsジェイク・リー&本田竜輝戦に関してはいかがですか?
日高「これは全日本に上がっている時にジェイク選手を見て、岩﨑をジェイク選手に当てたいなと。初対決になります。ジェイク選手は大きいし色気もあってかっこいいんですよ。ZERO1にいないタイプでもありますので。それでいて全日本プロレスではヘビー級のトップの一角。岩﨑にとっても重要な試合なんじゃないかなと。僕はZERO1から独立して所属は変わってしまったけれど、僕が彼をプロレス界に入れた事は変わらないし、僕の立場で出来る事をやってあげたいなという気持ちは変わらないですね。宮本裕向は澤宗紀の推薦です。仲が良いからだと思います(笑)。宮本はちょうど広島出身なんですね。島根との県境のところに住んでたので、純島根軍です」
青木「中国地方軍(笑)」
――そしてラストががばいじいちゃん&シマネリオ対石井慧介&キャプテン・アメムラ。これもとんでもないカードですね。
日高「キャラクターが混在した試合です(笑)。がばいじいちゃんは「しまねツアー」のレギュラーで、いつもいの一番にオファーをかける選手です。いつも「しまねツアー」でやっているわけですから、関東でも出て貰わないといけない選手ですよね。シマネリオっていうのはボクが昔からこういうマスクがあったらいいなと思って作ったんですよ。額に島根県章がついていて、サイドには島根地図がついています。まあミステリオのパクリなんですけど(笑)。3枚作って、当時の溝口善兵衛県知事にもプレゼントしました。僕がいつかオーバーマスクをシマネリオにしようと思ってたんですけど、今回、最適の人材が見つかったので、シマネリオに変身してもらいます。2人のタッグっていうのはミスマッチのように思えて実は深いんですよ」
――と言うと?
日高「島根県って高齢化社会じゃないですか。高齢者問題っていうのも常にあって。島根から出ている自分達にとっても親も高齢になってますから、そういう点でも、島根県出身者としてはすぐそばにある問題な訳ですよ。それをリング上で表現したいなと思って、今回デビューする新人選手のシマネリオと高齢のがばいじいちゃんと組んで貰おうっていうのがこの試合のテーマです」
――その対戦相手が石井選手とアメムラ選手です。
日高「石井選手は自分が独立してから最初に出た団体であるガンバレプロレスの選手で、初戦で対戦したんですけど、プロレスにオリジナリティがあって、敵だけど、凄く良い選手だなと思って。関東でやる以上出て欲しいなと思って今回オファーしました。キャプテン・アメムラ選手は「ショーンキャプチャー#1」を9月27日に大阪で開催した時、青木も参戦が出来なくなってそういう時に大阪の選手が大半だったんですけど、凄く一体感のある大会に出来たんですよね。選手もお客さんもスタッフも含めて。大阪という地は高校を卒業して働いた地でもあるし、凄く大阪という地に改めてご縁を感じて、このご縁は紡いでいかないといけないなと思って、ここで大阪の選手も出て欲しいと。それでキャプテン。僕が「ショーンキャプチャー#1」をやる時になんか気になる存在だったから出て欲しかったんです。なのでキャプテンに今回も出て貰います。キャラクター的にグチャグチャですけど、面白い試合になると思います」
――冒頭にも話が出ましたが、「しまねツアー」と言えば、試合以外の部分も見所の一つです。
日高「ありがとうございます。まず今回も石見神楽はやらせていただきます。これは益田とか浜田でも試合前に現地の人たちに協力してもらってやってるものです」
――どういう理由から始めたのですか?
