左ヒザ十字靱帯断裂&半月板損傷から4か月…松本浩代のいま[後編]
取材・文/佐瀬順一
これはプロレス界だけのことではないが、フリーランスというのはほとんど“保証”がない。当然、試合をしなければファイトマネーは入ってこないし、半年〜1年もの間リングから遠ざかった選手を今後使ってくれる団体があるかどうかも分からない。
そんな不安でいっぱいの中でも松本は考えた。中川が国内引退試合を行う12月まで騙し騙し試合をして、中川を送り出してから手術→長期欠場をするか。それとも中川の国内引退は諦めて、手術→長期欠場をするが、2015年春頃に予定されている海外での中川の引退試合に一縷の望みを託すか。
29歳のフリーランス…休む恐怖
「どういう状況になるか全然分からないけど、目標があったほうがいい」と考えた松本は、すぐに手術をして長期欠場という道を選択。だが、いざ道を決めたらあとは気持ちを切り替えてと前向きになれるかと言ったら、物事はそんな簡単ではない。
「休むってときに感じたのは“恐怖”でした」と胸中を吐露した松本は、一人になると激しく落ち込んだりすこともあったという。今まで築き上げてきた対戦相手との流れや、ファンからの期待などが消えていく恐怖。復帰出来たとしても自分の居場所はあるのかという恐怖。手術をしてもヒザがちゃんと動くのかという恐怖。欠場期間中の11月に29歳になった松本にしてみれば、もう一度頂点を目指すための時間が刻々と削られる思いだっただろう。
そんな松本を元気づけようと、入院中にたくさんの選手や関係者がお見舞いに来てくれたという。プロレスで長期欠場する場合、試合を見たりすると焦ったり不安になるので、一切試合も見ないし会場にも行かないという選手も多い。しかし松本の場合は退院後、中川が出場する大会を中心に、各団体の会場に顔を出して売店に立ったりした。
鈴木みのるもそんな松本を自身のネットショップ『パイルドライバー』が行ったイベントプロレスに呼んで手伝いをさせた。鈴木が所属するパンクラスにも鈴木を慕い、手伝いをする選手はたくさんいるのに、敢えて松本を呼んだのは鈴木流のエールである。松本も「本当にありがたい! ケガ人だとは思ってくれてないんですけどね(笑)」と、嬉しそうに鈴木の心意気に感謝した。
順調に回復している左ヒザ
手術をして約2か月が経ち、ニーブレスをした左ヒザの状況を「超順調です! ヤバイくらい順調」といった松本だが、そうは言っても復帰まではまだまだ先。12月23日、OZアカデミー後楽園ホール大会。もちろん試合は出来なかったが、ジャングル・ジャック21の一員としてひとまず中川を送り出した。試合が出来なかった無念さはあっただろう。海外での完全引退試合に間に合うかどうかはまだ分からないし、いまでも精神的に不安になることもあるという。
だが、松本浩代は決して一人ではない。ケガを完治させ、再びひた向きに練習をし、本当の強さを手に入れて女子プロレス界の頂点に立つことを期待している仲間、関係者、ファンがたくさんいる。「みんなに必要以上に感謝しています!」松本もそのことは充分わかっている。
欠場したことで冷静に各団体の試合を見ることが出来たという松本は、「大した奴いないじゃんって思って見ています。特出している選手はいないかなっていうのが正直なところですね」と言ってみせた。
奇しくも9日に発表された2014年度の東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞で、女子プロレス大賞は“該当者なし”。「ケガした分だけ、泣いた分だけ、強くなる。笑顔のパワーとイライラのパワーで、復帰したら全部まとめてぶっ壊してやりますよ」そう語る松本浩代なら、この低滞ムードを破壊してくれるのではないか? 『レディゴジラの逆襲』Coming Soon!
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1985年11月6日、神奈川県平塚市出身。2006年7月、新宿FACEでの小林華子戦でデビュー。息吹、プロレスリングWAVE、アイスリボン、NEO、センダイガールズなどに参戦。
2008年1月にOZアカデミーでアジャ・コング、AKINO、輝優優と「ジャングル・ジャック21」を結成。のちに同じエスオベーションの中川ともかも加入。
2011年からはスターダム、2012年から我闘雲舞にも参戦するようになる一方、SHIMMERなど海外の団体にも積極的に参戦。
主なタイトル歴はJWP認定ジュニア王座&POP王座、OZアカデミー認定タッグ王座、NEO認定タッグ王座、SHIMMERタッグ王座、アーティスト・オブ・スターダム王座、アイアンマンヘビーメタル級王座など