【インタビュー】「日高郁人はまだ死んでない、まだ生きてるぞ!と胸を張って言える闘いを見せたい」初代タイガーマスクの前で王座戦を行う日高郁人が“虎”になる覚悟を語る!

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 ストロングスタイルプロレス12・5後楽園ホール大会で日高郁人は、大日本プロレスの関札皓太を挑戦者に迎え、BJW認定ジュニアヘビー級選手権試合をおこなう。キャリア28年、52歳。ベテランと言われる存在になった今こそ、闘いの最前線に立ちたいと語る日高。少年時代あこがれたタイガーマスク 佐山サトルのリングで初開催される同王座戦を通して「日高郁人はまだ死んでない、まだ生きてるぞ!と胸を張って言える闘いを見せたい」。日高が12・5後楽園へ、虎のリングに懸ける強い覚悟を語った。

――ストロングスタイルプロレス12・5後楽園ホール大会、日高選手はBJW認定ジュニアヘビー級王者として大日本プロレスの挑戦者・関札皓太を迎え撃ちます。
「8月(=大日本8・12後楽園)にベルトを取った際、先生(=初代タイガーマスク・佐山サトル)に報告させていただいたんです。そしたら先生が「ウチでも防衛戦をやってよ」と言っていただいて。大日本では一度、防衛戦(10・13札幌)をしてるんですけど、ベルトを奪取した試合で闘った関札皓太、彼がフィジカル的にも技術的にもすごくレベルが高くて。彼は動画でアップしてますけど、厳しいトレーニングをしてるんだろうなというのが対戦してすごくよく分かって。8月の後楽園では僕が勝ちました。ただ、次やったらどうなるかわからないぐらいの強敵ではあるんですけど、ストロングスタイルプロレス、佐山先生のリングでジュニアヘビー級のタイトルマッチをおこなうというのはすごく光栄なことですし、時代が変わろうとレベルの高いタイトルマッチをやらなくてはいけないと思うので」

――だからこそ関札選手を挑戦者に指名したと。
「そうですね。こう言ったらなんですが、簡単に防衛できる相手とタイトルマッチをやっても意味がないというか。プラス個人的に、先日、6人タッグマッチで対戦した時、僕がKOされたような形で試合が終わったので。その借りを返したいという気持ちもあって、佐山先生がご覧になっていただける前で関札皓太とタイトルマッチをやりたいなと」

――ある意味、リスクの大きな防衛戦になると思うのですが?
「さっきも言いましたけど、やはりストロングスタイルプロレスでやる以上、スレスレのせめぎ合いを見せたいなと。僕はショーンキャプチャー所属として活動してますけど、ストロングスタイルプロレスは第二のホームリングなので。僕がチャンピオンである意味というか、こうやって大日本の関札皓太とストロングスタイルプロレスで防衛戦ができるという時点でひとつ成功というか」

――ストロングスタイルプロレスと大日本プロレスをジュニアのベルトでつなげる。日高選手だからこそ実現できる闘いだと思います。
「ただ、それで終わりじゃなくて、防衛しないと大成功とは言えませんから。でも、こういう自分を追い込むようなシチュエーションは僕的にも燃えます。やっぱりね、生きてるか死んでるかわかんないような状態が一番面白くないので」

――どういうことでしょうか?
「キャリアを重ねてくると、海外の選手とも交流が生まれたりするんです。先日、石森(太二)選手の興行に出た時、ロビー・イーグルスとか昔教えた選手に会えたりするんですけど、ある選手とやり取りをしたとき、「ところで日高、お前はいま試合をしてるのか?」って言われて。もちろん試合はしてたんですけど、雑誌に載るわけでもなく、誰かに届く試合をしていたかと言われたら」

――とはいえ、なんとなく試合をこなしていたほうがある意味、楽なんじゃないでしょうか。
日高 楽かもしれないですね。でも、楽したいんだったらリングに立たなきゃいいし、プロレスラーになってないですから(笑)。それにキャリアを重ねたからといって、 若い選手に気を使われる先輩にはなりたくない。若い選手が遠慮なく全部をぶつけてこられる選手であり続けたいって思うので。そういう意味でも僕はまだ死んでないぞと。まだ生きてるぞと胸を張って言えるように、磨いていかなきゃいけないなと思ってます」

――若い選手という意味で言うと、日高選手はストロングスタイルプロレスの男子部門コーチを務めています。昨年2月、生え抜きの間下隼人選手が遅咲きのレジェンド王座初戴冠を果たした裏には日高さんの存在が大きかったと思います。
「2021年1月からなので、気づけば4年が経ちます。その当時からスーパー・タイガーはある程度、団体のエースという感じでしたけど、間下に関してはキャリアの割にまだ結果は残せずにいたなかで、リングでの練習に加えて、ボディーメイクについても聞いてきて。練習のメニューだったり、食事だったり。当時はまだ80kg台だったのが、いまは120kgぐらいありますからね」

――メチャクチャ大きくなりましたよね。
「体を大きくするにも素質がある人とない人では全然違うので。間下は素質があったんだと思います、それまでやってこなかっただけで」

――虎の仮面をかぶれなかった、いわば劣等生の間下選手が団体最高峰のベルトを巻く日が来るなんて思ってもみませんでした。
「以前UWAのベルトは取ってましたけど、レジェンド王者になり、後楽園ホールのメインをきっちり締められる選手になりましたからね」

