【全文掲載】「ハンセンとの約束は引退まで守った」コロナで流れた小橋建太vsスタン・ハンセンのトークバトルが実現!ハンセンが伝授したラリアットの極意を小橋が明かす

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 14日、東京都・後楽園ホールにて、小橋建太プロデュース興行『Fortune Dream8』が開催され、小橋建太vsスタン・ハンセンのトークバトルが行われた。

 これまでは年に1度行われてきた『Fortune Dream』では、小橋が大物選手たちとのトークバトルを実施することが定番となっており、これまでには長州力、天龍源一郎、佐々木健介、豊田真奈美、蝶野正洋、前田日明と激闘を繰り広げた。
 コロナ禍に入ってから開催されずにいたFDは昨年約3年ぶりに復活。前回大会では小橋建太vsスタン・ハンセンのトークバトルが予定されていたが、ハンセンが新型コロナに罹患して来日が不可能となったため、盟友である川田利明&田上明が緊急参戦し3WAYトークバトルを開催。生真面目な小橋と、それを茶化す川田、そして現役時代の記憶があまりにもあやふやな田上のトークバトルは大いに盛り上がりを見せ、災い転じて福となす結果に終わった。

 今年は、昨年叶わなかった小橋vsハンセンのトークバトルが1年越しに実施。
 小橋が大歓声に迎えられて入場するも、ハンセンの曲がかかると会場が割れんばかりの大歓声に包まれ、ハンセンコール一色に染まる中でハンセンがリングイン。小橋と握手&抱擁を交わす。
 激励賞贈呈式の後に小橋が青コーナー、ハンセンが赤コーナーに立って選手コール。

――まず小橋さん、リング上でハンセンさんと久しぶりに対峙しての気持ちは
小橋「燃えてきました!もうね、昔リングに先に入場するでしょ?そのあとハンセンの音楽が鳴ると、いつも『今日もハンセンか……』というのがあったんですけど、途中から『今日もハンセンだ!』『よし!今日こそやっつけるぞ!』という思いが段々強くなってきた、そういう背中を追える選手でした」

――ハンセンさんは小橋さんと久しぶりに対峙してみていかがですか
ハンセン「若い時から見てますが、若い時から『絶対負けないぞ!』という気持ちで頑張ってきた人で、それを見て『コイツは叩きのめさなきゃ』『コイツはやっつけておかなきゃ』と思って僕も色々やりましたけど、それでも辞めたりしないで頑張って上までのし上がっていきましたよね」

 ここで、今回が小橋がハンセンにひどい目にあわされる映像が用意されていることが明かされ、まずは1993年4月の後楽園ホールでコーナーからダイブしてきた小橋をハンセンがラリアットで叩き落とす映像が流される。

――これは覚えていますか?
小橋「もちろん覚えてます。ここ(目の前の青コーナーを指して)のコーナーです(笑)このときの僕は110kg以上あったはずなんですけど、それが、セカンドロープから飛んできたんで、それをラリアットで返すっていう。『まさか、そんなことはないだろう』って思ってたことを、その時のラリアットで返してきたことはもう、忘れられないですよね……。他の人に出来ることじゃないです。スタン・ハンセンだから出来たことです」

――ハンセンさんはこの場面を覚えていますか
ハンセン「よく覚えてますよ(笑)ただ、あそこに登るのは基本的には反則なんですね。なので、僕はあそこでラリアットを出したんだ(笑)」
小橋「いやあ、反則じゃないです!(笑)」
ハンセン「いや、厳密に言えば反則だぞ(笑)」

 続いて、1993年7月の、コーナーに上った小橋をハンセンがラリアットでリング内に叩き落とす映像が流れる。

小橋「これはひどい」
ハンセン「その前に何回僕のこと叩いた?そこを見落としてやないかい?(笑)」
小橋「いやっ、私が殴ったけど、その前に何発も僕を殴ってますよぉ……」
ハンセン「もしかしたらそうかもね(笑)本当は毎回ロープに飛ばしてラリアットを撃ちたいんだけど、小橋はカウンターが上手だから、いろんな方法で違う角度・方法から入ることを覚えたよ」

――小橋さんがハンセンのラリアットを進化させたとも言えますね
小橋「言い方を変えればそうなんですけど、やっぱり、自分は、僕はいろんなことが進化していくことに対して、ハンセンさんはキャリアがあるにも関わらず、トップ選手がその進化に負けないでいこうとしてる、その熱心さ、プロレス魂、プライドにビックリしましたね」

