超人イリエマンが“平成の仕掛け人”故永島勝司氏の墓前で語る、ヒクソン戦実現に向けての格闘技界最大の夢の仕掛けとは?

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 今年6月26日の世界格闘技の日での伝説のルールでの戦い、猪木VSアリ戦再現試合から1か月。試合は、プロレス・格闘技選手がボクサー相手に誰も勝つことが出来なかった最難関ルールで、奇跡とも言われながら勝利した57歳の超人イリエマン。昨年の試合では、リングサイドにアントニオ猪木の右腕で新日本プロレスの元取締役、故永島勝司の遺影を掲げながらも無念のドロー。そして、1976年6月26日の世紀の1戦から50年。必勝を期して臨んだ今回の試合の勝利報告の為に、永島氏の眠る大法禅寺に参拝中の超人イリエマンに直撃インタビューを敢行した。

――試合から1ヶ月が経ちました。50年の歴史で初めてのプロレス・格闘技側からの勝利です
「本当に厳しいルールでの戦いでした。戦前、世紀の凡戦の再現とまで揶揄された、昨年の元K-1ファイター内田ノボル選手との対戦がどうしても頭の片隅にチラつきました。帯同していたセコンド陣も、かなりイリエマン選手は緊張しているように見えたと言われてましたね。殺傷力十分の6オンスグローブ着用だったので、元プロボクシングランキング1位の中森(宏)選手のハ-ドパンチをまともに受けたら一巻の終わりだと感じていたのかもしれませんね」

――試合は21秒、アーム・バーでの秒殺劇でした
イリエマン「中森選手がパウンドに来てくれたことと、技が入ったのがリング中央に近かったことなどの偶然が重なり勝てただけで、もしあと20センチでもロープ際に場所がずれていたらエスケープされて試合展開は全く違うものになっていた可能性も十分ありました。とにかく、最終目標に向けて勝利できて、夢が首の皮一枚で繋がってよかったです」

――あと1試合での引退をかねてから公言しているが
イリエマン「ずばり、最後の相手は400戦無敗ヒクソン・グレーシー一択です。これは25歳の遅咲きで総合格闘技人生をスタートして、7ヶ月で全日本アマチュア修斗選手権を制覇した時からずっと世間に言い続けていることです。世界最強と謳われた男と闘うことだけの為に格闘技を初めて、それだけを目標にして生きてきたので、それを最後に幕引くしか考えていないです」

――修斗から、UWF直系団体キングダムに入団しました
イリエマン「1997年10月11日東京ドームでの高田延彦VSヒクソン・グレーシーの試合の時、高田さんが当時キングダム所属だったのが大きな要因です。キングダムに入り、1番になればヒクソンとやれると単純に考えての、若さゆえの行動でしたね」

――当時のキングダムは錚々たるメンバーが在籍していました
イリエマン「事務所に直接電話して、「新人は取ってませんか?」と直訴したのです。その時電話に出られたのが当時スタッフの木下(雄一)さんで、社長の鈴木健さんへ電話をつないでくれたのです。今でも木下さんは「俺があの電話を繋がなかったらイリエマンは誕生しなかった!」と言われますが(笑)」

――入団して、団体はすぐに崩壊しました
イリエマン「マジで焦りました。桜庭和志さんとかは既に高田道場に移籍していて、金原(弘光)さんや山本(喧一)さんはまだ残っていたのですが、すぐにリングスに移籍されて。1998年3月20日の旧キングダムの最終興業では安生(洋二)先輩と、自分だけの在籍でした。メインの安生さんのセコンドをしていて、これは鮮明に覚えていますが、安生さんがマーク“コブラ”ホールにダブル・リスト・アームロックで勝利後「キングダムを辞めて、フリーダムになります!」と宣言されたのです」

――それで、団体最後の選手となってしまったわけですね
イリエマン「もう、目が点です。その後は鈴木健さんに団体の運営を任されて団体名もキングダムエルガイツに一新して現在に至るという感じです」

――ずっと、30年近く、インディーズ禍中でヒクソン戦を熱望されていたのですね
イリエマン「本当に散々、馬鹿にされましたよ。嫌になるぐらい。スポーツ新聞にヒクソンと戦う可能性ある選手と並べられ、船木(誠勝)さん、桜庭(和志)さん、近藤(有己)さんなどはきちんと数十%で書かれているのですが、自分だけ0,001%と書かれたり(笑)まあ、扱ってもらえるだけマシで、ほとんど全く無視でした」