――そんな間下選手に負けじと、日高選手がこの夏、BJW認定ジュニアを奪取。52歳、キャリア28年の初戴冠でした。
「このベルトの前身に僕が挑戦したのが1998年。あの時、TAJIRIさんに負けて以来だから、26年ぶりの初戴冠ですからね(笑)。今年に入って、また大日本プロレスに参戦させてもらうようになりました。この年齢、このキャリアはもうベテランですよ。それは覆しようがない。だけど、昔ヒット曲飛ばした歌手が名前だけで使われるようじゃ、やってる意味ないと思うから。歌手で例えるなら日々ライブをやりたいし、いまでもヒット曲を飛ばしたい。僕はプロレスラーだから常にリングに立ちたいし、名勝負を残したい。最前線で闘って、ベルトも巻きたい」

――その思いを有言実行しているわけですね。
「このベルトを取って、52歳にして生きてる証が見せられたかなとは思いますね。そして、そのベルトを持ってストロングスタイルプロレス、佐山先生のリングで防衛戦ができるわけですから感慨深いものがありますよ」

――日高さんがプロレス好きになったキッカケは…?
「タイガーマスクです。小学生の頃の僕は別にプロレス好きだったわけじゃなくて、いったらヒーローモノが好きで、アニメの「タイガーマスク二世」が好きでよく見ていたんですよ。その流れで子ども雑誌を読んでたら、どうやらタイガーマスクは実際にいて、リングで試合をしてるらしいぞと。ウルトラマンも仮面ライダーもテレビの中だけなのに、タイガーマスクは実際にいるんだって、プロレスに興味をもつようになって。8歳とか9歳の頃だったと思います。それからプロレスを見るようになり、漫画のプロレススーパースター列伝も読んだり、プロレスの雑誌を買ってもらったり。余談ですけど、初めて買ったプロレス雑誌がDeluxeプロレスで、そこに大きく載ってたのがジャガー(横田)さんだったんですよ」

――SSPW女子部門を統括していたジャガーさんが。
「はい。巡り巡ってジャガーさんと仕事させてもらって、ミーティングとかの合間に、ラ・ギャラクティカとの抗争の話を聞かせてもらったり(笑)。だからタイガーマスクだけじゃなくて、マスカラス・ブラザーズとかいろいろいるんだ、おもしろいなって。だから当時は僕、マスクマンが好きだったんですよ」

――そうだったんですね。
「マスクマンにはなれなかったけど、だからいまオーバーマスクを被ってるんです(笑)」

――たしかに。
「次の関札皓太戦ではタイガーマスク仕様のオーバーマスクを新調する予定なんです」

――そこにも初代タイガーマスクへのリスペクトが込められていると?
「はい。タイガーアーツの中村ユキヒロさんに確認をとりつつ、僕のコスチュームをいつも依頼している仮面道さんに製作を依頼しています。子どもの頃からのあこがれのヒーローですから。デビューした格闘探偵団バトラーツでは対戦もさせてもらいましたし。僕、あんまり緊張とかしないんですけど、あの時は28年のキャリアで一番緊張しました。というか怖かった」

――怖かった。
「後にも先にも初めての感覚でした。僕が先に入場して、先生が出てくるのを待ってたら、素顔で道着姿で出てきたんですよ。それで動揺してたら、リング上でマスクをつけられて。試合は逆さ押さえ込みで僕が負けてしまったんですけど、タックルを仕掛けたところを切り返されて押さえ込まれて。それまでいろんな選手に何度も仕掛けられた逆さ押さえ込みでしたけど、ガッと決められてまったく動けなかったですね。本当にすごかったです」

――時代時代でタイガーマスク、佐山先生とのかかわりがあったんですね。
「ある時、先生がおっしゃっていたんですけど、僕はベビーフェースだと思ってタイガーマスクの試合をしたことはない。とにかく相手を倒す、それしか考えなかったと。確かにタイガーマスクの試合を見返すと、相手を倒しにいってるんです。相手を倒すためにすごく厳しいプロレスをやられてる。僕がもう一度プロレスと向き合いなおすキッカケになった言葉ですね」

――その教えは52歳になったいまも日高さんに息づいている?
「そう思います。スーパー・タイガー、間下、ウチの青木(いつ希)、なんかにもそういう教え方をしていますし。先ほどジャガーさんとのつながりの話をしましたけど、その縁もあってタイガー・クイーンを僕が指導させてもらうことがあって」

――クイーン選手にも。
「そうなんです。僕が佐山先生から学んだことを僕なりに伝えていけたらなと」

――佐山さんから日高さん、日高さんからクイーンら若い選手へと継承されてるわけですね。
「そういう部分も52歳、キャリア28年の僕がストロングスタイルプロレスにかかわらせてもらってる意味だと思うので。ストロングスタイルプロレスもそう、大日本もそう。いま上がってない団体でも今後上がらせてもらうんだとしたら、上を目指さなきゃ意味がないと思うし、年を重ね、キャリアを重ねた日高郁人だからできることをやっていきたい。ベテランが必死になって闘う姿を見せることで、その団体の若い選手たちにも刺激になるだろうし。日高郁人は生きてるぞと、闘いを通してそれを見せていきたいと思います」

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