 続いて、1989年4月、試合に負けて荒ぶるハンセンが暴れているところを止めようとした若手時代の小橋がハンセンにラリアットを叩き込まれる映像が流される。

小橋「これはひどい」

――試合に関係ない小橋さんになぜラリアットをしたのか教えてください
ハンセン「今の映像は最高でしたね!(笑)ただ、自分が負けたところだけは気に入らないが、最後のラリアットはよかった。……なぜかって?それは小橋に聞いてくれ」
小橋「いや、よくないでしょ!(笑)」

――映像に残っているもの以外でも、たくさんラリアットをやられているそうですね
小橋「いやあ、テレビ中継がある・なしに関係ないですからね。ハイ。もう、無いとこでもいっぱいやられてます。さっきのVTRで分かる通り、乱闘になったときに誰も(止めに)行こうとしないんです。それはハンセンの暴れっぷりが分かってるからみんな行かないんです。んで、行ったら最後、捕まってしまう……」

――若手の中で小橋さんはラリアットを撃ちたくなるくらい目についた選手だったのですか?
ハンセン「ずーっと目は付けてました。若い頃から『あっ、この人はトップまで行くな』とあのときから分かっていたので、狙っていたよ(笑)おそらく、ジャイアント馬場さんもそう思って、徹底的にやってほしかったんだと思う。絶対やるっていうのは馬場さんも分かっていたことだから」

――馬場さんの指示だった?
ハンセン「そう勝手に思ってます」
小橋「若手の頃ねえ、体中に傷があったんですよ。それは、ハンセンのイス攻撃であったり、パンチであったり、キックであったり……。よく寝技で耳をやってくることあるでしょ?昔、ハンセンと宮城でチャンピオン・カーニバルの試合やったときに、パンチで耳が腫れたんです。もう血を抜かないといけないくらい腫れたんです」
ハンセン「ソーリーソーリー(笑)」
小橋「待って待って。もっと謝ってもらわなきゃいけない!(笑)」

 続いて、1991年7月、ハンセンが流血で逆上し小橋をイスで滅多打ちにしてから逆エビ固め葬にする映像が流れる。

小橋「これはひどい。いやあ、あの、イスであんな殴って良いものですか?」
ハンセン「いいでしょ」
小橋「イスは座るものです!」
ハンセン「そういう考え方もあるね。ちょっとやりすぎちゃったかもしれないけど、そうされてもしょうがないことをしていたと思うよ?(笑)」

 続いて、1999年12月、世界最強タッグリーグ優勝を逃して怒り狂い、小橋を盾で殴って八つ当たりする映像が流れる。

小橋「これはひどいですねえ!(笑)これはね、あれは音が入ってるわけじゃなくて、ホントの音ですよ。あの盾ってメチャクチャ硬くて重いですよね。それ考えたら本当に酷いことをしているんですよ!なぜそれが分かってもらえないのか!なんで僕のほうが悪くなるのか!(笑)なぜあんなことをしちゃうんですか?」
ハンセン「うぅ~ん、しらないなあ~(笑)まあまあ、僕が悪かったよ、認める認める(笑)」 
小橋「あのとき僕は、スタン・ハンセンの衰えない闘志を感じました」
ハンセン「そっちこそ、本当にファイティングスピリットがすごかったからこそ、あそこまでやらなきゃいけなかったんだ」
小橋「すごくその答えは嬉しいんですけど、嬉しいんですけど、なんかこう……嬉しいんですよ?嬉しいんですけど……。まあ、そうですね。スタン・ハンセンという人がいなかったらここまで上がってこれなかったから。僕はハンセンさんのキャリアの最後のライバルと自分は思ってます。そして、僕の先生です。アメリカの先生」
ハンセン「ありがとう、最高の褒め言葉だよ。17歳とか18歳で入ってきて、いったいなにを教えたのかはよくわからないけど、絶対にトップに立つ選手だっていうのは分かってたからね」
小橋「なにを教えたっていうよりも、闘いを通じて、試合を通じて、プロレスラーとしてのプライドと、タフじゃないとこの世界は生き残れないんだということを、試合を通じて教えてもらった。だから、僕はアメリカの先生だと思うんです」
ハンセン「ありがとう。ただ、あのときは本気で潰そうと思って闘ってたよ(笑)でもそのファイティングスピリットでトップに立つことが出来て、本当に行けるところまで言ったと思うよ」
小橋「そのファイティングスピリット、気持ちが無かったら僕は多分、途中で終わってました。その思いがあったから、跳ね返せた。『絶対負けない!』という思いで立ち上がりました。……もうビデオは終わりですか?」

