【インタビュー】選手コスチュームを縫い続けて20年!縫うことが大好きだった少女が格闘家&プロレスラーに愛された理由とは
「プランギャズ」という、格闘技選手のコスチュームを作るブランドをご存じだろうか。
主宰は高橋真美さん。
ディファ有明がまだ会場として使われていた頃、パンクラスでフラッグガールとして選手をエスコートしていた人と言えば、ああ、あの人! と思い浮かぶ人も多いだろう。
選手のコスチュームにはさまざまなものが込められている。
選手がいつもと違うカラーのコスチュームを着けていたり、新しい衣装で入場したりしたとき、何か気持ちに変化があったのかな? 試合もいつもと違うかもしれないと期待するファンもいるのではないだろうか。
日々、コスチュームを作る高橋さんが、プランギャズの20周年を記念して大会を開催する運びとなった。6月12日、大会を前にした高橋さんの意気込みを聞きに、アトリエへお邪魔した。
日曜日で人通りも少ない銀座だが、アトリエでは忙しくミシンを踏む音が響いていた。
「日曜日もお休みは関係ないですね」と高橋さんは言う。
プロレス、総合格闘技をはじめ、ボクシング、キックボクシングなど、さまざまな競技の選手たちのコスチュームを制作する。
ひと口に20周年と言っても、続けることは何大抵ではない。
「あんまり振り返ることはないんですが、今回、準備していて、改めて独立する前のことや、独立したばかりの頃のことを思い出したりして。あっという間だったようでいろんなことがあったなあという感じですね」
始めた時は1人。現在は真美さんとスタッフはアシスタントの2人で1着1着心をこめ、丁寧にコスチュームを制作している。
昔から、「縫う」ことが大好きだった。
縫う仕事のスタートは、コスチューム制作会社に入ったことだった。
「M&Mカンパニーという会社に入ったんです。
アルバイトの広告で『レオタード・シューズ制作』って書いてあったんですね。そこに『その他舞台衣装』っていう言葉もあったので、受けてみようと思いました。
もともと舞台衣装を作りたいっていう気持ちがあったんです。
普通のアパレルだとメーカーの希望したデザインを作らなくてはならなくて、それだと作るものが限られてしまうんです。自分でイチから全部デザインして縫えるものを作りたいと思った時に、普通のお洋服よりも、舞台できらびやかなものを作りたいというこだわりがありました。
面接に行くまで何屋さんかも全然知らなくて、お芝居の会社かな?と思って行ったら、壁に(獣神サンダー)ライガーさんのポスターが貼ってあって。それを見て『プロレスの衣装屋さんだ!』って思いました(笑)。
びっくりしましたけど、でも、全身タイツとか、ツノが付いたマスクとか、これを縫えたら何でも縫えるんじゃないかと思って。それで、お願いしたらその日に受かって、いつから来られる? ってなったんです。
M&Mのグループ会社がシマスポーツ(※プロレス系のコスチューム等の制作会社)さんというところなんですけど、タイガーマスク選手のコスチュームを作ったメーカーさんで、新日本プロレスさんとか、ほとんどのプロレスラーの衣装をまかなっているようなブランドなんです。私が入社したM&Mカンパニーは、そこのグループみたいな会社だったんですね。
面接はシマさんに行って、M&Mさんに配属になったという感じでしたね」
面接に受かり、入社は決まったものの、当時はプロレスのことは何も知らなかった。
「選手も全く知らないし、技とかも全然わからないし、コスチュームも何を作っているのか何もわからなくて。
会社には、何だか不思議な型紙がいっぱいありました。普通のお洋服を縫うのとは全く違うので、学校で勉強したことが5%も使えなかったですね(笑)。
仕事をしていくうち、ライガー選手のマスクも縫いました! 新日本プロレスさんの闘魂ショップさんに卸すものだったりですね。でも、新日本さん、全日本さん、団体に関わりなくいろいろ作りました。
初めてプロレスを観戦したのが、10・9新日本対UWFの伝説の大会(1995年、東京ドーム『激突!新日本プロレスVS UWFインターナショナル全面戦争』)だったんです。それこそU系がすごく流行っていた時期だったんですけど、私はプロレスのことを何も知らなかったので『オレンジのパンツの人(※武藤敬司)勝った!』くらいの感想しかなくて(笑)。今思えばもったいなかったです」
夢中で縫い続けたが、7年目で独立を決めた。
「M&Mさんでは7年お世話になりました。
会社を辞めても、縫う仕事は続けたいという気持ちがありました。
でも、一人でお仕事できるとか、経営者になれるなんて全く思っていませんでした。
ただ、縫うお仕事って身近にあったりするじゃないですか。丈詰めだったりお直しだったり。だから、ミシン1台あったら何かできるなと思って。