――ヒクソンと戦う為の署名活動もされたり、人が驚く奇抜なことも散々されました
イリエマン「それこそ、生前の永島勝司さんからの「人のやらないことを仕掛けろ!」という飲みの席での言葉が大きかったと思います。世界1過激なヒジ・頭突き・金的・ノーブレークのエルガイツルールをつくったのも、それこそ、世界1近い距離の打撃戦タイヤファイトをつくったのも、その流れからですね。永島さんには本当にお世話になっていて、鈴木健さんの用賀にある焼き鳥店、市屋苑で全くの無名選手であった自分に、当時新日本プロレスの取締役の永島さんが声をかけていただき、2000年7月30日に横浜アリーナで行われた、長州力対大仁田厚の有刺鉄線電流爆破デスマッチの大一番の前に、新設したUWFヘビー級のベルトをマスコミに披露してくれました。永島さんとロビーで握手した瞬間、けたたましいカメラのフラッシュに囲まれました。専門誌にカラーで取り上げて頂き、いい意味でメジャーシーンの洗礼を受けましたね」

――永島オヤジとは長い付き合いだった訳ですね
イリエマン「はい。新橋の赤札屋という居酒屋で、1杯100円のレモンチューハイを啜りながら話したものです。その頃から、自分の奇抜な発想や行動力は評価してくれていました。だからこそ、昨年の試合で勝てなかったことは悔しかった。永島さんの遺影の前で号泣でしたから」

――しかし、今年は勝ちました。ただ、最終目標であるヒクソン・グレーシー戦実現はヒクソンの現在の状況を見てもかなり低いように思われます
イリエマン「いや燃えますね。そう言われれば、言われるほど。でもヒクソンは近年、高田延彦さんに茶帯を出したりしてブラジリアン柔術での活動は続けられていると存じています。自分はブラジリアン柔術の黒帯も持っているのですよ。それこそ、U直系団体選手初の黒帯の自負もあります」

――柔術での対戦を望むと
イリエマン「はい。あくまで相手側の土俵で戦います。場所はどこでもいい。安生先輩がやったようにヒクソンの練習場所の直接出向くのもいい。自分の流派の黒帯を取得した、30年間、私の背中を追い続けた馬鹿が日本から来たとしたら・・・・」

――とてつもなく夢が広がる仕掛けですね
イリエマン「はい。しかしこれはあくまで最後の切り札です。決行日は2027年10月11日。ヒクソン対高田戦から30年後のその日です。その日までは、なんとか日本で対戦が実現できるように動き回るつもりです」

――どのように仕掛けるのでしょうか?
イリエマン「先日の試合後にコメントしたように今の総合格闘技界が隆盛を極めているのも、RIZINの前身であるPRIDEがあったからです。そこでキングダム所属の高田さんが、PRIDE1でヒクソンと戦ったからです。その後、旧キングダムは崩壊しました。これはあくまで理想であり、持論かもしれませんが、総合格闘技界はキングダムに大きな借りがあるわけです。UWF直系団体キングダムの最後の生き残りが、30年のインディーズでの暗黒の歴史を生き延びてきた男が、最後の最後に日の目を見て、親であるUの敵討ちをやり遂げる。こんな壮大な夢の仕掛けはないでしょう!」

――・・・・・なるほど
イリエマン「その為には、なんでもやります。リアルバリューや、令和の虎に出演したように影響力のある場に出まくるのもよし。また、RIZINに絡みつくのもよし」

――RIZINさんにまた迷惑かけるのですか。過去に会場前で出場嘆願の署名もやられました
イリエマン「実際に、ヒクソンVS高田戦から丁度30年後の2027年10月11日の再び東京ドームで興業を打てるとしたら、国内ではRIZINしかないわけです。これから俺は、榊原CEOを『殿!』と呼んで追いかけ回しますよ!」

――永島さんも、天国で大笑いして喜んでいるかもしれませんね
イリエマン「引退前の最大・最後の大仕掛け。何卒、もうちょっとだけ、お付き合いください」

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