【インタビュー】“70歳のキックボクサー”上田勝次がUWF軍に挑む意気込みとは!
- 2016-6-20
- コラム
- 超戦闘プロレスFMW
キック黄金時代に活躍した“70歳のキックボクサー”上田勝次。その闘志はいまだ衰えず、超戦闘プロレスFMW6・21後楽園大会でもリングに上がる。FMWVSUWF全面対抗戦において、上田は橋本友彦、松崎和彦と組み、藤原喜明&冨宅飛駈&池田大輔とノーロープ有刺鉄線デスマッチで対戦する。決戦を前に、上田はキックボクシング・藤本ジム(東京都目黒区)で最終調整。練習終了後に、試合への意気込みを聞いた。
(超戦闘プロレスFMW)
――練習、お疲れ様でした。藤本ジムでは、よく練習されるんですか?
「いや。自宅にサンドバックもウエイトの道具もあるんで、ふだんは家でやってます。藤本(勲)会長とは仲が良かったから。今日使わせてもらったんだよ」
――上田さんは、まさにキック全盛期に活躍されたんですよね?
「そうですね。テレビも3局でやってたんじゃないかな。俺はウエルター級、沢村(忠)さんがライト級、藤本さんがミドル級、斉藤天心がヘビー級だったかな・・・」
――沢村さんとはスパーリングしたことはあるんですか?
「ありますよ。強かったですね」
――どういうきっかけで、キックを始められたんですか?
「最初は中学を卒業して、名古屋に行って、ボクシングをやってたんです。でも、ちょっと事情があって、やめて長崎にいったん帰りました。その後、19歳で東京に出てきて、ボクシングをやって・・・。剛柔流という空手もやりました。それで、沢村さんが出てきた頃、キックに興味をもって始めました。22歳だったかな。まだ3カ月しかやってないのに、タイに行かされてデビューしましたけど、負けましたね」
――日本タイトルを取るまで、どれくらいかかったんですか?
「7カ月くらいですね。昭和44年(1969年)1月22日、品田(尹久夫)という選手に判定勝ちしました。東洋チャンピオンになったのは、その年の6月だったかな。引退するまで、両方のタイトルを持ってたんですよ」
――いくつで引退されたんですか?
「24歳で辞めました。後楽園でタイトルマッチやって、引き分け防衛だったんだけど・・・。ちょっといろいろ事情があってね。その試合を最後に辞めようと覚悟してたんです」
――キックを辞めた後、格闘技はやられていたんですか?
「やってない。ウエイトだけですね。ボディビルやってた頃もあったけど・・・」
――そこから、長いブランクがあって、FMWで復帰することになったんですか?
「そうですね。復帰したのは43のときかな。大仁田(厚)クンが、まだ全日本にいた頃、飲み屋で彼と知り合ってね。彼はヒザをケガして、やめたんだけど・・・。FMWを旗揚げしたばかりの後楽園(1989年10月)で、大仁田クンや(ターザン)後藤さんと会って。空手の青柳(政司)と大仁田クンが異種格闘技戦やったときだね。そしたら、俺は聞いてないのに、『上田勝次(本名は上田勉)というキックボクサーが試合する』ってことになっててね。完全な事後承諾だよ。でも、そのときは格闘技のトーナメントをやるっていうから、『まあ、いいか』って感じで・・・」
――それで継続参戦されるようになったんですね。当時のFMWはデスマッチ路線のほかに、格闘技路線もあって、いろんなジャンルの格闘家と対戦しなければならなくて、大変だったのでは?
「そうだね。プロレス、ボクシング、柔道、テコンドー・・・いろいろいたね。でも、まだ俺も若くて、体重も95キロあったから、グラウンドになっても対抗できたけど・・・」
――上田さんといえば、FMWの若手選手の厚い壁になっていたのが、印象的です・・・
「俺もガンガン蹴ってたからね(笑)」
――FMWの若手選手で印象に残ってるのは?
「やっぱり、江崎(英治=故ハヤブサさん)だよ。アイツはムキになってかかってきたからね」
――FMWの後はどういった団体でファイトされましたか?
「大仁田クンが引退して、新生FMWになって、しばらくは出てたけど・・・。その後は、維新力さんと親しくてね、その紹介で、ジョージ高野の北海道の団体(FSR)に何回か上がりました。ジョージとは3回やって、1勝1敗1分けでした。今FMWに出てる戸井(克成)クンともやりましたね。その後。1996年にK-1で、角田信朗とやったんだけど、1ラウンドに倒れたら、それでKO負けになった。52歳のとき、石川孝志の新東京プロレスで引退試合をやって、セレモニーもやったんだ。そういえば、その興行をプロモートした荒井(英夫=アルファジャパン・プロモーション会長)さんと、この前のFMW5・14新木場の会場で久しぶりに会って、ビックリしたよ。あの人もボクシングやってたんだよね」
――引退試合をやっても、オファーは続いたわけですよね?