とりあえず、元いた会社を退職するときに、自分へのご褒美に工業用ミシン(※家庭用ミシンより構造が複雑かつ高速・高性能で、使用には高度な技術を必要とするプロ用ミシン)を1台買おうと思っていたんですよ。それで、何の気なしに屋号を持ってみようかな? くらいの感じでしたね。最初は。
どんな仕事ができるのか、ちゃんとしたビジョンはなかったんですけど、7年間会社で仕事をさせていただいて、リングコスチュームって本当に面白いなと思うようになったんです。
プロレスのコスチュームは、本当に一筋縄ではいかないようなものばかりなので、すごく経験になりました。なので、辞めた時点で『形にできないものはない』っていう自信はあったんですよ。だったら、頑張って営業に行ったら、もしかしたら仕事取れるかもしれないと思って」
記念すべき「プランギャズ」最初の制作は、ある格闘家のコスチュームだったという。
「独立することになった時に、それまで担当させていただいていた方にご挨拶をさせていただいたんですね。『私は辞めることになりましたが、M&Mなら間違いなく良いものを作ってくれますので』とお伝えしていたました。
そこで、その選手は『え、真美ちゃんじゃなきゃ作れない!』って言ってくださったんです。いろいろ細かい打ち合わせをさせていただいていたからかも知れません。
その時は、平縫いのミシン1台しかなかったんですけど、それでも縫えるものだったら作れます、と。それが一番最初でした」
しかし、全てがうまくいったわけではなかった。
「(縫うこと自体は)できると思ったんですけど、最初の半年くらいは全然売上がなくて。80万円くらいしかなかったんですよ。これではバイト以下だ、と。それで、やるんだったらちゃんとやらなきゃと思って営業に行くようになったんです。
格闘技界とは何も繋がりはありませんでした。
それで、体当たりでいろんな方に紹介していただきました。
最初はボクシングの方に営業に行ったんですね。 M&Mさんもシマスポーツさんも老舗のお店だったので、プロレスはもう市場ができているので、隙間がどこだろうと思った時にボクシングだったんです。
それで、知り合いの選手の方にボクシングジムの会長さんを紹介していただいて、ご挨拶と営業回りをして、そのジムの会長さんからまた別の会長さんを紹介していただいて……という感じでしたね。なので、最初はトランクスとかガウンの制作が中心でした。
それまで縫うことしかして来なかったので、経営とか営業とかご挨拶っていうのは全くできない小娘みたいな感じでした。でも、縫うことに関しては自信もあったし誇りもあったので、そこだけは馬鹿にされたくないという気持ちがありました。『何も知らないですけど、良いものを作ります!』みたいな感じで挨拶に行きましたね」
とにかく縫うことが好き、良いものを作りたい――その気持ちに突き動かされ、高橋さんは慣れない営業に回った。
「ボクシングは営業に行ったんですけど、それ以外はクチコミでお客様が紹介して下さいました。ボクシング関係からキックボクシングに紹介していただいたり、なので、大きな広告を打ったりしたことはなくて。
総合の方はパンクラスさんの関内の道場(※当時、パンクラス横浜道場)にご挨拶に行ったんです。最初、プランギャズは横浜で立ち上げたので、パンクラスさんも横浜だし、お付き合いの長い選手もいました。
渋谷(修身)さんが最初「来ていいよ」って言ってくださったんですよ。それで、ご挨拶だけでもということで道場にうかがったら、鈴木みのる選手がいらっしゃって。
鈴木さんはM&Mのことを知っていてくださったんですね。それで、鈴木さんが『この子、独立したばっかりで仕事がないから注文してあげて』って道場の皆さんに言ってくださったんです。
その頃は、まだ1〜2回しかお話したことなかったんですけど『お前なんも仕事ないんだろ、みんなに紹介してやるからさ』っていう感じで、本当にありがたかったですね。
10人ぐらい選手のかたがワッと並んで下さって。川村さん(※現・ロッキー川村2)がいたり、窪田(幸生)さんがいたり。そのあたりから、佐藤光留さんもずっと注文して下さって。
そこから横の流れでお声がけいただいたりするようにもなりました。
それから、鈴木さんがプロレスの方に行かれるようになってから、プロレスのお仕事もいただいたりするようになりました。
プロレスに関しても、デザイナーの人が『真美さんじゃないと作れない』と言ってくださったりして、だんだんお仕事をいただけるようになっていきました。
スターダムの皆さんも半分くらい作ってくださっているんですけど、最初に紫雷イオ選手が作って下さって、そこからイオさんの作ってるお店どこ? みたいな感じで話題になっていたみたいで、そこから女子のお客さまがすごく増えましたね。