日高「県外からプロレスを観に来るお客さんに地元の伝統芸能を見て貰いたいという気持ちで始めたんですね。今回は東京で島根をPRする大会なのでどうしても神楽はやりたいなと。東京にも東京社中があるんですよ。そこにお願いして実現します。岩﨑なんかは中学まで神楽を習ってましたし」
青木「自分も本当に小さい頃から聞いてましたね。今でこそちょっと減りましたけど、夜神楽とか。祭りとかなくてもたまに近所の神社とかでやってた気がするんですよね。それこそアクアスという大きい水族館があるんですけど、浜田と江津の間に。そこでイベントでやってたり、デパートやショッピングモールの小さい広場で昼間にやってたり。日常に普通にあるんです」
日高「僕らにとってはこれが日常です。東京社中の方々は自分が昔、大塚の方にたまたま行った時、「本日、神楽があります」って看板が出てて、それで観に行って。その時は恵比寿を舞ってたんですけど、そのあとに声をかけられて。島根県で働いてる人で、それから交流があって、今回ご協力いただけることになりました」
――あとはミュージシャンの方々も豪華です。
日高「まずは山本恭司さんですね。島根県松江市出身のレジェンドです。BOWWOWっていうバンドをやられてた方で世界中で活躍してるギタリスト。昨年、妻のあびこめぐみのご縁で知り合いまして、今回も協力してくださる、参加してくださる事になりました。更にショーンキャプチャー興行のテーマソング「Capture The Victory」を作曲してくださいましたので、それも演奏していただけます」
――そしてIKUOさんですね。
日高「IKUOさんは言わずと知れた「いくおといくと」として一緒にやらせてもらってますし、今回も二つ返事で参加をOKしてくださいました。僕の入場曲「RED ZONE」も演奏してもらいます。あとは妻のあびこめぐみば出身地こそ島根県ではないですが、本籍地は益田なので(笑)、そういう点で参加します。あびこさんは9月の大会に合わせて青木のテーマソングというか応援歌「はじまりのBlue」を作って、詩も青木と実際に話して作ったので、それを今回、歌って貰います」
青木「この曲を初めて演奏された時が「ショーンキャプチャー#1」の時で、自分は会場にいれなかったので、ツイキャスで大会を見てる中で聞いたんですけど、本当に私も当日まで歌詞も曲調も知らなかったので、そういう曲を作ってくださってるっていうのは知ってましたし、話も実際にして、どんなのが出来上がるかと思ったら凄く素敵な曲でした。部屋で一人で見てたんですけど、割とその日は涙腺も緩んでボロボロに泣いてしまいました。その後、「ありがとうございました」って連絡をとったら歌詞も全部送ってくださったんですけど、ここをもう少しこうしようと思ってるとか詳しく教えてくださったり、本当に沢山時間をかけて作ってくださったのが嬉しくて、本当に自分の中の応援歌になると思います。自分の為に作ってもらえた曲も人生で初めてですし、これからも大事にさせていただきたい曲です」
――今大会はどんな人に見に来て貰いたいですか?
日高「やはり「ご縁の国しまねツアー」っていうタイトルで、それ自体は島根に何の縁もゆかりもない人達はなんなんだろう?って思うかもしれないですけど、僕も最初プロレスデビューした時は故郷の事まで思う事が無かったんですね。IKUOさんも同じ事をおっしゃってたんですけど。キャリアをある程度積んで結婚もして家庭を持ってって考えると、今度は実家の事が心配になる。両親や周りの友人への感謝も沸いてくる。島根県を出て好きな事をやらせてもらってる中で故郷に何ができるかって思ったらプロレスを通じて島根県をPRする事なんですね。それでこういう活動を始めました。だから島根県でやる場合は学校に訪問して講演をしたり、子供達と一緒に運動して、コミニュケーションを取ったりってやらせてもらってます。今回はコロナ禍で島根で開催出来ないので、この大会を通じてプロレスも音楽も楽しんで貰って、島根県に、僕らの故郷に興味を持ってくれたらと思います」
――さてここからはZERO1を退団し、本格的にショーンキャプチャー所属として始めたきっかけをお聞きしたいのですが。
日高「2020年6月30日付けでZERO1を退団しました。所属としては15年、フリーとしては2002年から出ているので18年もの間、お世話になったプロレスリングZERO1から独立しました。僕にとっても非常に大きな決断で、それでいてそれを受け入れてくれたZERO1の皆さんにも感謝しています。世間が今年、コロナ禍に陥ってその中で自分も、以前から会社をやりながら巡業で全国を回るのが厳しい時もあったんです。そんな中、コロナ禍のステイホーム期間に色々考えて、株式会社ショーンキャプチャーとして運営してる中野・ブロードウェイにある「ホカクドウ」もお客さんが全然来なくなって休業になりましたし、高円寺にあるパーソナルジム「フレンジ」の方も人に接する仕事だからすぐ休業に入ったんですね。トレーナーをやってくれてる澤宗紀と一緒に何かを発信していこうという事でオンラインフィットネスを無料で始めたり、色々取り組んだんですけど、その中でやはり今まで通りにプロレスを続けていくのは厳しいなと思って。青木はまだ大阪に住んでいたんですけど、澤は歩いて来れる距離に住んでいてコロナ禍でありながらも毎日のように色々話しました。それでいて社員も澤をはじめとして雇ってるし、決断をしなきゃいけないなと。それが一つZERO1から離れる決断となってます。今、コロナの第2波がすでに来たってなってるじゃないですか。なんですけど、その時点ではやはり政府も色んな支援をしてくれたけど、その支援もいつまで続くか分からないし。その中で第2の理由としては、第3波が来た時に株式会社ショーンキャプチャーを続けていく上での方法を探しておかなきゃいけなかった。ZERO1も大好きだし、プロレスも大好きですけど、一人じゃ無いんで決断する時でしたね」
――その所属第1号が青木選手です。
日高「青木は4月1日からショーンキャプチャーで迎え入れたんですけど、その頃も彼女は大阪にいて、所属になった事を発表したかったんですけど、外出自粛等もあって東京に来させるわけにはいきませんでした。それで業界初のZoom会見で発表しました」
青木「遠い昔のようです。少し実感がないっていうのもありましたね。3月から試合もどんどん無くなっていって、かと言って、自分の事情もあったのもあって、所属になって住まいが東京に移るとかも無かったですし、所属が変わっても大会が始まらないのでコールもされることがないじゃないですか。ジャパンプロレス2000の青木からショーンキャプチャーの青木になるまで、所属になるまで2ヶ月空いたんで、6月くらいまで。最初のSEAdLINNNGのテレビ収録マッチまでなかったので。正直実感が沸かないのが一番。でも日高さんが死ぬ程、自分の事を心配してくれてました。親みたいなものです」
日高「お父さんいくつだっけ?」
青木「51歳です」
日高「僕の3つ違いですね。3つ年上」
青木「実質、父親みたいなものですよ」
――ショーンキャプチャーでどんなことをやっていきたいですか?
