大仁田厚が初観戦の母の前で号泣引退!「俺は死ぬまでプロレスラーです!」

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 2017年10月31日、大仁田厚が7度目の引退試合を行った。

 ジャイアント馬場の付き人であった大仁田は、引退試合の相手に“猪木イズム最後の継承者”藤田和之を指名。藤田は会見に現れず、連絡もケンドー・カシンという代理人を立てなかなか取り合おうとはしなかったが、2017年10月9日に行われた最後の野外4面電流爆破に藤田は来場。カシンとともに大仁田を電流爆破バットでサンドイッチ葬し、その後10月29日の愛知での電流爆破でNOSAWA論外が藤田が来場することを約束。遂にこの日を迎え、カシンと論外とともに藤田が電流爆破バットを持ち後楽園ホールに現れた。

 入場してくる藤田に大仁田は水をかけ、リングに上った藤田に大仁田がジャケットを投げつけ試合開始。大仁田は藤田の脳天にイスを叩き込むが、藤田は意に介さずガットショットから場外に投げ捨て暴れまわる。
 鷹木信悟とKAIが藤田にナックルからエルボー、KAIがラリアットから鷹木がパンピングボンバーと打ち込んでいくが、すべて受けきった藤田が二人まとめてショルダータックルで倒す。残った大仁田を論外が羽交い締めにし藤田がバットを振りかぶるが、大仁田が毒霧から論外にスタナーで迎撃し、大仁田は藤田の脳天にイス攻撃から鷹木が論外にデスバレーボム、KAIがスプラッシュプランチャを投下しフォールもカシンがカット。大仁田は論外の脳天に机の破片と椅子を連続で叩き込み、サンダーファイヤーパワーボム6発で3カウントを奪った。

 最後の試合を終えた大仁田は号泣しながら「論外、俺、お前が大好きだよ。こんな嘘つきと、こんな弱い男に沢山の応援ありがとうございます。だけど、すいません、大仁田の良い所があります、一つだけ、絶対諦めないこと!絶地夢を諦めんな!絶対に自分の夢を持て!お前ら!俺を泣かしてくれるぜ!40数年間!40数年間!40数年間、ありがとうございました!!!俺みたいな男に40数年間ありがとよ!」と超満員札止めの観客に感謝。

 すべてを終えてバックステージに戻った大仁田は「16歳のときに、初めて(後楽園ホールのリングへ入場する)この階段を上がって階段を下りました。色んな思い出が詰まって……皆と別れるのがすげぇつらいけど、前向いて、人生前を向いて歩こうよ。また、いつか形を変えても、会えるかな。最後はもっともっと58000人の前で引退して、最初の全日本プロレスでの引退の時、馬場さんの奥さんが俺のことを抱きしめて泣いてくれた、その通路。駐車場に着いた時、駐車場から帰る時……身体の底に穴が空いて、そこに隙間風が通るような……(涙で声を詰まらせながら)それから、三十何年経った。この場所が、この場所が一番。最後の一言?お前たちと別れるのが一番つらい。あいつらと別れるのが寂しい。だけど、またどっかでいつか会えるかなって。七転び八起きとか、また帰ってくるんじゃないかって言われるけど。最後の一言を言うんなら……俺はプロレスが……俺はプロレスが、大好きなんです。……おふくろが、俺がプロレス辞めるまで、大好きな日本茶をずーっと、ずーーっと、俺がリングを降りるまでお茶を飲まないでずーっと応援してくれた。今日は、家に帰ったら俺がお茶を入れてやろうかなって。俺みたいなバカ息子。ここにきてホントに皆様に多くのものをいただきました。そして、いろんなことを感じさせてもらった。月並みな言葉かもしれないけど……プロレスに胸いっぱいになれたことを、俺は幸せに思います。多分、もう、戻る道は無いと思います。ただ、一つだけ。ホントに……四十何年間の中に、まだ馬場さんがそこにいて、俺が付き人で上がっていく姿が、リング上の中でずーーっと……なんだろうな(入場口の階段を眺め)俺はプロレスで胸いっぱいになれて、四十何年間出来たことを本当に幸せだと思います。最後の一言を言うとしたら、俺は、俺は、俺は、死ぬまでプロレスラーです。……また誤解されるかな(苦笑)三日後は絶対ありませんので(笑)全額返さなきゃならなくなりますんで(笑)そして、完全にチケットがなくなったのは、本当に皆様の、一枚一枚のチケットがこんなに嬉しく、重く、素敵に感じたことは40何年間の歴史の中で初めてですね。みなさんどうもありがとうございました!」とコメント。

 1974年にデビューした大仁田の、43年に及ぶプロレスラー人生がこの日幕を閉じた。

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