総合だとシバターさんもそうですけど、(浅倉)カンナ選手、浜崎(朱加)さん、オークレアー真珠選手、何回かですけど山本美憂選手も作らせていただきましたね。KRAZY BEEの朴(光哲)選手や、あとKIDさんも最後の試合のコスチュームに、全部ではないんですけど携わらせていただいたりしました」
こうして、プランギャズのコスチュームのファンは次第に増えて行った。
普通の洋服でも、着やすい服、着づらい服がある。たった何mmかの違いでも、身体にフィットしないと違和感を感じてしまうものだ。ましてや、身体を大きく、激しく使う格闘技では、その何mmかが試合に大きく影響することもある。
さらに、プロの世界では、“見せる”部分として華やかさも求められる・
「ボクシングの世界も以前とは変わってきて、キックでも天心選手が派手にされているので、試合だけで見せるんじゃなくて、エンターテイメントとしてきらびやかになってきていますね。ただ試合だけで見せるんじゃなくて、入場からファンの皆さんを盛り上げるような感じで、変わりましたね。コスチュームを作る良さみたいなのは浸透してきたかなと思いますね」
選手たちのコスチュームは、どのようにして生まれるのだろう。
「デザインは、ある程度考えて来てくれる方もいらっしゃいますし、ノープランで話しながら決めていくっていうのもありますし、お任せしますって任せてくださる方もいらっしゃいます。
リピートしていただくと、お任せの場合でもお互いわかってきて、話も半分くらいで終わったりします。『真美さんに任せておけば安心』と信頼してくださる方もいらっしゃるので、とてもやりがいがあります。
また、私も自由に作らせていただけるので、他にはないようなデザインが出てきたりしますね。
コスチュームの数は、競技や選手によって違いますね。
ボクシングの場合は、日本チャンピオンクラスの方が多いので、毎試合ごとに変える選手が多いです。総合もそういう方が多いです。
プロレスの方は、年に1着の方もいらっしゃいますし、多い方だと2〜3ヶ月に1着とか、タイトルごとに新調したりとか、いろいろですね。
中には長〜く大事に使ってくださる方もいて、レガースを10年使ってくださった方もいらっしゃいますね。でも、それだけ丈夫には作っているので、生地が朽ちない限り使えますよ」
選手のコスチュームは、いわばオートクチュール(※注文によって作られる一点物の仕立て服)のようなもの。高橋さんは、メゾンの女主人であり、職人でもあるのだ。
実際、選手の衣装をよく見ると、実に丁寧に作られている。シルエットも、寄せられた襞にも、スパンコールにも、どこを見ても丁寧に、いかに時間をかけて作られているかがわかる。
「1着1着に、選手の皆さんの試合に懸ける思いが込められていますし、その時にしか着られない1着だったりします。
そして、コスチュームは、お客さまが着てくれて初めて完成するものです。
プランギャズのロゴは、クルクルが2つあるんですけど、1つが私たちで、もう1つがお客さまなんです。2つが合わさって初めて生まれるコスチュームがプランギャズの商品で、そのコスチュームはお客さまが着て初めて完成するというのが、うちの大きなテーマなんです。
1つの作品、格闘技という大きな舞台の中の選手っていう1人の作品、ストーリーだと思っています。リングの上にはたくさんのストーリーがありますよね。そういうことが、ファンの皆さんにも伝わればいいなと思います」
さて、今度の大会の話に移ろう。
「もともと、プランギャズのお客さまだけで何かイベントができないかなという希望はあったんです。
10周年あたりの時にその構想はあったんですけど、まだまだブランドの体力がなくて。でも、いつかできないかなっていう憧れはずっとあったんですね。
この5年ぐらいでプロレスのお客さまも増えてきて。ボクシングや総合は協会があるのでなかなか簡単に大会は開かせていただけないですけど、あれ? プロレスだったらお願いできるかも! って思ったんです。
ここ2年ほど、コロナもあったりして、業界が不安定でしたし、社会全体としても、昔のようにひたすら上を目指すというよりは、現状をどれだけ維持できるかっていう守りの姿勢になっていますよね。でも、ここでやらなかったら、いつやれるかわからない。『今だ!』と思って決めました。
アトリエの移転(※昨年12月に移転)もそうなんですけど、アシスタントの小澤が背中を押してくれた部分もありました。『せっかくなんでやりませんか?』『言うだけ言ってみてもいいじゃないですか』と背中を押してくれたので、『そうだね』と思えました。一緒に頑張ってくれる仲間がいる心強さもすごく大きかったですね」