青木「これは所属する時の決め手でもあったんですけど、ご時世的に今は難しいけど、島根県での活動を色々していきたいですね。日高さんの講演とかもあると思いますし、そういう所についていけるならついていって、島根の県知事さんへの挨拶とかもやっぱり今後していきたいですし、最終的な目標は日高さんみたいに自分の主催で島根県で大会をやりたいです。浜田市でやりたいです!」
日高「そういうのは嬉しいですね。人を育てる事が出来て。今までだったらそういう思いも芽生える事は無かったと思うんで、一つ背中を見せて、教育というか、そういうのが出来てるのかなと」
青木「あとこれはもっと先の話だと思いますけど、いつか日高さんにも引退する時が来るじゃないですか。こういう活動も続けられると思うんですけど、自分も日高さんが一線を退かれたのちに…」
日高「おい、俺をやめさせるなよ!」
青木「あるかもしれないじゃないですか(笑)。人生何が起こるか分からないですし。ただ、そういう時にこのその紡がれた縁を自分が繋げて、続けていきたいです。せっかく日高さんが一代で築き上げた縁をここで一代で終わらせるのは勿体ないじゃないですか」
日高「嬉しいなあ」
青木「私、島根県がめっちゃ好きなんで。目指すは西川貴教さんです。西川さんは滋賀県出身ですが」
日高「それ俺が言おうとした事だよ。この間「アナザースカイ」っていう番組でやってたんですよ。県庁で働いてて県知事にも訪問して。凄く地元の人達から頼られてる。僕もそれを見てて俺の目指す所はここだなって。その時も「イナヅマロックフェス」っていうのを西川さんが毎年開催されてたんですけど、IKUOさんがずっとサポートされててIKUOさんも映ってたりしてて、ここだと思いましたね。青木も過去3回、2018年から「しまねツアー」に出てもらってるし、浜田の大会っていうのも青木がいて、その頃ZERO1だったから岩﨑がいて開催しようと思ったわけなんで、僕も後輩達に育てられてますよね。だからどこから所属になるとか、そういう話が出たかも覚えてないけど、浜田出身の子がいるらしいっていうのを聞いてそこで知り合って。島根県出身でリングに上がってる以上、力になってあげたいなっていうのが始まりですね」
――将来的な展望は?
日高「将来は西川貴教さんになります! 島根県って東西に長いんですよ。なので県庁所在地がある松江市と僕の出身地である益田市は本当に距離的にも160〜170kmくらい離れてて、端と端なんですよね。だからなかなか難しいところはあるんですけど、地元でずっとやってきましたからね。勿論、松江でも大会やったし、松江市、出雲市、雲南市、浜田市、益田市ですね。島根には19市町村があって、いつも応援いただいてる「秘密結社鷹の爪」の株式会社ディー・エル・イーさんも19市町村の吉田くんをデザインしてリリースしてるんですけど、、それも全て使いたいなと思うんですよ。19市町村で大会をやりたい。そして19市町村全部からプロレスラーに出て貰いたい。そういう発掘だったりとか、いつも地元で講演とかやらせてもらう時に話すんですけど、夢を抱いてても夢の叶え方が分からない子達が沢山いると思うんですよ。だから青木のように違うルートでプロレスラーになった子もいるだろうけど、春ぐらいに島根の高校生から手紙を貰って、僕はプロレスラーになりたいと。その子はZERO1に入りたかったかどうかは分からないですけど、僕が返事を返したのは独立後だったんですけど、自分が思う事を書いて返事を返したんですけど、そういう島根で夢を持ってる子達の手助けをしてあげたいし。実際、岩﨑永遠もツイッターのDMで僕に連絡してきましたからね。そうやって気軽に連絡も出来る時代でもありますので、そういう島根の夢を持ってる子達の手助け、それが島根県、故郷を活性化する事に繋がればいいなと思いますので、これからもそういう活動をしていければいいですね」