――終わりです(笑)最後の最強タッグの試合では、スタン・ハンセン&田上明vs秋山準&小橋建太の試合で、秋山さんが田上さんに勝って優勝を決めました。なんで小橋さんがやられたんでしょうね
小橋「……それは聞きたいよねえ」
ハンセン「メガネを外すとなにも見えないから小橋だってことも分からなかった!」
小橋「いや、あれは完璧に狙ってましたよ!(笑)」
ハンセン「……まあ、そうだねえ(笑)」
小橋「僕はね、この後楽園という場所、さっきもセカンドロープから飛んでラリアットされたり、そういった思い出がありますけど、ハンセンさんと一番最初にシングルマッチをしたのも後楽園なんです。4分くらいで負けました」


――1990年2月21日、4分8秒で小橋さんが負けています
小橋「そうです。そして、僕がラリアットをフィニッシュホールドにするようになって、ラリアットに自信を持ってラリアットを使うようになって、ここ後楽園で僕は試合前に練習に来て上がろうとしたときに、ジョーさんが僕を呼び止めたんです。ジョーさんが、『小橋、ハンセンが呼んでるよ』って。それで、控室に行くと、ハンセンさんが1人でソファーに座ってたんです。入って、『お前がラリアットを使うのは分かった。でも、ラリアットっていうのは1発で倒すのが本当のラリアットだ。何発も何発もやって倒すのはラリアットじゃない。1発で倒せ。それが本物のラリアットだ』って教えてくれて、アドバイスくれて。それでそのときそのまま部屋を出ていったんですけど、その時の教えをずっと僕は引退するまで守って……フォールを獲れないときはありましたけど、1発でぶっ倒すっていうのは最後まで約束を守れたのかなと思います。どんな相手が大きくたって、ハンセンはアンドレもラリアットで場外にふっ飛ばしましたよね。ああいうのを見てると、やはり、どんな大きな相手でもやる以上は絶対に1発でぶっ倒すという思いでやっていました」

――小橋さんのラリアットについての印象を教えてください
ハンセン「褒め言葉をありがとう。そのときの会話はよく覚えている。本当に、フィニッシュホールドは1発で決めるものなんだ。なぜかと言うと、自分の大事なフィニッシュホールドっていうのは株を下げてはいけない、安物にしてはいけないものなんだ。だから、1発で決められないと思ったら使うべきではないんだ」
小橋「ラリアットに対してのプライドを、すごくそのときに、話してる時間は短かったんですけど、そのときすごくラリアットに対する思いっていうのを感じました。『中途半端には使えないんだ』って」
ハンセン「プロレスだけではなくスポーツはなんでもそうだと思うが、勝てないときは絶対にある。負けたときや、『今日の試合は良くなかったな』と思うときがある。そのときに選手は、どういうふうにすれば次の試合に上手く行かせることが出来るか、相手を仕留めることが出来るんだろうと考えるものだ。だから、自分が言ったことが役に立っているのであれば嬉しく思う」
小橋「役に立ちました!」

――小橋さんが三冠戦でハンセンさんにラリアットでフォール勝ちをした試合がありましたが、ハンセンから見た小橋さんのラリアットはどうでしたか
ハンセン「体格もスゴいし、パワーもあるし、正直言って自分がラリアットで負けた試合はあまり記憶には残っていないんだけど、小橋のラリアットで負けたのはもちろん記憶にある」
小橋「日本人でハンセンにラリアットで勝った人はいないと思うんです。それを、やれたとき、フォールできたときっていうのは本当に感無量でした」

――逆に、小橋さんがハンセンさんにやったひどいことで覚えていることはありますか?
小橋「無いですよぉ!」
ハンセン「数々の激闘はよく覚えてる。僕だって、散々貴方にされてますよ?(笑)ただ、それでも最後の最後まで諦めずにガンガンフルパワーで来たので、僕も結構受けてるよ。頼むからもうやめてくれっ!(笑)」
小橋「ハンセンの胸があったらチョップしたくなるし、ブレーンバスターの体勢になったら持ち上げたくなるし。昔ね、ロープを挟んで持ち上げたときに、バチーって、ハムストリングスが肉離れ起こしたことがあって。でも意地で投げたいって思うような相手でした」

 今回の小橋vsハンセンの試合は、30分時間切れ引き分け。2人はしっかりと抱き合い、記念撮影を実施。2人の次の戦いにも期待が持たれる。

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