総勢18選手が参戦し、プランギャズがいかに選手に愛され続けているかが伝わってくる。
「出場選手は、いろんな方に相談したりはしていたんですけど、まず鈴木みのる選手にお願いして、OKをいただいて。
それから、もうダメ元でいいから、お付き合いの長い選手、ガウンから何から一通り注文してくださっている選手にお声がけしていったんです。誰が一番ということはないんですけど、ここ数年でたくさん作ってくださった方、お付き合いの古い方にお願いしました。
でも、本当にダメ元だったのに、皆さんOKだったんですよ。それで、こんな豪華すぎるメンバーになったんです。
なので、逆に言ったら、お願いしたい選手はもっとたくさんいたんですけど、5試合という枠があって。最初の方で皆さんにOKをいただいてしまったので、もうこれ以上試合が組めない、キャパオーバーになってしまいました。
素人なので、対戦カードは選手の方に相談しました。すごく珍しい顔合わせで組んで下さって、本当にいろいろ協力していただいて、本当にプランギャズらしいカードを組んでいただきましたね」
大会当日は、これまでの仕事を振り返る映像上映や、BabyDollTokyo 緑川ミラノ氏デザインにて製作依頼され、プランギャズにて製作したレディ・ガガのコスチューム展示など、試合以外にもお楽しみが盛り沢山だ。
「当日は準備をしながら進行しながら、観戦もしつつ、みたいな感じですね。今回オリジナルのマスクマンも用意したので、その子たちの入場のお手伝いとか、最終確認とかもあるので、ずっと見ていたいですけど、バタバタしそうです」
20周年を迎えたプランギャズ。今後、どのような仕事をしていくのだろうか。
「主役は選手なので、そのお役に少しでも立てるようにと思います。
もちろん、他のジャンルに対してももちろんですけど、選手のコスチュームは、格闘技という、身を削ってお仕事されている大きな事故や怪我のリスクがある中で、本当に必死に試合をされている方たちの大切な衣装です。
プランギャズには『ハレの日の鎧』というテーマがあるんですけど、選手の皆さんに恥じない衣装を用意しなければいけないと思っています。
また、そういう文化の中でお仕事をさせていただいているというのはすごく光栄なことですし、本当に人に誇れる仕事だと思っています。
衣装制作は裏方ですけど、この世界に携われるのはとても幸せ。天職だと思います。もちろん、他のいろいろなお仕事をされている裏方さんにもリスペクトがありますし、格闘技には、みんなで1つの大会を作って行っているという喜びがありますね。
だから、ずーっと続けていきたいと思いますし、この文化のお手伝いができるだけ長くできたらと思っています。おばあちゃんになっても続けていきたいですね。
若い選手の方も多いので、若いエネルギーを分けていただいて、頑張っていきたいです。
『プランギャズ』は、フランス語でフルチャージとか、ガソリン満タンという意味なんです。ミシンにもモーターが付いているので、車になぞらえて、フルチャージであればどこまでも走れる、どこまでも縫える、という意味でつけました。
でも、最近、改めて調べてみたら意味が変わっていまして、フルスロットル(※ドライバーがアクセルペダルを思いっきり踏んで、スロットルバルを全開にした状態で加速する状態)っていう意味に変わってたんです(笑)
でも、その通りかなと。これからも、選手の皆さんの『ハレの日の鎧』を作り続けていきます」
縫うことが大好きだった少女は、技術を磨き、人と繋がり、多くの選手から信頼される女主人となった。
その手から生み出されるコスチュームには、選手への愛だけでなく、格闘技への愛も縫い込まれている。
大会では、高橋さんにしか作れないコスチュームの世界もぜひ楽しんでほしい。
『Plein Gaz!』
日程:2022年6月14日(火)
会場:新宿FACE
開始:18:30
▼タッグマッチ 20分1本勝負
ロッキー川村2(パンクラスイズム横浜)/佐藤恵一(フリー)
VS
那須晃太郎(神田)/島谷常寛(フリー)
▼シングルマッチ 15分1本勝負
彩羽匠(Marvelous)
VS
YAKO(AlmaLibre)
▼シングルマッチ 30分1本勝負
ジェイク・リー(全日本)
VS
阿部史典(BASARA)
▼タッグマッチ 20分1本勝負
野崎渚(WAVE)/雪妃真矢(フリー)
VS
SAKI(COLOR'S)/高瀬みゆき(フリー)
▼6人タッグマッチ 60分1本勝負
佐藤光留(パンクラスMISSION)/柴田正人(フリー)/優宇(EVE)
VS
鈴木みのる(パンクラスMISSION)/PG Melty/PG Hidy
(写真・文/佐佐木 澪)