【インタビュー】「心の中で『帰ってこいよ』を流して新間さんの追悼試合に臨みます」 ディック東郷が語る新間寿氏とユニバーサルプロレス

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 新間寿追悼興行として開催されるストロングスタイルプロレス6・12後楽園ホール大会にて、同氏とゆかりあるユニバーサルプロレス出身者であるザ・グレート・サスケ、ディック東郷が参戦しそれぞれ阿部史典、日高郁人をパートナーにタッグマッチで対戦する。当時のユニバーサルを知る東郷は、どのような思いでこの一戦に臨むのか、聞いてみた。(聞き手・鈴木健)

デビュー前の新人の出身地を把握した上でつけてくれた「巌鉄魁」

――ユニバーサルプロレス時代の新間寿さんを知る選手も、今となっては少なくなりました。
東郷「そうですよね。僕はユニバーサルに入門して息子さんの新間寿恒代表の方が先にお会いしていたんですけど、お父さんの寿さんとは確か試合会場の後楽園ホールで初めてお会いし、ご挨拶させていただいたと記憶しています。やっぱりプロレスファン時代から新日本プロレスでご活躍されていたことは知っていたので「ああ、この方が…」という感じでした。その頃、新間さんはスポーツ平和党の幹事長を務められていたと思うんですけど、息子さんの団体ということでかなりサポートしてくれていたんだと思います。ユニバって、メキシカンの選手を大量に呼んでいたじゃないですか。相当な費用がかかっていたはずなのに、当時の団体の力じゃ賄えきれない。表には出さずとも、そういう面で力を貸してくれていたはずです。」

――表に出さないところがダンディズムですよね。
東郷「僕らも当時、新間さん本人からそういう話を聞いたことがなかったですけど、見えないところでサポートしていただいた。それで団体が継続できた部分はあったと思います。個人的に何かを言われるようなことはなかったですけど、とにかく印象に残っているのは体ですよね。「ベンチプレスをやっている」「かなり重い重量を挙げている」というような話は伝わっていたんですが、実際に見ると本当にプロレスラー顔負けなぐらいにゴツくて。ゴルフにいっているからなのか、しっかり焼いていましたからね。あの当時でけっこうなお年だったんですよね?」

――90年代前半だと50歳半ばになりますね。
東郷「それであの体は凄いですよね。それほどの方でしたから、ただの新人の自分がフランクに話すようなことはなかったです。何かを言われて今も残っているというようなことはないんですけど、デビュー時のリングネーム「巌鉄魁(がんてつさきがけ)」をつけてくださったのが新間さんでした。」

――我々の認識では寿恒代表が考案したものだとばかり思っていたんですが、違うんですね。
東郷「直接言われたのは代表からです。その時「親父がつけたから」と説明されました。魁っていうのは、僕の地元に『秋田魁新報』という新聞があって、そこから採ったと。なぜか、僕が秋田出身だということを知っていたんです。」

――デビュー前の新人の出身地をちゃんと把握していたと。
東郷「はい。ただ「巌鉄」はどこから採ったのかは説明がなかったんですけど。そういうイメージだったんですかね。」

――新間さんほどの地位の方が一介の新人のリングネームをそこまで意味を持たせて考えてくれていたとは。
東郷「そうなんですよね。僕、新間さんの家を掃除したことがあるんですよ。代表から「実家の物置き掃除しにいってくれ」と言われて、マンションの2階だったか3階だったかな。その時も新間さんは不在で奥様…代表のお母さんしかいなかったんですけど。」

――「ディック東郷は新間寿の自宅を掃除している」というのもなかなかな史実です。
東郷「あとは、スポーツ平和党の事務所の手伝いもやりました。確かサスケ会長、外道さんも一緒だったと思います。ユニバの若手が駆り出されてチラシを折り込んだりしたのかな。事務所にアントニオ猪木さんはいなかったですけど、僕ら若手と新間さんはそういう接点でした。」

新間さんとグラン浜田さんの関係がなければユニバはできていなかった

――ユニバーサルを離れた以後は?
東郷「ほとんどなかったです。来年、僕は35周年になるんですけど、亡くなられたという情報を見た時はその分の空白があったんだと思って。あの頃は自分が若かったからというのもあるでしょうけど、すごく上の年配の方に見えたのに、それからさらに35年近くご健在でいられたことになるんだというのが率直な思いでした。その2ヵ月前にグラン浜田さんも亡くなられて…浜田さんがユニバーサルに参加したのも、幹事長との関係があったからじゃないですか。お二方の関係がなければユニバーサルはできていなかったかもしれない。」

――今回、追悼試合として日高郁人選手と組み、ザ・グレート・サスケ&阿部史典と対戦します。やはりというべきか、ここでサスケ選手と絡むのは必然のように思えます。
東郷「思い起こせば、渋谷の宇田川町でユニバの上映会をやるというんでいってみたら、交番の前で三度笠を被って呼び込みをやっていたのがサスケ会長との出逢いですからね。それがここにつながっていると思うと…もう、ユニバ出身の現役選手も限られてきていますからね。」

――日高選手とのコンビ結成は2017年3月12日、プロレスリングBASARにおける中津良太&関根龍一以来8年3ヵ月ぶりになります。
東郷「日高とは、彼がZERO1にいって僕がフリーになった以後はしばらく一緒にやる機会がなかったんですけど、みちのくプロレスでやっていたFEC(ファーイーストコネクション)は僕が今までやってきたユニットの中でも特に思い入れがあって。日高とも連係のレパートリーをいくつも考えたりして自分のプロレスを進化させていく上でいいパートナーだったと思います。日高もアイデアマンなんで、組んでいた時は本当に楽しかった。その感覚を今回、蘇らせてやりたいですね。」

――ストロングスタイルプロレスのリングへ上がることに関しては?
東郷「前の団体名の時に上がってはいるんですけど、僕もアントニオ猪木さんのことを尊敬しているのでストロングスタイル自体は理解しているつもりです。ただ、そこを目指してはこなくて、自分なりのプロレス観を築いてきた。そんな自分が新しいストロングスタイルのリングに上がることでどんな感覚になれるかですね。会場の雰囲気を見るのも楽しみですし。どれほど時が経って、どんなキャリアを積んできても、やっぱり僕の原点は新間幹事長につけていただいた巌鉄魁なんですよ。だから当日は…『帰ってこいよ』(巌鉄の入場テーマ曲)を心の中で流して入場します。」


『初代タイガーマスク ストロングスタイルプロレスVol.34 THE 20th ANNIVERSARYー“過激な仕掛人”新間 寿 追悼興行ー』
日程:2025年6月12日(木)
開始:18:30
会場:東京都・後楽園ホール

対戦カード
▼タッグマッチ15分1本勝負
ザ・グレート・サスケ(みちのくプロレス)/阿部史典(格闘探偵団)
vs
ディック東郷(みちのくプロレス)/日高郁人(ショーンキャプチャー)

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