「そうだね。俺は『引退したんだから、まずいだろ』って思ったけど、『リングに立つだけでもいいから』なんて言われてね・・・。ニセ大仁田の森谷(俊之=故人)に頼まれて、国際プロレス・プロモーションに出たね。でも、ギャラは鶴見(五郎)さんじゃなく、森谷が払ってたみたいだけど・・・(笑)。知人の頼みで、ZERO―ONEの久留米(福岡)大会にも出たな。58歳くらいだったね。そのときは長州(力)さんや、大森(隆男)も出てたね。60歳の還暦のときには、後藤さんの新宿FACEでの興行(IBF=2006年5月5日)で、(グレート)パンクとやりましたね」
――それで、またブランクを経て、昨年7月25日の大仁田興行・新宿FACE大会で試合をされたと・・・
「そうだね。頼まれてね・・・」
――大仁田興行3・14新木場では、70歳にして、リングに上がることになりました・・・
「この年でリングに上がるのはどうかと思うんだけど、何回も頼まれてね・・・」
――本題になりますが、FMW4・27後楽園にも上がり、6・21後楽園にも上がることになりました。対戦相手の情報はもたれてますか?
「藤原とは、この前もやったけど、年寄り同士でやっても、おもしろくないよ。池田はバトラーツにいたんでしょ? ガンガン来る選手だと聞いてるから、俺は池田とやってみたいね」
――本当はシングル戦を希望されてたんですよね?
「そうだよ。だから、5・14新木場でも、そう言ったんだよ。だけど、希望が通らなかった」
――今回の試合形式はノーロープ有刺鉄線デスマッチなんですが・・・
「そうらしいね。つい最近知ったよ。デスマッチは慣れてないとできないよ。レスラーは慣れてるから呼吸の仕方もつかめるけど・・・。もうなるようにしかならないよ。実は27日から29日まで、長崎に帰るんだよ。だから、ケガはしないようにしないと・・・」
――初期のFMWで有刺鉄線デスマッチの経験はありますか?
「1度だけあります。川崎球場だったんだけど、自分と後藤さんとパンクと組んで、相手が(ビッグ)タイトン、(ザ)グラジエーター(故人)、リッキー(フジ)でしたね」
――今後もFMWに継続参戦するとしたら、やはりシングル戦を希望されるんですよね?
「もちろん。俺はボコボコに負けてもいいから、若い選手とシングルでガンガンやりたいんだよ。この前、1度当たったけど、長井(満也)選手とやってみたいね。3・14新木場でやった(ザ)シューターでもいいし・・・。山近(義幸)代表に言っといてください!」
――試合をする以上は、同世代の人へのメッセージもあるわけですよね?
「そうですね。今でもトレーニングを欠かさないし、70歳で、こんな肉体してる人いないでしょ? だから、自分の試合で同世代の人に勇気を与えられたらうれしいね」
超戦闘プロレスFMW『ジューン・ブラッド』
日程:6月21日(火)
会場:東京・後楽園ホール
開始:18:30
▼8人タッグマッチ 30分1本勝負
W★ING金村/戸井克成/ワイルドセブン/雷電
vs
五所川原吾作/パンディータ/佐野直/ザ・ショッカー1号
▼女子シングルマッチ ノーロープ有刺鉄線デスマッチ 30分1本勝負
ミス・モンゴルwithミス・コハル
VS
ダンプ松本
▼FMWvsUWF全面対抗戦 ノーロープ有刺鉄線6人タッグデスマッチ 45分1本勝負
[FMW&W★INGモンスター連合軍]上田勝次/橋本友彦/松崎和彦
VS
[UWF連合軍]藤原喜明/冨宅飛駈/池田大輔
▼FMWvsUWF全面対抗戦 ノーロープ有刺鉄線タッグデスマッチ 60分1本勝負
[FMW軍]田中将斗/リッキー・フジ
VS
[UWF連合軍]中野巽耀/アレクサンダー大塚
▼メインイベント FMWvsUWF全面対抗戦 ノーロープ有刺鉄線8人タッグデスマッチ 無制限1本勝負
[FMW&W★INGモンスター連合軍]大仁田厚/雷神矢口/NOSAWA論外/保坂秀樹
VS
[UWF連合軍]船木誠勝/高山善廣/長井満也/佐野巧真
(記事・写真提供 超戦闘プロレスFMW)